日本政府が赤字国債を発行しているのは,なんのため

ぼくが子どもだった 1970 年代には,市会議員が支持者たちと温泉などにバス旅行をすることがめずらしくありませんでした。格安の料金で参加した支持者たちが,酒杯を交えて親睦を深め,次の選挙で──自治体選挙でも国政選挙でも──だれに投票すべきか確認できるようにすることが,その旅行の目的でした。今日,議員やその後援団体が支持者の旅費を補填することは違法だと思われますが,当時は合法的でした。ぼくが住んでいたところでは,旅行に行くのは市会議員でしたが,場所によってそれは,町会,村会または区会議員だったかもしれません。所属する政党によって,そんなふうに支持者たちをもてなさない議員もいました。支持者たちを格安旅行に招待する議員は,おもに自由民主党に属していました。

その旅費の不足分は,だれが支払っていたのでしょうか。市会議員には,国会議員から金が渡っていました。国会議員には,派閥の領袖や党本部から。では,派閥の領袖や党本部には,だれから。自由民主党の場合,ひとつは企業やその団体から,もうひとつ,1955 年から 1960 年代半ばまでは米国の中央情報局から資金が流入していました。

自由民主党に寄附をしていた企業は,どんな方法でその資金を工面したのでしょうか。政府が負担する公共事業を請けおう諸企業は,あらかじめ談合して入札額を高く維持し,その見返りに,政府から支払われた額の数パーセントを自由民主党に寄附する習慣がありました。ですから,そういった企業からの寄附の原資は,おもに税金でした。もし公共事業を請けおう企業が,実際に必要な費用より高額で落札し,その差額の一部を自由民主党に寄附することを強制されていたならば,その金の流れは,政党が国の財産を横領する資金洗浄の一種です。だから関係者は口をそろえて,だれも強制されていなかったと言いますが,自由民主党に寄附をしない企業は,落札者を決める談合に参加できませんでした。だから関係者は口をそろえて,談合などなかったと言います。

一方,米国国務省が公開している文書によれば,中央情報局による自由民主党への資金援助は,1960 年代に終わったと示唆されています。米国とソヴェート連邦とのあいだのいわゆる冷戦期に,日本の自由民主党は,米国側の一派閥(サテライト,衛星)として設立され,その趣旨にそって活動しました。第二次世界大戦中に日本軍に物資を調達していた児玉誉士夫は,戦後になお大量のタングステンを所有していて,米軍は,ミサイルを改良するためにそれを欲しがりました。米国の諜報機関が仲介して,児玉はそれを米軍に売却し,それによって彼が得た金を資金の一部にして自由民主党は設立されました。自由民主党は,構成員が結成したというより,諸要因に対処するために党内外の人々が設立したと見うけられます。米国は,米墨戦争で 1848 年にカリフォルニアを獲得したあとも西進を続け,1867 年にロシヤ帝国からアラスカを購入し,1898 年にハワイを併合し,同年米西戦争でフィリピンを植民地とし,1940 年代から 1950 年代にかけて第二次世界大戦ミクロネシアの一部を獲得し,日本および朝鮮半島南部に親米政権を樹立し(一部は直接統治),1960 年代にヴェト・ナム戦争でヴェト・ナムを取るつもりでいました。公開されたその時期の公文書を読むと,南西諸島を含む日本列島にかんする米国政府の最大の関心は,自国の軍事基地を列島に維持しておけるかどうかだったと見受けられます。

自由民主党はそのころ,日本国内の米軍基地を容認するほぼ唯一の政治勢力だったので,米国にとって国政選挙でどうしても勝ってほしい政党でした。自由民主党は,その期待に応じるべく,なりふりかまわず選挙を戦いました。自由民主党の市会議員と行く格安温泉バス旅行は,その一部でした。

1958 年
自由民主党 61.5 % それ以外
1960 年
自由民主党 63.4 % それ以外
1963 年
自由民主党 60.6 % それ以外
1967 年
自由民主党 57.0 % それ以外
1969 年
自由民主党 59.3 % それ以外
1972 年
自由民主党 55.2 % それ以外
1976 年
自由民主党 48.7 % それ以外
1979 年
自由民主党 48.5 % それ以外
1980 年
自由民主党 55.6 % それ以外
1983 年
自由民主党 48.9 % それ以外
1986 年
自由民主党 58.7 % それ以外
1990 年
自由民主党 53.7 % それ以外
1993 年
自由民主党 43.6 % それ以外
1996 年
自由民主党 47.8 % それ以外
2000 年
自由民主党 48.5 % それ以外
2003 年
自由民主党 49.4 % それ以外
2005 年
自由民主党 61.7 % それ以外
2009 年
自民 24.8 % それ以外
2012 年
自由民主党 61.3 % それ以外
2014 年
自由民主党 61.3 % それ以外
2017 年
自由民主党 61.1 % それ以外

自由民主党が,設立以来今日にいたるまで大半の時期に与党であったことを当然であると思っている人々は,ここで述べられていることが奇妙であると思うかもしれません。上の表は,衆議院総選挙の開票直後に,当選者のうち,自由民主党のいわゆる公認候補が占めていた割合を示しています。その割合は,設立からしばらく減少傾向にあり,1970 年代にいったん 50 % を下回り,その後 2000 年代末に至るまで 30 年以上にわたって 50 % の線を前後しています。この期間に,自由民主党が野党であったのは,1993-1994 年および 2009-2012 年だけでした。それ以外の時期には,たとえ 50 % 未満であっても,自由民主党は,無所属で当選した議員を入党させたり他党と連立するなどの多数派工作を行って,与党でありつづけました。支持者たちをもてなしても開票直後の勢力が 50 % を割ることがあったので,自由民主党が与党でなければ困る人々は,不安に駆られたことでしょう。

自由民主党有権者をもてなしつづけ,支持者たちがそれに甘えつづけた結果,日本の多くの有権者のあいだに,政治家にたいするふたつの不幸な誤解が定着したとぼくは思っています。ひとつは,ある種の政治家は,支持者をもてなしてくれるというもの。もうひとつ,あんなに支持者をもてなす政治家は金持ちであり,公表すると問題になる手法でその金を得ているのだろうというもの。1970 年代から 1990 年代にかけて,ロッキード事件リクルート事件東京佐川急便事件などの汚職がたびたび世を賑わせたので,政治家は裏で汚い金を受けとっているものだと確信している有権者が,今日なお少なくありません。しかし,それらの事件で政治家たちに贈られた賄賂は,彼らが手に入れてきた金の,主要な部分でも,典型的な種類でもありませんでした。自由民主党政権時代に政治家を巻きこんで世を騒がせた汚職事件は,立場が不利な諸企業が行政の許認可を左右しようとして起きました。そんなわずかな金の流れと別に,国家予算の一部が国内の公共事業や外国向けの政府開発援助に振りむけられ,その一部が国会議員に寄附されるという大規模な資金洗浄の手法が確立していました。1990 年代に政党交付金制度が設立されたあと,日本の諸政党は,ようやくその資金洗浄に頼る必要がなくなりました。金を迂回させなくても,国庫から直接受けとれるようになったからです。

今日では,政治家が,公共事業を請けおった企業から寄附を受けとることや,支持者をもてなすことが禁じられているという理由で,日本の国政選挙があたかも公正に行われているように言う人々がいます。しかし,政府が 40 年以上にわたって国債を発行していることは,有権者にたいする与党のもてなしであるとぼくは思います。日本政府は,ドル・ショックおよび石油危機を経た 1975 年に赤字国債を発行しました。それ以来,建設国債赤字国債とを合わせた国債の発行残高は,増加しつづけています。

日本の財政法は,次のように規定しています:

国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。

1971 年のドル・ショックや 1973 年の石油危機を経験した日本政府が建設国債を発行したことは,ケインズ経済学(あるいは新古典派総合)を支持する立場に立つならば,合理性を有しています。また,政府が 1975 年に赤字国債を発行したことは,財政法の規定に反していたものの,同じ立場から一定の合理性を有していたと評価することができます。もしそのとき国債が発行されなかったならば不況がいっそう深刻になっていただろうと,ケインズ経済学の支持者ならば主張することでしょう。しかし,それは一時的な手当でなければならず,政府はのちに増税によって借金を返済しなければなりません。政府が 1975 年に赤字国債を発行したとき大蔵大臣であった大平正芳ケインジアンであったかどうかは別にして,彼は,総理大臣になったあと,1979 年に一般消費税(5 %)構想を発表しました。しかし,多くの有権者増税に反対したので,その年の衆議院総選挙で自由民主党議席過半数に達しませんでした。自由民主党の非主流派は,大平のもとで次の選挙に勝てないと確信して,総裁を交代させようとしました。その結果,翌 1980 年にまた衆議院が解散され,その選挙戦の最中に大平総理大臣が病死しました。亡くなった総理大臣を気のどくに思って自由民主党に投票した有権者が多かったので,その選挙で自由民主党過半数議席を得ました。

そのあとしばらく,消費税構想は棚上げされました。鈴木内閣(1980-82)は「増税なき財政再建」を唱えました。中曽根内閣(1982-87)は「大型間接税を導入しない」ことを公約に掲げ,1986 年の衆議院総選挙で自民党過半数を占めました。

1989 年にようやく竹下内閣(1987-89)が消費税(3 %)を導入しましたが,その一方で同内閣は,好景気(バブル景気)で増えた税収をできるだけ借金返済に充てることを怠りました。税収が増えてもその一部は地方交付税として全国にばらまかれ,建設国債が発行されつづけたので,借金残高は増えました。また,多くの有権者が消費税を嫌ったので,1989 年の参議院選挙で自由民主党は敗北し,参議院で野党が過半数を占める「ねじれ」 が生じました。

その後,自由民主党日本社会党および新党さきがけの支持を受けた村山内閣(1994-96 年)のもとで,消費税を 5 % に改定する法律が成立しました。村山内閣の武村大蔵大臣は「日本財政危機宣言」を行い,同内閣に続く橋本内閣(1996-98 年)の期間中,1997 年に 5 % の消費税が実施されました。翌 1998 年の参議院選挙で自由民主党は敗北し,参議院で野党が過半数を占める「ねじれ」 が生じました。

そして,民主党および国民新党が支持する野田内閣(2011-12 年)のもとで,消費税をまず 8 % に,続いて 10 % に段階的に引きあげる法律が成立しました。民主党は 2012 年の衆議院総選挙で敗北し,のちに自由民主党および公明党が支持する第二次安倍内閣のもとで,予定どおり 2014 年に 8 % の消費税が実施されました。その後,安倍内閣は,消費税を 10 % に上げる措置を 2015 年,2017 年と二回にわたって先送りして,ようやく 2019 年に実施しました。

ドル・ショックや石油危機を経た政府が国債を発行したことは,すくなくとも一定の合理性がありましたが,1980 年の鈴木内閣以降今日にいたるすべての内閣が国債を発行してきたことに合理性はあるでしょうか。景気がいいときも悪いときも 40 年以上にわたって毎年国債を発行することを,ケインズ経済学によって正当化することはできません。また,1980 年代以降ケインズ経済学(あるいは新古典派総合)は多数の批判を受けていて,機を見て言を弄ぶ人々は今日たいていそれを支持していません。景気の後退期に政府が借金をして需要を増やすという政策は,需要主導のケインズ経済学の議論から帰結するものであり,それ以外の立場を支持する者は,供給を増やしたり貨幣供給量を増やしたりするという冗談のような政策を提唱すべきでした。依拠する経済学の立場にかかわらず国債発行が容認される場合がもしあるとするならば,それは国が戦争をしている場合です。日本政府も米国政府も,第二次世界大戦中に大量の国債を発行しました。では,1980 年の鈴木内閣以降今日にいたるすべての内閣は,戦争をしていたのでしょうか。

かりにそうだったと仮定します。1980 年に冷戦は続いていました。さらに米ソ冷戦と別に,1979 年にイラン革命および米国大使館人質事件が,1980 年にイラン-イラク戦争が勃発しました。米軍で当時ペルシア湾を担当していたのは,横須賀を母港とする第七艦隊でした。米国は,日本国内にある米軍基地を従来どおり自国の基地と同じように使いつづけたかったと察せられ,日米が軍事同盟を結んでいることを日本側の首脳が再確認するようにたびたび求めました。もし 1980 年代前半に鈴木内閣や中曽根内閣が消費税制度を導入していたならば,自由民主党政権は倒れ,米軍が国内基地を利用するのを規制する政権が日本に誕生していたかもしれません。そのことを防ぐために自由民主党は与党でなければならず,そのために政府が増税を避けて国債を発行したのであれば,政府は,未来の納税者の負担で,当時の有権者から,日本国内における米軍の自由を買ったことになります。もしそうだとすると,鈴木内閣や中曽根内閣はだれと戦争をしていたか。米軍が国内の基地を自由自在に使用していることに反対する日本の有権者と,ということになります。陰謀論者に好まれそうな結論です。

真偽不明の仮定にもとづくのを止めて公開情報に頼るならば,日本政府は米国政府の要請に応えて赤字国債を発行しました。米国の対日貿易収支は 1960 年代後半から赤字となり,米国は日本にたびたび対米輸出制限を求め,日本はそれらに応じました。1980 年代に入ると,米国政府は,日本の対米貿易黒字を抑制するためという名目で,日本政府に「内需拡大」を求めるようになりました。「内需拡大」とは,実質的に,政府が国債を発行するという意味です。当時米国は,国内における財政赤字と国際交易における経常収支の赤字とに悩まされていました。米国政府首脳は,それらが連動していると考えて,それらを「双子の赤字」と呼んでいました。たしかに,マクロ経済学の諸命題から「(経常収支)=(貯蓄-投資)+(租税-政府支出)」という式が導かれるので,政府支出の多い国では経常収支が赤字に傾きがちです。そこで米国政府は,その式を日本経済にあてはめて,日本政府が政府支出を増やすことによって経常収支をマイナス方向に誘導するように求めました。ただ,この式の右辺のよっつの項はたがいに独立でなく,たとえ政府支出を増やしても貯蓄が増えれば経常収支は変わらない可能性があります。しかし,中曽根内閣は,そんなことに目をつむって国債を発行しつづけました。

しかし,真偽不明の仮定にもとづくのを止め,ほとんどの人々が忘れている公開情報に頼るのも止めて,日本政府が 40 年以上にわたって国債を発行しつづけている目的を,あらためて問いましょう。もしそれが,短期の財政出動による有効需要の創出,つまり,景気浮揚策であるならば,国債発行は,ケインズ新古典派総合の経済理論によって正当化されますが,だからといって,それらの理論が,40 年以上にわたる国債の発行を正当化するわけではありません。さらに言えば,米国がヴェト・ナム戦争後に直面した国内のスタグフレーションを,それらの理論が解決できなかったので,米国内でそれらの権威が傷つき,その影響で,日本国内でもそれらの信奉者は激減しました。ですから,政策立案者が,なんらかの理論を誤って応用し,国債を発行してきたわけではありません。1980 年代に米国政府が日本政府に「内需拡大」を要請したことは事実ですが,もし日本が独立国家であれば,日本政府はそれを断ることができたはずです。それに,米国政府は 40 年以上にわたってずっと国債発行を要請してきたわけではありません。結局のところ,日本の政策立案者が恣意的に国債を発行してきたと言う以外にありません。その政策立案者とは,政治家か,それとも官僚か。旧大蔵省や財務省の職員を中心とする官僚が国債を継続的に発行しようとする動機はありません。むしろ彼らはしばしば,政府が増税をして国債発行を止めるように政治家たちにはたらきかけました。では,政治家たちが,経済学の理論と官僚の助言とを無視し,ときに外国政府からの圧力さえ示唆して自国の自主性を傷つけながら,国債発行を継続した動機はなにか。それは国民経済にも合理的な政策立案にも関係がありませんから,最大の動機は,政治的なものであったと考えられます:日本政府が国債を発行してきた期間の大半において与党であった自由民主党は,増税をして衆議院総選挙で敗れるのを避けるために,国債を発行しつづけた。継続的な国債発行という異常事態を説明できる動機は,それくらいしかありません。つまり,日本政府が 40 年以上にわたって国債を発行しつづけている目的は,自由民主党を与党の座に留めることである,という結論が得られます。

自由民主党が,設立以来今日にいたるまで大半の時期に与党であったことを当然であると思っている人々は,ここで述べられていることが奇妙であると思うかもしれません。しかし,自由民主党は,結党以来,有権者をもてなすことによって多数派の支持を得ようとしてきた政党です。農業が日本のおもな産業のひとつであった時期に,自由民主党による政府は,市場価格以上の対価で農家から米を買いあげて,その損失を税金で補填していました。1955 年の設立から 1970 年代にかけて,自由民主党が国内で推進する政策は,おおむね,旧財閥系諸企業の既得権益を保護し,それと並行して農民を厚遇することを目的としていました。産業構造の転換にともなって都市部の人口が増加するにつれ,国会で過半数を占める自由民主党は,農村部に比較的多くの国会議員を配分し,都市部の税収を農村部に送金して,自党の支持基盤を維持しようと努めました。その一方で,田中角栄など先見の明がある自由民主党員たちは,都市部で支持者を増やそうと苦心しました。しかし,都市部の有権者は組織化(オルグ)されにくく,たとえばぼくが子どものころ住んでいた地域では,衆議院中選挙区の 5 人の定員のうち,自由民主党公認候補で当選するのは 1 人だけであることがふつうでした。もし都市部のこのような傾向が全国に広まったならば,自由民主党は与党の座を維持することができなかったことでしょう。ところが,1980 年代の中曽根政権下で,自由民主党は,いわゆる左側に手を伸ばしました。つまり,自由民主党は,都市部の労働者や住民の利益を代弁することがあると自ら言いはじめ,自民党は(一部の人々に奉仕する党でなく)国民政党であるという新たな看板を掲げました。言いかえれば,それ以前の,旧財閥系諸企業の既得権益を保護し,農民を厚遇する政策からの脱却を図りました。それと同じ時期,1986 年の衆議院総選挙で自由民主党が勝利したので,その政策転換は自由民主党にとって成功であったと評価されることがあります。あるいは,さらに,人々の注目を上部構造だけに集めたがる一部の論者たちは,そのころ都市住民に新保守主義が浸透したことを指摘しがちです。しかし,それらの評価や指摘は,あまりにナイーヴ(無知)であるか,または意図的に誤解を招こうとしている点で悪辣です。目的のために手段を選ばず,それなのにしばしば辛うじて政権を奪いとってきた自由民主党が,1980 年代に有権者をもてなす手をひとつも打たなかったはずがありません。その最大のものが,大平正芳が死亡したのをいいことに,増税を行わなかったこと,あるいは,不十分な増税を行いつつ国債発行を継続したことです。もし鈴木善幸中曽根康弘が,自らの政権下で,財政を均衡化するための増税を行っていたとしたら,自由民主党は 1986 年の総選挙で勝利したでしょうか。もし竹下登が,空前の好景気時に,わずか 3 % でなく,高齢化する日本社会において一部の論者が必要であると指摘した 30 % の消費税を導入し,それとともに国債の償還に着手していたならば,自由民主党はその後も政権に就くことができたでしょうか。いえ,自由民主党は,目前の有権者から相応の税金を取らないという大盤振るまいを続けたにもかかわらず,1993 年の衆議院総選挙で敗北しました。

たとえば平成 30 年度(2018 財政年)に,日本政府は約 34 兆円の国債を新規に発行しました(赤字国債は約 28 兆円,建設国債は約 6 兆円)。そのうち赤字国債を,単純に人口 1 億 3 千万人で割ると,1 人あたり約 21 万円。有権者数 1 億 0 千万人で割ると,1 人あたり約 28 万円。それは本来,平成 29 年度に日本にいる人々が負担しておくべき金額でした。負担額はかならずしも均等でなければならないわけでなく,負担の方法は,直接税,間接税のほか法人税によってもかまいませんが,かりに政府が赤字国債発行を避けるために消費税率を上げるならば,2017 年度の 8 % から 5 ポイント増やして 13 % の消費税率が必要でした。どんな方法であったとしても,かりに来年度から自由民主党(と公明党との連立)政権が増税を行って赤字国債の発行を止めたならば,自由民主党政権はその後も継続するでしょうか。それはだれにもわかりません。継続するかもしれません。しかし,もし継続しないのであれば,そしてその原因が増税であるならば,同様のことは過去にもあてはまることでしょう。もし自由民主党政権が 1980 年代に合理的な増税を行っていたとすると,自由民主党は政権から引きずりおろされていたかもしれません。ということは,自由民主党政権は,そのとき赤字国債を発行することによって,野党に下る危機を回避したと評価できます。もし現在の政府が消費税率を 13 % にすれば与党は次の選挙で敗北するだろうという見通しを立てる人々は,過去の政府について次のように評価しなければなりません:自由民主党は,目前の国民が本来負担すべき金額の一部を将来の国民の負担につけかえることによって,政権を確保した;言いかえれば,自由民主党は,目前の国民に,合法的に「寄附を行う(=本来負担すべき金額を還付する)」ことによって,政権の座に就いてきた。その金額は,現在の貨幣価値で有権者 1 人あたり年間 28 万円ですから,ほぼ 3 年ごとに行われる衆議院総選挙の 1 回ごとに,それは約 84 万円に上ります。それは,もし実際に現金で手渡されるならば,たいていの有権者が言われたとおりに投票するであろう金額です。

もし政府が合理的な財政政策を採っていたならば,1980 年代以降の日本に暮らす人々の可処分所得は,数パーセントだけ少ないはずでした。道路や橋や港の整備は,もうすこし遅れていたことでしょう。では,もしそうだったならば,なにか困ることがあったでしょうか。すこしはあったことでしょう。では,それは,将来の国民に 1000 兆円の負担を残してでも解決すべきことだったでしょうか。そうだったと言えるひとは,ほとんどいないだろうとぼくは思います。

赤字国債の発行残高が毎年増えていることを,まるで自然災害かなにかのように語る人々がいます。彼らは,あまりにナイーヴ(無知)であるか,または意図的に誤解を招こうとしている点で悪辣です。それは,自由民主党が与党でありつづけるために有権者に行った,合法的な「寄附」の合計額であると見なすほうが現実的です。この「寄附」は,日本の政治に退廃をもたらしました。2009 年に民主党は,もし彼らの政党が政権を担当するならば,彼らは自由民主党以上に有権者をもてなすことができると主張して,衆議院総選挙で勝利しました。当時の民主党党首であった鳩山由紀夫の目には,自由民主党が長期政権を維持している最大の原因は税金の安さであると映っていたのでしょうし,自民党に勝つためには有権者をいっそうもてなさなければならないと彼は思ったのでしょう。わずか 40 年ほどの誤った慣行によって,なにが政治であるかを一部の政治家が忘れてしまうほどの退廃が,日本の国会を覆っています。

なにが政治であるのか。利害の対立する人々が話しあって,集団としての意思を決めること,などと辞書に書いてあります。では,設立以来これまでほとんどの時期において政権与党であった自由民主党は,どんな利害にもとづいて,どんな意思決定を行ってきたか。彼らが有権者をもてなしてきたことは,政権を取るための手段でした。その目的はなんだったか。しばしば言われるように,日本にはいわゆる「縦割り行政」の慣行があり,具体的な政策のなかには社会主義的なものも新保守主義的なものもあって,それらのあいだにあまり整合性がありません。それらは,個々の行政官僚によって立案され,実行されているからです。では,官僚でない,自由民主党の政治家は,なにを目的として政治を行っているか。この点についても知られているように,個々の政治家が言うことはさまざまであり,党内の政治家の見解にたいした整合性はありません。自由民主党はかつて農村を支持基盤としていましたが,今日農村に広がる耕作放棄地を見ると,自民党は農村を守りきれなかったとわかります。自由民主党は,旧財閥系諸企業の既得権益を保護しようとしていましたが,政府の意向に沿って原子力部門に重点を置いていた東芝を守りきれませんでした。自由民主党は,冷戦期に,米国側の一派閥として設立されました。たとえ農民を守れなくても,たとえ旧財閥の既得権益を守れなくても,たとえ将来の自国民に莫大な借金を残そうとも,あるいは将来の自国民を過酷なインフレーションのリスクに晒そうとも,自由民主党は,米国の軍事基地が日本国内に必要であるという立場を変えたことがありません。国内に外国軍を駐留させるために赤字国債が発行されているのであれば,政治の退廃は容易に払拭されないでしょう。ぼくはここで,日本は米国の言いなりになっているという単純なことが言いたいわけではありません。また,米国が日本政府の要人を思うままに操っているという素朴な陰謀論を支持したいわけでもありません。ただ,政治家は結果倫理の観点から判断されるので,1980 年以降の自由民主党政権が非合理的な財政政策によって莫大な赤字国債を発行した責任と,国内の外国軍の勢力が一向に減る見込みがないことにたいする責任とは,糺されなければならないとぼくは思います。そして,もしかして両者が関連しているのであれば,自由民主党は,歴史の法廷で不利な立場に追いこまれるだろうと,ぼくは思っています。