さもしいのは政党交付金をもらっている政党です

みなさんは,わからないことをインターネットで調べるとき,ウィキペディアを読むことがありませんか? ウィキペディア日本語版には,「政党交付金」という項目があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/政党交付金

もし日本語版以外のウィキペディアに「政党交付金」という項目があるならば,そのページに他言語版の該当ページへリンクが張ってあるはずです。いま見ると,リンクが張られているのは中国語版だけです。そこでは,中国語で,日本の「政党交付金」について記述されています。あれ? もしかして「政党交付金」って日本にしかない制度なの? いえ,そういう制度がある国は,日本以外にも存在します。しかし,その総額においても,一人あたりの負担額においても,日本の政党交付金は例外的です。

負担額は,選挙権のない赤ん坊も外国人も全員数えて,とにかく 1 人あたり 250 円ずつ。総額で 300 億円強。一方,国会議員の総数は衆参あわせて 710 人ですから,国会議員 1 人あたり平均 4000 万円強の金額が毎年政党に配分されます。それは,国会議員の給料ではありません。国会議員には,いわゆるボーナスを含めて年間 2000 万円強の歳費が支給されています。それと別に,議員 1 人あたり秘書 3 名の給与が年間総額 2500 万円ほど国から支払われます。それらと別に,「文書通信交通滞在費」が議員 1 人あたり 1200 万円だけ国から支給されます。それと別に,JR の鉄道およびバスに無料で乗車できる特別乗車券が議員に支給されるほか,選挙区が東京から遠い議員には航空券が支給されます。それらと別に,院内会派にたいして立法事務費として議員 1 人あたり年間 780 万円が支給されます。政党交付金は,さらにそれらと別に国から政党に交付されるもので,その額が議員 1 人あたり 4000 万円ほどです。

政治活動には,お金がかかります。政党が自党の議員のいない選挙区に候補者を擁立するためには,政党が,議員と別口で一定の資金を持っている必要があります。では,政党交付金の制度がない国の政党は,どのようにしてその資金を得ているか。ひとつは,党員から定期的に徴収する党費です。もうひとつは,募金(募金に応じることを献金または寄附といいます)。そのほかに,政党機関誌紙などの利益が政党の活動費に充てられます。党費の徴収や政党による募金,機関紙の発行は,日本でも行われているので,日本の政党は,それらや政党交付金などを収入として計上しています。たとえば,令和元年度の自由民主党本部の収入内訳は,次のとおりです。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SS20201127/SF/000050.html

(1) 党費 9 億 9085 万 8400 円
(2) 寄附 27 億 4339 万 0000 円
(3) 機関紙,事業 3 億 5884 万 8475 円
(4) 借入金     0 円
(5) 支部からの供与   1000 万 0000 円
(6) その他      
  政党交付金 176 億 4771 万 8000 円
  立法事務費 26 億 8717 万 0000 円
  旅費等精算   5243 万 1989 円
合計 244 億 9041 万 6864 円

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  党費      寄附      事業      支部
  政党交付金      立法事務費      精算

自由民主党の収入に占める政党交付金の割合は 72 % です。同じように国から支給される立法事務費をあわせると,国からの交付金が収入に占める割合は 83 % に上ります。家計にたとえて言うならば,月に 30 万円の収入のうち 25 万円が国から支給されているのと同じ割合です。

政治活動にお金がかかるのはしかたありませんが,自由民主党はこの程度の収入を自分で稼げないでしょうか。単純な計算では,もし国民の 10 % が年間 2000 円の党費を自由民主党に支払えば,自民党はいまと同じ程度の収入を得ることができます。なぜ自由民主党は,そちらに舵を切らないのでしょうか。

そのひとつの答えは,いままで自由民主党は国民に寄附を求めずにやってきたから,いまさら寄附を求めても十分な収入が得られない,ということです。ここで注意しておきたいのは,日本に寄附という習慣がないわけでないという点です。たとえば,令和元年度の日本赤十字社の一般会計(病院事業や献血事業などを除いた会計)において,その収入は 491 億円であり,そのうち赤十字社員などからの定期的な寄附が 247 億円,一時的な災害義援金が 127 億円であり,公的な補助は 10 億円でした。また,令和 2 年度に日本ユニセフ協会に寄せられた寄附は,総額 224 億円でした。そういった団体と同程度の寄附を募るのに,自由民主党は消極的です。

1994 年に政党交付金の制度が導入されるまで,自由民主党は,企業からの献金(寄附)をおもな収入源としていました。企業献金のおかげで,自由民主党は,国民に寄附を求めることなく,十分な収入を得ていました。ところが,その企業献金に,素性の悪いものが混ざっていました。国や地方公共団体がお金を出して道路を整備したり橋を架けたりするとき,その工事を請けおう企業は,談合をして工事費用を高めに見積もるのがふつうでした。談合とは話しあいのことですが,ここでは,正直者が抜けがけをして安い予算で工事を請けおうのを,非正直者が防ぐための話しあいです。そういった話しあいをして工事費用を高めに請求することは,いまもむかしも犯罪です。従来,談合は,土木業界のよからぬ風習といわれてきました。しかし,彼らは,逮捕されるのをおそれてびくびくしながら談合していたわけではありません。国の大きな事業であれば,彼らは晴れがましい立派な会場で談合をしていましたし,市町村の小さな事業では,役所の建物の一室で談合を行うことさえありました。犯罪者たちが犯罪を行うのに,わざわざ警察署の一室に集まって相談をするという事態は考えにくいのですが,現実にはそれに似たことが行われていました。土木業者たちは,すすんで悪知恵をはたらかせて談合をしていたというより,談合をする制度に組みこまれていました。彼らは,国や地方公共団体から高めにせしめたお金のうち,1 パーセントから数パーセントを自由民主党献金するように求められていました。かりに彼らが献金を断ったならば,彼らは次から公共事業を請けおう資格を剥奪されたことでしょう。

このような事例における,お金の流れを整理しておきましょう。まず,国民が税金を支払います。かりに自由民主党が,その税金を自分のものにしたら,それは犯罪です。政府が国民から徴収した税金のうちどれくらいの金額を公共事業に使うかを,提案するのは政府であり,決定するのは国会です。自由民主党は,長いあいだ,その政府や国会を支配していました。かりに彼らが,公共事業の予算をわざと多めに設定して,土木業者に高めの金額を請求させるとしましょう。その土木業者が,あとでかならず自由民主党献金するとわかっているならば,自民党には,予算をわざと多めに設定する動機が生じます。では,かりに彼らがわざとそうしたら,それは犯罪でしょうか。

そういったお金の流れは,資金洗浄(マネー・ロンダリング)を思わせます。しかし,実定法においては,犯罪によって手に入れたお金を迂回させてふたたび手にした者が,罪に問われます。上のような事例では,談合をした土木業者と,そのお金の一部を受けとる自由民主党とが,異なります。かりに上の事例で自由民主党資金洗浄の罪に問われることがあるとするならば,冒頭の談合に自民党が関与していなければなりません。かりに自由民主党が土木事業者に談合をするように呼びかけ,彼らが多めに手にしたお金の一部を自民党献金するように求め,もし裏切ったならば公共事業から排除すると脅した結果,自民党がその土木業者から献金を受けた場合,それは犯罪です。平時において,法廷の場で検察官がそれを立証することはむつかしいでしょう。そんな文書一式が残っているはずがないからです。文書がなければ,関係者がそういった行為を自白しなければなりません。そんなことは,めったに起きそうにありません。

ちなみに,公共事業で民間業者が国にたいして高めの請求をして,そのお金の一部を政治家に手渡すという手法は,韓国のソウル地下鉄建設工事で行われたと,キム・ヒョンウク(金炯旭)が証言しています。彼は,韓国の諜報機関で要職についていましたが,引退して国会議員になったあとパク・チョンヒ(朴正煕)大統領と対立して米国に亡命しました。亡命後,彼はパク・チョンヒ政権の腐敗を告発する手記を残しました。それらの腐敗のなかで,ソウル地下鉄建設工事は,日本に関係しています。韓国政府は,首都ソウルに地下鉄を建設するための調査を 1960 年代末に開始し,いったんフランスに発注すると内定しました。ところが,1970 年代に日本が逆転してその工事を受注しました。日本政府は,その工事のために円借款を組みました(つまり,工事費用ははじめ日本が建てかえて,あとで韓国に返してもらう方式です)。1960 年代に日本が新幹線を建設したとき,国内で資金を調達できずに世界銀行から借金したことを思いだすと,10 年たらずで日本は他国に大金を貸せる国になっていました。日本から韓国に渡ったお金は,工事を請けおった日本企業に支払われました。その総額は,当時の金額で 185 億円。そのうち,9 億 7200 万円が日本企業からパク・チョンヒの側近に送金されたと,キム・ヒョンウクは記しています。つまり,日本政府が建てかえて,あとで韓国国民が返済することになるお金のうち,およそ 10 億円が,パク大統領の政治資金になりました。キムによれば,それは,10 億円という額より,受注額の 5 % という割合を根拠にしていたといいます。この時期にパク大統領は,大統領の任期を撤廃して彼自身が終身大統領になる道を拓くとともに,反対勢力を厳しく弾圧しました(金大中事件はその一例であり,また,手記を発表したキム・ヒョンウクは行方不明となっていまにいたるまで彼の遺体は発見されていません)。日本企業を指揮してパク政権に献金させた日本側の政治家は,岸信介です。岸は,パク大統領とともに国際勝共連合を支持し,反共産主義のパク大統領による韓国統治が長く続くことを望んでいました。

この事例で怪しげなお金を手にしたのは韓国の大統領ですが,日本政府による政府開発援助や国内の公共事業で,同様の手法によって日本企業から自由民主党にお金が流れました。1970 年代に,それは合法でした。韓国の事例で察せられるように,お金がそのように流れる仕組みを作ったのは,企業というより政治家であると考えるのが自然です。

ここで,パク大統領はなぜ韓国国民に寄附を求めなかったのかと問うてみましょう。推進したい政策があれば,大統領はそれを国民に訴えて寄附を求めればよかったではないか,と。それはナイーヴな質問です。当時の事情を知るひとならば,彼は自国民に寄附を求められるような大統領でなかったと答えることでしょう。韓国陸軍の将軍であったパク・チョンヒは,1961 年にクー・デタによって(つまり非合法に)国家再建最高会議議長に就きました。このクー・デタは米国に後押しされていたと見られます。その時期に北朝鮮が経済成長を始めていたので,韓国国民が北朝鮮共産主義に憧れをもつかもしれませんでした。ソ連や中国の影響力を殺ぐという使命を帯びたパク大統領にとって,はじめの 10 年間の課題は,韓国経済の成長でした。パク政権は,北朝鮮の計画経済の手法を真似て,のちに「漢江の奇跡」と称される経済成長の最初の部分を実現しました(ちなみに,満洲国で行われた計画経済には岸信介が関与していました)。非合法な手段で地位を獲得し,言論の自由を制限して国内の共産主義者を弾圧し,そのことによって米国の国益を守っている大統領が,自国民から心からの支持を得ることは困難です。韓国国民がパク政権を支持していたとしても,彼らの大半にとってその理由は,経済政策によって生活水準が向上したからという消極的なものにすぎませんでした。1970 年代を迎えると,パク大統領は,共産主義者の取りしまりにとどまらず,自分にとって都合の悪い者や自分に従わない仲間を弾圧しはじめました。それは客観的に見ると独裁体制の強化ですが,パク大統領自身はそれを「維新」と称しました。その結果,パク大統領に,1974 年,1979 年の 2 回銃弾が放たれました。1974 年の暗殺未遂事件では,大統領自身は難を逃れましたが,夫人が被弾して死亡。1979 年に大統領は部下に暗殺されました。パク大統領は,国民になにかを与えるからかろうじて国民に支持されていたのであり,逆に大統領が自分の政治活動をまかなうのに十分な寄附を国民に求めることなど,彼自身が思いつかなかったことでしょう。なお付記しておくと,韓国ではその後 1980 年代に大規模な民主化運動が起こり,今日の韓国はここで述べたパク・チョンヒ時代の韓国と異なります。

話を日本に戻すと,自由民主党もまた,広く国民から寄附を募ることをためらって,とりやすいところからお金をとっていました。令和 2 年度の日本の国家予算で,公共事業費は 6.1 兆円。ただしこの額には,役所内の人件費などが含まれています。令和 2 年度の日本の土木業界の売上合計は 2.1 兆円でした。そのすべてではありませんが,主要な部分は,国や地方公共団体による公共事業です。かりに 2.1 兆円の 1 % を土木業界が自由民主党に寄附するならば,その金額は 210 億円に上ることでしょう。しかし,今日そのような献金は行われていません。1994 年以降,お金を迂回させなくても,政党が国家予算から直接に政党交付金を受けとれるようになったからです。その制度と引きかえに,公共事業を請けおった事業者が政党に献金することが違法であると定められました。日本の政党交付金は,そのように,国政政党による資金洗浄の一変種を解消するための苦肉の策ですから,そんな制度が諸外国に広く見られないのは当然です。

1955 年に自由民主党が結成されたとき,その目的は共産主義(または社会主義)にたいする防波堤となることであるといわれました。しかし,それ以前に岸信介満洲国で,ソ連をお手本にした 5 か年計画にかかわっていました。自由民主党による統治下でさえ,ソ連にならった石油化学コンビナートが政府主導によって日本各地に建設されました。さらに,小泉内閣以来よく聞くようになった経済特区は,もともと中国共産党によるアイデアです。自由民主党は,言葉のうえでは共産主義を否定していますが,その思想や政策に反対してきたわけでなさそうです。1955 年の段階で,彼らにとって共産主義とは,思想や政策というより,ソ連を賛美しソ連に都合のいいように振るまうことを意味していたと考えられます。結党以来 1960 年代末まで自由民主党には米国の中央情報局から政治資金が渡っていたと,米国国務省が 1990 年代に明らかにしました(自由民主党はそのことを否定しています)。その時期,日本にかんする米国の最大の関心は,日本国内にある米軍基地を維持することでした。英国が中国から香港を租借したのは,19 世紀のこと。20 世紀の米国は,沖縄を 25 年から 50 年のうちに日本に返還するつもりであり,それ以外の日本国内の軍事基地を使用するための条約を 10 年ごとに更新するつもりでいました(その日米安保条約では,日本が希望するので米軍が日本国内に駐留するという体裁がとられています)。自由民主党は,米国の期待に応えてその条約を更新し,さらに,どちらか一方がやめると言いださないかぎりわざわざ更新する必要のない条約にそれを格上げしました。そのときの日本の総理大臣は,岸信介でした。

ここで,ふたたびナイーヴな問いを発してみましょう。岸信介は,なぜ日本国民に寄附を求めなかったのでしょうか。米軍にずっと日本にいてほしいのであれば,彼はそのことを国民に訴えて寄附を求めればよかったではないか,と。当時の事情を知るひとならば,彼は自国民に寄附を求められるような総理大臣でなかったと答えることでしょう。米軍が日本に駐留しつづけることを望んでいる日本人など,そのころほとんどいませんでした。国民が岸政権を支持していたとしても,彼らの大半にとってその理由は,生活水準が向上したからという消極的なものにすぎませんでした。

米国国務省によれば,自由民主党にたいする中央情報局の資金供与は 1960 年代末まで続いたといいます(実際には規模を縮小して 1980 年ころまで続いたともいわれます)。日本が経済成長して,米国が資金供与をやめたあと,日本の政治家たちは,政府開発援助や公共事業から迂回した政治献金を受ける手法を編みだしました。その手法が禁じられると,政党交付金という制度が作られました。

自由民主党は,日米安保条約を更新した岸政権のように,いまなお正々堂々と国民にたいして訴えることのできない政策を推進しているのでしょうか。もしそうでないのであれば,自由民主党は,国民に政策を訴えて党員を増やし,寄附を募るべきであるとわたしは思います。昨今の自由民主党政権は,大学にたいして稼げと言ってみたり,生活困窮者が支援を受けることをさもしいと形容したりしているようですが,小人が他人の悪口を言うとたいてい自己紹介になるものです。ちなみに,中国では,共産党が国家を指導すると憲法で定められていて,中国共産党中華人民共和国より上位の存在です。その中国共産党でさえ,国家予算から党費を吸いあげるのでなく,党員から党費を徴収しています。自由民主党は,経済特区中国共産党の真似をするのであれば,党費の徴収法も真似すればいいのにとわたしは思います。