弁証法に納得がいかないみなさんへ──数の拡張を題材にして

論理学と聞くと,なにが思いうかぶでしょうか。数学と共通の記号を多用する抽象的な体系でしょうか。推論を行うさいの一連の規則かもしれません。アリストテレスの三段論法やゲーデルの不完全性定理を習ったかたもいることでしょう。そのとき想起されているのは,おそらく,形式論理学と呼ばれるものです。

一方,ヘーゲルの論理学は,それと異なっています。ヘーゲルの論理学では,弁証法という手続きを経て,推論の前提が変化することがあります。 形式論理学を学んだ人々にとって,弁証法は,いわゆるちゃぶ台返しのように見えることがあります。形式論理学の緻密な議論に比べて,それは,恣意的な規則違反に映るかもしれません。

しかし,形式論理学に基づいていると考えられている分野においてさえ,舞台裏で弁証法がはたらいていることがあります。素朴な一例を挙げれば,数の拡張がそれにあたります。

自然数から整数が創造される例を見ましょう。

 

I. 数は,ものを数えるためのものです。たとえば,あなたは手もとに 3 枚の硬貨を持っていて,机の引きだしに 5 枚の硬貨をしまっています。

わたしたちは,二つの集団をひとまとめにすることができます。手もとの 3 枚の硬貨と引きだしの 5 枚の硬貨とを一つの貯金箱に入れると,貯金箱に 8 枚の硬貨が入っています。3 たす 5 8 です。

わたしたちはまた,一つの集団を二つに分けることができます。さきほどの貯金箱から,鉛筆を買うために 2 枚の硬貨を取りだすと,貯金箱に 6 枚の硬貨が残っています。8 ひく 2 6 です。

硬貨を数えることによって,わたしたちは,加法(たし算)も減法(ひき算)も理解することができます。

 

II. けれども,そのような理解では,3 から 5 を引くことができません。3 枚の硬貨しか入っていない貯金箱から,5 枚の硬貨を取りだすことができないからです。数がものを数えるためのものであるとわたしたちが考えているかぎり,3 ひく 5 は意味を成しません。

そこでわたしたちは,紙に描いた線上に等間隔にいくつかの点を打ち,それらの一つを 1 と名づけることにしましょう。その隣の点を 2 とし,さらにその隣にあってまだ名づけられていない点を 3 とします。わたしたちは,すごろくのコマを,点 3 から,直線に沿って数が減る方向に,5 個の間隔だけ移動します。コマは,まだ名づけられていない点に到着します。そこで,無印のまま残っているいくつかの点を名づけましょう。1 の点の隣にあって,なおかつ 2 でない点を,0 と名づけます。その隣にあって,かつ 1 でない点を -1 と,さらにその隣の無印の点を -2 と名づけます。コマは,-2 の点に到着していたとわかります。

-1 -2 は,のちにわたしたちが負の数と呼ぶことになるものです。しかし,それらは本当に数でしょうか。つまり,負の数は,ものを数えるための数と同じように,足したり引いたりできるものでしょうか。

わたしたちは,負の数を足したり引いたりするさいに,コマをどのように動かせばいいかという諸規則を見出すことになるでしょう。

 

III. 負の数を足したり引いたりするさいの諸規則を見出したあと,それらを,わたしたちがものを数えるために用いてきた数(自然数)に適用してみましょう。すると,それらの規則は,従来の数のたし算,ひき算においても,これまでどおりの正しい答えを導くと,わたしたちは気づくでしょう。

そこでわたしたちは,数がものを数えるためのものであると考えるのを止めて,その代わりに,数は直線上に並ぶ点であると見なすことにします。そして,負の数は,従来の数と対等なステータス(身分)を持つ存在であると認めることにします。

そのように考えると,-1 -2 などの負の数にマイナスの符号を付けておきながら,1 2 に符号を付けないのは居心地が悪い。そこで,1 2 をそれぞれ +1+2 と,プラスの符号を付けて表すことを,わたしたちは許容して,それらを正の数と呼ぶことにしましょう。

学校で学ぶ数学では,習慣的に,+1 +2 を,符号を省略して 1 2 と表していいことになっています。その習慣のもとでは,1 2 は,ものを数えるための 1 2 と外見が同じなので,自然数と正の数(正の整数)とが同一の存在であると考えるひとがいます。しかし,わたしたちがいったん負の数の存在を受けいれると,1 2 は,ものの個数から直線上の点に変容しています。

そのようにして,数とはなにかという前提が変化しました。わたしたちは,ものを数えるための従来の数 12 に符号を付けた +1+2,そして 0,そしてそれらのひき算から生成される -1-2 などの数を,まとめて整数と呼ぶことにします。それにたいして,1 2 などの,ものを数えるための従来の数を,自然数と呼ぶことにします。

 

このように,I.II.III. の議論を経て,なにものかが別のものに変化したと認めるのが,弁証法です。

いまここでは,自然数から整数を生成したところで議論を止めましたが,さらに乗法(かけ算)や除法(わり算)を考慮すると,わたしたちは,有理数に出会います。さらに,三平方の定理を認めると実数が必要になり,n 次方程式の n 個の解を探すには複素数が必要になります。

そのように数を創造することを,数学では,数の拡張といいますが,いまのわたしたちの文脈では,それは弁証法の一例にほかなりません。

上の例で,I. の部分をテーゼ(正)といい,II. の部分をアンティテーゼ(反)といいます。I. は,従来,正しいと考えられてきたことであり,II. は,それを否定するものです。形式論理学では,命題とその否定とがいずれも真であることはありませんが,弁証法では,I.II. の両方が成りたつ方法を探します。見出された III. の部分は,ジンテーゼ(合)と呼ばれ,III. を導くことを,I. II. とをアウフヘーベンする(止揚する,揚棄する)といいます。Aufheben は,「持ちあげる」 という意味のドイツ語の動詞です。

形式論理学は,弁証法が終わってから始まります。上の例では,はじめに数直線というものを設定しておくと,負の数の加法,減法をきれいに説明できる気分になります。しかしそれは,わたしたちが弁証法によってたどりついた地平を,小ぎれいに整えた説明にすぎません。形式論理学は,新しい地平に登るための方法でなく,形式論理学以外の方法でたどりついた地平を整理するものです。

自然数の世界では,減法に答えがない場合がありますが,整数の世界では,減法にかならず答えがあります。さらに乗法,除法にも答えがある集合を探すと,わたしたちは,有理数や実数,複素数に出会います。加減乗除に答えがある集合を数学で体(field)といい,有理数体,実数体,複素数体などといいます。

数学で体(field)について学んでいると,各々の要素が実数であるとか複素数であると決めることができず,したがって複素数を用いる計算より基礎的なことを学んでいる気分になるかもしれません。形式論理学では,体のような概念は,実数という概念より基礎的である(つまり下方にある)と考えられがちですが,弁証法では,ジンテーゼははじめのテーゼより上方にあると表現されます(アウフヘーベンとは,持ちあげることなので)。

(おしまい)

 

 

補論 A. 正の数と負の数とが対等であると主張すると,地動説を唱える者が有利になる

 

数学史上,負の数に正の数と対等の身分(ステータス)を初めて認めたのはルネ・デカルトであるといわれますが,彼は,無神論者であるという非難を避けるために,著書においてさえ,とうてい本心を述べていないようにうかがえることがあります。たとえば,彼が座標を思いついたきっかけは,部屋に飛んできた蠅の位置を表すのに三つの数の組が必要だとひらめいたからだと,彼は言います。しかし,蠅の位置を表すために,わざわざひとつの新しい概念を提唱しようなどと,彼は本当に思ったのでしょうか。

座標は,外見上あたかも,太陽系における惑星の位置を表すしくみであるかのように思えます。そして,実際にそうであったのでしょう。

しかし,ガリレオが宗教裁判で裁かれたことを知ったあと,デカルトは慎重になりました。座標は,太陽のまわりを公転する地球の位置を,地動説にもとづいて表すためのしくみである,などと彼は明記しませんでした。そのかわり,座標の原点に太陽のような丸を描き,xyz という三本の軸を引きました(原点のそばに O と記す現在の習慣と違って,デカルト自身は,「〇」の中心が原点であるように座標を示しました)。アルファベットの xyz は,「これでおしまい」。宇宙のなかの地球の位置を表すのにそれ以外の文字は必要ない(デカルトは,太陽が宇宙の中心にあると考えていました),という彼の声が聞こえそうですが,彼はそんなことをどこにも記しませんでした。

座標が地球の公転を表すしくみであるならば,原点の前方と後方,右方と左方,上方と下方のいずれにも数が存在していなければなりません。そこで,負の数が必要になりました。

デカルト以前においても負の数に言及する人々がいましたが,彼らはおおむね,負の数を「負債」であるとか「足りない量」を表すものと見なしました。3 個から 5 個を取りだすには 2 個足りない,そのことを,3 ひく 5 -2 であるという,というように。しかし,そういった考えに留まるかぎり,負の数は正の数と対等ではありません。-2 かける -3,が意味をなさないからです。

負の数は,正の数と同じように,足したり引いたり,掛けたり割ったりできる──そのことを示すことによって,前後左右そして上下に正負の数を配した数直線が説得力を帯びます。

つまり,座標に説得力をもたすには,負の数が,正の数と対等に加減乗除に使えることを示す必要があった,とわたしは思いますが,デカルトはそんなことをどこにも記していません。

 

補論 B. マイナスの符号が減法と同じ「-」と表され,プラスの符号が加法と同じ「+」と表される理由は,加減乗除を簡単に行うためである

 

デカルトは,現代的な文字式の表記法を提唱したことでも知られています。デカルトはフランス人であり,ラテン語やフランス語で本を書きましたが,ここでは読者の便のため英語を使ってみます。

「リンゴ二個とバナナ三本」を買いにいくひとが,数量をまちがえないように「リ二とバ三」と記したメモを持っていくとします。そのひとにとっては「リ二とバ三」で十分に意味がわかります。

同じように two apples and three bananas を買いにいくひとにとって,メモには 2a + 3b と記されていれば十分です。リンゴが一つとバナナが三本必要ならば,an apple and three bananas a + 3b と記せばいい。1a でなく a とのみ記すのは,文法の要請です。

リンゴ二個が 2a と表されるならば,10 円硬貨 2 枚は 2⑩ です。10 円硬貨が 2 枚あると,20 円ですから, 2⑩ = 20 です。2 と⑩とのあいだには加減乗除の記号がありませんが,どうやらそこには乗法の記号「×」が潜んでいるように思われます。そこで,そのことを認めて,二つの量のあいだに加減乗除の記号がないときには,それらの量をかけることにします。

ところで,負の数につける符号は,かならずしも減法の記号「-」と同じでなくていいかもしれません。負債のことを日本語で「赤字」といいますから,負の数を赤色で書いてもいい。今日においてさえ,数学以外の分野では,「-」の符号を見落とさないように,かわりに「▲」と示すことがあります。

ここで,負の数の乗法について考えます。

 

3 × 5 = 15

3 × 4 = 12

3 × 3 = 9

3 × 2 = 6

3 × 1 = 3

 

であり,これらの積は 3 ずつ減っています。その規則性がその後も保たれると考えると,

 

3 × 0 = 0

3 × (-1) = -3

3 × (-2) = -6

3 × (-3) = -9

3 × (-4) = -12

3 × (-5) = -15

 

という答えが得られます。いまのところ,正の数と負の数との積は,負の数です。そこで,そのことを認めることにします。つまり,他の正の数と他の負の数との積も,かならず負の数であると定めます。

自然数の乗法では,交換法則が成立します。3 × 5 = 5 × 3 です。そこで,負の数でも交換法則が成立すると定めます。たとえば,3 × (-4) = (-4) × 3 であるというように。すると,負の数と正の数との積は,負の数です。

 

(-4) × 3 = -12

(-4) × 2 = -8

(-4) × 1 = -4

 

これらの積は 4 ずつ増えています。その規則性がその後も保たれると考えると,

 

(-4) × 0 = 0

(-4) × (-1) = 4

(-4) × (-2) = 8

(-4) × (-3) = 12

 

という答えが得られます。そこで,二つの負の数の積は正の数であると定めます。

次に,四則混合算を行います。

4 × 5 - 3 × (-2)

はいくらでしょうか。

4 × 5」ひく「3 × (-2)」を計算すると、

4 × 5 - 3 × (-2) = 20 - (-6) = 26

です。

ところが,4 × 5 - 3 × (-2) は,「4 × 5」のあとに「-3 × (-2)」と書いてあると読みとってもかまいません。そうすると,-3 × (-2) = +6 ですから,

4 × 5 - 3 × (-2) = 20 + 6 = 26

と,上と同じ答えが得られます。

かりに負の数の符号を「▲」と表すならば,

4 × 5 - 3 × (▲2) = 20 - (▲6) = 26

と正しい答えが得られますが,「4 × 5」のあとに「-3 × (-2)」と書いてあると読みとっていいという利便性が失われます。「-」の記号が,負の数の符号であるとも減法の記号であるとも読みとれるときには,どちらで読んでも同じ答えが得られる。だから,計算しやすいほうだと解釈すればいい。その利便性のために,負の数の符号は減法の記号と同じく「-」と表されます。

さらに,2 - (-3) = 5 といった計算で,-(-3) という表現は,マイナスとマイナスとが掛かっていると読みとりたくなります。文字式を表現する規則で,あいだに四則計算の記号がないときには乗法の記号が潜んでいると定めたからです。二つのマイナスの積はプラスであると考えると,

2 - (-3) = 2 + 3 = 5

と計算してかまいません。かりに負の符号を「▲」とすると,ここでも利便性が失われます。

トマス・アクィナスによる神の存在証明

『神学大全』

第 1 部(1268)より第 2 問第 3 項
神は存在するか

異論 1. 神は存在しないと思われる。なぜなら,もし相反するふたつのものの片方が無限であるならば,もう一方は完全に駆逐されるであろう。
ところで,「神」という語は,無限に善いものという意味である。したがって,もし神が存在するならば,悪は一切見出されないであろう。しかし,世界には悪が存在する。
したがって,神は存在しない。

異論 2. さらに,二,三の原理で生じたと説明できるものを,多くの原理を使って説明するのは無駄である。
ところで,我々が世界で目にするあらゆるものは,神が存在しないと仮定しても,他の諸原理で説明されうる。というのは,自然のものはすべて,自然というひとつの原理に帰着できるし,自由裁量にもとづくものはすべて,人間の理性あるいは意志というひとつの原理に帰着できるからである。
したがって,神が存在すると考える必要はない。

しかし反対に,神のペルソナによって「わたしはある。わたしはあるという者だ」(『出エジプト記』3 章 14 節)と言われている。

私の答えは以下のとおりである,すなわち,神の存在は五つの方法で証明されうる。

第一の比較的明白な方法は,運動[変化;motus]について論じることによって得られる。
世界に動いているものがあるということは,確実であり,私たちの感覚には明白である。
さて,なんであれ動いているものは,別のなにかによって動かされたのである。というのは,
あらゆるものは,それが動いている向きの先にあるものにたいして可能態にある場合以外には,動くことができない。一方,動いているものは,それが動いているということを以って現実態にある。というのは,運動とは,ものを可能態から現実態に移行させることにほかならないからである。また,ものを可能態から現実態に移行させることができるのは,現実態にあるものだけである。たとえば火のように現実態において熱いものは,可能態において熱い木を現実態において熱くするのであり,それによって木材を動かし変えるのである。
さて,ひとつのものが,別の観点についてならともかく,ひとつの観点について同時に現実態かつ可能態にあるということはありえない。というのは,現実態において熱いものが,同時に可能態において冷たいというならともかく,同時に可能態において熱いということはありえないからである。
したがって,ひとつのものが,ひとつの運動について同時に動かすものとなり動かされるものとなることはありえない。つまり,ものは自分自身を動かすことができない。よって,なんであれ動いているものは,別のなにかによって動かされたのでなければならない。
もし,動いているものを動かしたものがそれ自身動いていたのであれば,それもまた別のものによって動かされたのでなければならず,以下次々に別のものが必要になる。しかし,これを無限に続けることはできない。
なぜなら,もしそれを無限に続けられるのであれば,最初に動かしたものはないということになり,ひいては,動いているものはなにもないという結論に至るからである。
あとから動きだしたものは,最初に動かしたものが動かしたかぎりにおいて動いているにすぎないことを考慮すること。杖が手によって動かされるしかないのと同様である。
したがって,他のものによって動かされたのではない,最初に動かしたものに辿りつくことは必然である。それを,すべての人々は神であると理解している。

第二の方法は,始動因[causa efficiens]*1 の性質に由来する。


1. アリストテレスに由来するこの語は,“他のものを動かしはじめる原因”という以上に広い意味で用いられている。それは,アリストテレス自身によると,
• ものの変化または静止を起こすもとのもの。たとえば,助言をしてくれた人物や,子にとっての父。いっぱんに,作られてあるものを作るもの,変わるものの変化を引きおこすもの。
を指している(『自然学』第 2 巻第 3 章 194b30)。日本語では,起動因,作出因,作動因,作用因,動力因など,さまざまな訳語がこの語に充てられているが,ここでは岩波書店『アリストテレス全集』の出隆による訳語にならった。



私たちは感覚の世界で,始動因に順序があることを目にしている。
あるものがそれ自身の始動因であると見られる事例は知られていないし,また実際のところそんな事例はありえない。というのは,もしそんなものがあるならば,それはそれ自身に先立って存在することになるが,そんなことはありえないからである。
さて,始動因の順序を追って無限に至ることはできない。なぜなら,始動因はすべて順序だっているので,最初の始動因が中間の始動因の原因であり,その中間の始動因がいくつかあるかただひとつであるかはさておき,中間の始動因が最後の始動因の原因だからである。
さて,原因を取りされば,それによる結果も取りさられる。
したがって,もし始動因のなかで最初の原因がなかったならば,最後の原因も一切の中間の原因も存在しないということになるが,これはすべて明らかに偽である。
したがって,最初の始動因が存在すると認める必要がある。それに,すべての人々は神の名を与えている。

第三の方法は,可能性と必然性とから得られる。それは以下のとおりである。
私たちは自然のなかで,存在することも存在しないことも可能であるものを目にしている。というのは,私たちは生成しては腐敗していくものを目にするが,そういったものは存在することも存在しないことも可能だからである。
ところで,そういったものがつねに存在しているということはありえない。というのは,存在しないことが可能なものは,あるときには存在していないからである。
したがって,もしあらゆるものが存在しないことが可能であるならば,あるときにはまったくなにも存在しないということがありえたはずである。
さて,もしそれが真であるならば,いまなおなにも存在していないはずである。なぜなら,存在しないものが存在しはじめるには,すでに存在しているものによるしかないからである。したがって,もしあるときに存在するものがなにもなかったのならば,どんなものであれ存在しはじめることができなかったはずである。
ということは,いまなおなにも存在していないことになるが,これは馬鹿げている。
したがって,存在のなかには,たんに可能だから存在しているというわけではないものがある。すなわち,存在することが必然だから存在しているものがあるはずである。
ところで,なんであれ必然的なものが必然的である原因は,他のものによるかよらないかのいずれかである。さて,始動因にかんしてすでに論証されたのと同様に,他のものを原因として必然性を与えられたものの順序を追って無限に進むことはできない。
したがって,存在する必然性を自らのうちに持っているものが存在していることを,私たちは自明とせざるをえない。それは,他のものから必然性を付与されるのでなく,むしろ他のものが必然性を持つ原因となる。それを,すべての人々は神として語っている。

第四の方法は,ものに見られる一連の段階から得られる。
存在のなかには,なにかより善いものやなにかより善くないもの,なにかより真であるものやなにかより真でないもの,なにかより上品なものやなにかより上品でないもの等々がある。
ところで,異なるもののあいだでどちらがより然々(しかじか)であるとかないと私たちが言っているのは,それぞれのものが,方法は異なっていても,最大度のものにどの程度似ているかに応じてそう言っているのである。たとえば,あるものが他のものより熱いと言われるのは,それが他のものより,もっとも熱いものに似ているからである。
すると,もっとも真であるもの,もっとも善いもの,もっとも上品なものが存在するということになり,ひいては,最大度の存在であるものが存在することになる。というのは,『形而上学』第 2 巻[第 1 章]で言われているように,真という点で最大度であるものは,存在という点でも最大度であるからである。
さて,たとえば火が最大度の熱であり,それがすべての熱いものの原因となるように,どんな類においても最大度のものは,その類のすべてのものの原因となる。したがって,存在するすべてのものにとって,それらの存在や善性や他の一切の完全性の原因となるものもまた,存在するにちがいない。これを,私たちは神と呼んでいる。

第五の方法は,世界が統治されていることから得られる。
私たちは,たとえば自然の物体のように知性を持たないものが,なんらかの目的を目指して動いているのを目にしている。それらが目的を目指していることは,それらがつねに,あるいはほとんどつねに,同じように動いて最善の結果を得ていることから明らかである。
したがって,それらが目的に到達しているのは,偶然でなくなんらかの意図に基いていることが明白である。
さて,矢が射手によって的に撃たれるときのように,知性を持たないものは,認識と知性を備えたなにかの存在によって方向を与えられないかぎり,目的に向かうことがありえない。したがって,すべての自然物にたいして目的への方向を与える,知性を備えたなんらかの存在が存在している。この存在を,私たちは神と呼んでいる。

異論 1. への返答 アウグスティヌスが言うように(『提要』第 6 巻),「神は最高に善いのだから,もし神の全能および善性が悪からさえ善を引きだすほどでなかったならば,神は御業のなかにいかなる悪も許さなかったであろう。」神が悪の存在を許して,そこから善を生みだしていることは,神の無限の善性の一部なのである。

異論 2. への返答 自然が確固とした目的を目指して働くのは,高位の作用者に指揮されてのことであるから,なんであれ自然によってなされることは,自然の第一原因としての神に帰着されるべきであるにちがいない。同様に,なんであれ自由裁量によってなされることもまた,人間の理性あるいは意志以外のなにか高位の原因に帰せられなければならない。なぜなら,人間の理性や意志は変わったり働かなかったりしうるものであるが,本項の本文で示されているように,変化する可能性があり欠陥を持つ可能性があるものはすべて,不動であり自ら必然性を持つ第一原理に帰せられなければならないからである。

『対異教徒大全』(1263)

第 1 巻第 13 章

神の存在を証明するさいのいくつかの合理的根拠

私たちはまず,アリストテレスが運動についての考察から神の存在を証明したさいに用いた,以下の合理的根拠を取りあげよう。
動いているものはすべて,別のものによって動かされはじめ,別のものによって動かされつづけている。運動に始まりがあることは,私たちの感覚には明白である。あるものが動いている理由は,別のものがそれを動かしはじめ,動かしつづけているからである。ところで,それを動かしたものは,それ自身動いているか動いていないかのいずれかである。もしそれが動いていないならば,私たちが証明しようとしている点が得られたことになる。すなわち,それ自身は動いていないのに他のものを動かすなにものかが存在している,ということを私たちは前提しなければならないのであり,それを私たちは神と呼ぶ。一方,他を動かすもの自身が動いているならば,それはまた別のものによって動かされたのである。この場合,私たちはその連鎖を辿って無限に至るか,あるいはなんらかの不動の動者[自身が動されることなく他を動かしたもの]に至るかの,いずれかでなければならない。しかし,無限に至ることは不可能なので,不動かつ第一の動者が存在しているということを私たちは前提しなければならない。この議論が成立するためには,ふたつの命題が証明されなければならない。ひとつは,動いているものはすべて,別のものによって動かされはじめ,別のものによって動かされつづけているということ。もうひとつは,動かすものと動かされるものの連鎖を辿って無限に至ることは不可能だということである。

かの哲学者[アリストテレス]はまた,別の議論において,始動因*1 の連鎖を辿って無限に至ることは不可能であること,したがって私たちは唯一の最初の原因に至らなければならないのであり,それを私たちは神と呼んでいること,を示している。その議論は,ほぼ以下のとおりである。
始動因のいかなる連鎖においても,最初の始動因は中間の始動因の原因であり,中間の始動因は最後の始動因の原因である。しかし,もし始動因の連鎖が無限に続くのであれば,どの始動因も最初のものではないということになり,したがって,中間の始動因もすべて存在しないということになる。しかし,これは明らかに成立しない。したがって,なんらかの第一の始動因が存在していることを私たちは前提しなければならないのであり,それが神である。

また,聖ヨハネス・ダマスケヌス(『正統信仰論』第 1 巻第 3 章)は以下のように別の議論を行っている。相反するものたちや対立するものたちは,ひとつひとつのすべてのものに特定の目的への傾きを与えるなんらかの指導のもとでなければ,つねに,あるいはほとんどつねに,ひとつの調和した秩序に落ちつくことはできない。しかし,私たちは世界で,相異なる性質のものたちが,稀にでも偶然にでもなく,つねにあるいはほとんどつねに調和した秩序に落ちついているのを目にしている。したがって,世界を統治する摂理を持つなんらかの力が存在するにちがいない。それを,私たちは神と呼んでいる。

日本の国政における政党制度の行きづまり

政府の累積債務

日本政府の累積債務(借金総額)は国内総生産の二年分に及び,債務は毎年増加しています。インフレーションの危険があることを知りながら,なぜ日本政府は借金を重ねているのか。その問題について,ぼくは以前ここで書いたことがあります。


日本政府が赤字国債を発行しているのは,なんのため

日本政府が赤字国債を発行しているのは,かりにそうしないと自由民主党が国政選挙で敗れるからだろうとぼくは考えています。もし歳出に見合った増税を政府が行うならば,与党である自由民主党は選挙で議席を減らすことでしょう。その見方に賛同してくださるかたは少なくないだろうとぼくは期待しています。では,同じことを次のように言いかえたらどうでしょうか:日本政府が,インフレーションの危険を承知しながらも借金を続ける目的は,自由民主党を与党の座に留めるためである,と。

政府が特定の一政党を利するための政策を選択しているということ,そしてその政策は国民経済をむしばむ懸念があるということ。そのことは容認されるべきでしょうか。日本では 1955 年以来ほとんどの期間において自由民主党が与党でありつづけているので,政府と自由民主党との区別があいまいにされることがあります。政府は,全体への奉仕者である公共機関であり,政党は,国民の一定の部分の利益を代弁する私的機関です。政府が特定の一政党を利することは,あってはならないとぼくは考えています。

在日米軍への基地提供

日本は,第二次世界大戦で敗戦した直後に,連合国に占領されました。連合国は,日本がふたたび過激な軍国主義に傾くのを防ぐための制度改革を指揮しました。その占領政策の主導権を握っていたのは米国であったので,連合軍は,日本人の幸福追求権を裏付ける諸制度を導入するかたわらで,日本国内における米軍の権益を確立しようとしました。

第二次世界大戦直後の占領期から今日に至るまでずっと,日本国内には米軍基地があります。朝鮮戦争の交戦時に,それらの基地は後方支援に利用されました。その後,米国にとって日本にある軍事基地は,米国による封じこめ戦略で大きな役割を担っています。では,日本人にとって国内の米軍基地は必要でしょうか。その賛否は,ひとによって異なります。

1955 年に自由民主党が結成されたとき,日本の国会で,国内の米軍基地が将来にわたって必要であると考える政党は自由民主党だけでした。というより,そう考える政治家たちをひとまとめにしたのが自由民主党でした。その結党資金の一部は,米国の政府機関と児玉誉士夫と自由民主党との三角取引で準備されたことが知られています。児玉機関が戦時中に中国で入手したレアメタル(タングステン)を米国が軍事目的で購入し,その対価が自由民主党の結党資金に充てられました。児玉は,米国の後押しを得て,もともと対立していた政治家たちをカネの力で結集させました。その一連の取引を発案したのは,米国の政府機関であったことが知られています。その後,米国は,日本の民社党の結成にも関与しました。1955 年の時点では自由民主党だけが,のちに民社党もまた,国内の米軍基地が必要であると訴えました。

小国の政治家が,自国の存立のためにやむをえず大国の意向を受忍するという事例は,いつの時代にも見られます。しかし,もしその小国の政治家たちが,大国からカネを受けとっていたらどうでしょう。彼らは,祖国のためにほぞをかんでいるというより,大国の利益のために自国民を管理する代理人と化しているのではないでしょうか。秘密解除された米国政府の公文書によると,結党から 1960 年代をとおして,自由民主党は国政選挙のさいに米国の政府機関からカネを受けとっていました(自由民主党は否定しています)。そのころ米国は,ソヴェート連邦にたいする封じこめ戦略をとっていて,さらにヴェトナム戦争に軍隊を送りこんでいましたから,日本にある軍事基地を維持することに強い関心を持っていました。日本と同じように米軍基地があった韓国,フィリピンでは,それと同じ時期にそれぞれ朴正煕,フェルディナンド・マルコスを大統領とする,合法性に疑いのある長期政権が統治していました。彼らもまた米国の支援を受けていました。

自由民主党は,米軍基地の存続を望む国民の声に推されて与党の座についたというより,与党の座を確保するために国民をもてなしました。コメ農家が多かった時代には,生産されたすべてのコメを,その品質にかかわらず政府が高価格で購入し,それより安い価格で消費者に売却していました。つまり,徴収した税金の一部を,政府が農家に移転していました。ソヴェート連邦の計画経済に学んだ経済官僚たちが折にふれて産業界の展望を示し,旧財閥系の資本がそれらを利用して富を蓄積しました。労働人口の多くを給与所得者が占めるようになると,政府は,彼らの税金や社会保障費をなるべく低く抑える措置をとりました。それらを,もてなしと呼ぶのは,言葉が足りないかもしれません。それらは政府の規模のもてなしです。自由民主党の各々の政治家は,団体温泉旅行を格安で企画して参加者を募り,足りない分は政治家が負担するとか,選挙中に事務所で市民に無料で食事をふるまう,という程度のことを行いました。なぜ彼らはなりふりかまわず与党の座を欲したか。自由民主党の立党宣言に付随する文書の表現を借りるならば,彼らの「党の使命」のひとつは,「共産主義勢力」や「階級社会主義勢力」と「闘う」ことであるといいます。言いかえれば,それは,米国の協力者であることです。そのことが原因のひとつとなって,彼らと彼らの率いる政府は国民をもてなしました。その手段のいくつかが,食糧管理法や経済企画,労働者にたいする社会保障の充実など,いわば非米的なものであったことを考慮すると,彼らはかならずしも米国政府の理念に共鳴していたわけではなさそうですが。

公共事業と政党交付金

米国国務省の文書によれば,米国の政府機関から日本の自由民主党への金銭援助は 1970 年までに終わったといいます。それは国務省(日本でいう外務省で,表の面を担当)の関知する範囲であって,裏の面では諜報機関が金銭援助を続けたという噂もありますが,かりにその噂が真実であったとしても,金額は桁違いに減ったことでしょう。米国国務省の言う 1970 年が過ぎて二,三年のうちに,日本経済は二つの試練を経験しました。変動為替制の導入(円高)と,二度にわたる石油危機(物価高)です。

話が長くなるといけませんから,先を急ぐことにすると,日本政府は 1975 年に税収不足に直面して赤字国債を発行しました。そのとき大蔵大臣であった大平正芳は,直接税の税収が景気に左右されることを痛感し,のちに総理大臣に就任したさい,安定した税収を見込める消費税(5 %)の導入を訴えました。大平の腹案では,赤字国債の発行は 5 年ほどで終わるはずでした。しかし,総理大臣在職中に大平が急死したため,彼の構想は実現せず,彼の後継者たちは国債の発行を続けました。日本政府は,その後 50 年以上にわたって,返済の見通しが立たない巨額の借金を続けています。いわゆるバブル景気の時期に税収が増えて,政府が全国のすべての地方自治体に 1 億円ずつを配ったときでさえ,政府は建設国債の発行を続けました。

上述のように,米国の政府機関からの金銭援助が絶えた(あるいは大幅に減った)にもかかわらず,自由民主党は国民にたいするもてなしをやめませんでした。新たな収入源が見つかったからです。政府が行う公共事業に付随して,すこし手の込んだカネの流れを作れば,自由民主党は,米国からもらっていたのと同規模の金銭を手に入れられると彼らは見出しました。簡略化して言うと,1) 政府は公共事業の予算をすこし多めに設定しておく,2) 政府の土木工事の入札に参加する企業はすべて,あらかじめ相談して,本当に必要な予算より多い金額を政府に提示する,3) 政府はそのなかで最も少ない金額を提示した企業に土木工事を発注する,4) 受注する企業に偏りがないようにするために,入札に参加する企業どうしが,政府に提示する金額を毎回相談して調整する,5) 政府の公共事業を多めの予算で受注した企業は,その利益の一部を自由民主党に献金する。それで自由民主党に毎年百億円単位のおカネが転がりこむ勘定です。

それは犯罪であるかもしれません。公共工事に入札する競争相手のあいだで,あらかじめ金額の調整が行われたことが,証拠にもとづいて明らかにされたならば,それは犯罪です。しかし,もしだれも口を割らないならば,証拠がありません。談合を行う企業の担当者たちは,堂々としていました。大企業の担当者たちは,豪華な会場を借りて談合を行いました。小さな企業の担当者たちは,役所の一室を借りて談合を行うことさえありました。彼らは,談合がばれないだろうと考えていました。納税者が一人あたり年間数百円ずつ間接的に損をしているものの,談合に関与している者たちはだれも損をしていないからです。もし正義感にあふれる者が告発を行ったとしても,自由民主党がそれを握りつぶしてくれるだろうからです。

それは金銭洗浄(ロンダリング)ではないでしょうか。公共事業費はどうせ多めに設定されているといっても,政府が土木業者に支払うまえに,その差額を自由民主党が手に入れるならば,それは犯罪です。しかし,その差額は結局自由民主党に還流します。それは素朴な意味での金銭洗浄ですが,実定法でロンダリングとは,はじめの行為が犯罪であるものをいいます。かりに,はじめに自由民主党の政治家が土木業者を集めて,談合して収益の一部を献金するように彼らに指示したことが,証拠にもとづいて明らかにされたならば,その政治家が還流した献金を受けとることは犯罪です。しかし,そんな証拠はだれからも出てきません。

しかし,公共事業費から企業を介しての献金は,証拠さえ揃えば犯罪でした。それをやめるために自由民主党が考えだしたのが,政党交付金です。面倒な迂回を省略して,自由民主党は国庫から直接カネを受けとる。そのことを合法化するために,議席数に応じて他の政党も国庫からカネを受けとるようにする。その制度が導入されたので,公共事業を請けおう企業からの献金は,現在禁止されています。

国庫から政党に助成金が出るというのは,転倒した制度です。政党は,国民の一定の部分の利益を代弁する私的機関ですから,政党の活動費は,それを支持する人々の献金によって賄われるべきです。自由民主党の党費は,年間 4,000 円。党費を 2 年以上支払うと,自由民主党の総裁選挙に投票できます。その有権者数が 91 万人ほど。自由民主党の本部は所属議員にたいして党員を増やすように繰りかえし指示していて,議員が入党させた党員の人数に応じてその議員を党内で優遇するしくみがあります。それでも,年間 4000 円以上を自由民主党に寄付することに応じる人数は,人口の 1 % に達していません。

自由民主党および彼らの率いる政府がたえず国民をもてなしてきたために,政党に献金する日本人はわずかです。ぼくがそのことを指摘すると,日本にはもともと献金という文化がないと反論されることがあります。しかし,それは真実ではありません。日本赤十字社や日本ユニセフ協会は,毎年 200 億円前後の寄付を受けています。自由民主党が国庫から受ける政党交付金は,国会の議席数によって増減しますが,100 億円から 200 億円。その程度の寄付をしてくれる支持者が,自由民主党にはいません。

日本企業の内部留保

株式会社の利益は,株主に分配されます。法人擬制説に従うならば,株式会社の存在理由はそれに尽きます。企業のなかには,有能な労働者を集めるために他より多めの賃金を設定するところがあります。賃金を高めに設定すると,株主への配当が減ります。かといって賃金を低く抑えると,有能な人々がいなくなって企業の利益が減るかもしれません。賃金の水準が適正であるかどうかを判断する権利があるのは,まずは株主です。政府が設定する最低賃金は株主の権利への干渉ですが,それは補完的な制度です。

ところが,今日の日本経済では,企業の利益の無視できない割合が,資産として留保されます。それは新しい工場の建設に投資されるわけでなく,労働者に賃金として支払われるわけでなく,株主に配当されるわけでもありません。景気の変動によって容易に倒産することがないように,企業がある程度の資産を保有しようとするのは合理的な行動です。その資産は,土地や有価証券などの形態をとりますが,一部が銀行に預金されます。

市中銀行の社会的役割は,1) 大勢の人々からおカネを集める,2) 工場や店舗を増やしたら儲かりそうな企業におカネを貸して,利息をつけて返してもらう,3) その利息の一部を預金者に還元する,ことです。ところが,今日の日本経済では,工場や店舗を増やさず銀行に預金をする企業がたくさんあります。市中銀行の事業は,だれかにおカネを貸さないと成立しません。そこで,市中銀行は日本政府の赤字国債を購入します。政府は,税収の不足を借金(赤字国債)で賄うために,市中銀行に国債を販売しています。約束の期日が来たら,政府は銀行に借金を返済していますが,実際には,返済するおカネを工面するために新たな赤字国債を発行しています。

だれかもつれた糸をヒュッと引き奇妙でかみあわない人物たちをすべらかで自然な位置にたたせてはくれぬものだろうか──大島弓子『バナナブレッドのプディング』

ところで,日本政府はなぜそこまでして国債を発行しているのでしょうか。それをあたかも自然災害であるかのように語る人々がいますが,それは,自由民主党を与党の座に留めるためであるとぼくは考えています。近年,日本政府の借金額は毎年約 30 兆円ずつ増えています。もし政府が一人あたりの税額を平均 25 万円ずつ増やすならば,その借金は避けられます。言いかえると,日本政府は年間 25 万円を納税者にもてなしています。衆議院総選挙が 4 年に一度あるとするならば,選挙民は,一回の選挙ごとに 100 万円のもてなしを受けています。

自由民主党の率いる政府は,かつて食糧管理法で農民から高くコメを買いあげていましたが,農民の数が減ると,その制度を廃止しました。政府はかつて旧財閥の企業を守ろうとしていましたが,経済産業省が立てた原子力発電機輸出計画を信じたばかりに,東芝は解体を余儀なくされました。政府は,かつてサラリーマンを優遇しようとしましたが,いまは非正規雇用労働者が増えることを容認しています。結局のところ,自由民主党の率いる政府が一貫しているのは,米国の協力者であることだけです。ところが,かつての岸信介の時代とちがって,自由民主党以外の多くの政党が今日,米軍が日本に駐留していることを容認しています。

もうそんなもてなしは要らないから,自由民主党の率いる政府はさっさと 25 万円を増税して,自由民主党は選挙民に嫌われて政権の座から転落すべし,と訴える政治家が出てこないかなと,ぼくは長年思っています。そのさい,企業の内部留保の一部が,納税者の負担増を緩和するために利用される政策的誘導が必要です。市中銀行は,黙って国債を買っていればいい時代が終わったあと,新しい融資先を育てなければなりません。もし経済産業省が有能であるならば,彼らが方向を示してくれるでしょう。

ところが,2026 年 2 月に行われた衆議院総選挙では,どの政党も,自分たちは自由民主党よりもっと国民をもてなせると主張していました。自由民主党と彼らの率いる政府が国民をもてなしつづけたことが,日本の国政における政党制度をとりかえしのつかないほど歪めました。政党制度は行きづまっているとぼくは思います。

資料:マッカーサー死去にさいしての日本政府の反応

資料:ダグラス・マッカーサー死去にさいしての日本政府首脳の反応

池田隼人内閣総理大臣による弔電

ジョンソン大統領閣下、マッカーサー元帥の死去に際し、私は日本政府と国民に代り閣下と米国国民に対し、心から哀悼の意を表する。元帥は勇気ある愛国者、忠誠なる市民として、その生涯を通して祖国に輝かしく奉仕した。日本人はこの偉大な将軍を、軍人としてのみならず、友人として愛情をもって記憶している。第二次世界大戦後、マッカーサー元帥は勝者を代表して敗戦日本に臨み、同情と賢明さをもって日本の再建に献身された。夫人と他の遺族に対し衷心よりお悔み申上げます。

黒金泰美内閣官房長官による談話

ただ今マッカーサー元帥の訃報に接し、私は日本政府および国民に代り深甚な哀悼の意を表する。

元帥は連合国最高司令官として、日本に対する深い理解と国際情勢についての卓越した洞察力に基づく賢明にして思慮深い占領政策を推進することによって、日本における民主主義の確立と経済の再建に絶大な貢献をされた。当時戦火によって廃墟と化した日本と虚脱状態にあった日本国民が今日の繁栄と国際的地位を享受しているのは、その後の日本国民の立直りと努力によることはもちろんだが、元帥が当時諸方面からの反対に抵抗しつつその信念を貫き、日本の進路を誤りなからしめた功績に負うところがきわめて大きい。

マッカーサー元帥に今日の日本の隆盛ぶりを親しく見ていただくとともに、日本国民の感謝の意を表するために、元帥を日本に招きたいという動きが国民の間にあったのだが、その機を得ないままに、元帥の訃報に接したのは誠に残念である。

ここにつつしんで元帥のご冥福を祈るとともに、ご遺族に対して深いお悔みの言葉を贈る。

朝日新聞に掲載された吉田茂による追悼

マッカーサー元帥逝去の報をきき、衷心から悲しみと、哀惜の念にたえない。

元帥が日本を去って既に十有余年、多くの日本人は、終戦当時のあの悲惨な状態を忘れるとともに、わが国に対するマッカーサー元帥の恩義をも忘れがちではあるまいか。

敗戦の荒廃、きびしい食糧不足、政治、経済、社会制度の混乱、人心の不安定、そのような中で現在のわが国の繁栄の源となった新日本の基礎造りの上に残された、元帥の偉大な業績を私は忘れることが出来ない。今日から見れば、あるいは占領行政に種々の批判もあり得ようが、天皇制護持、日本分割占領拒否という、最も基本的なわが国存続の条件を、断固として守り抜いてくれた元帥のお陰で、われわれが今日の繁栄と平和を得ていることを、感謝しなければならないと思う。

私は、マッカーサー元帥の在任中、きわめてしばしば、元帥に接触する機会を得たため、その人柄には強い感銘を受けたものである。軍人の家庭に生れ、軍人としての教育を受け、軍人として最も輝しい経歴をもった人であるにかかわらず、きわめてすぐれた政治感覚をもった人であった。当時の困難な国内情勢と、きびしい占領行政方針の板ばさみに、私が困惑した際、元帥は私の素直な主張によく耳を傾けて、わが国情や、民族性を理解してくれたし、また米国政府の対日政策の中にも、わが国情に不適当なものは、わが国のために弁護者として、その阻止に努力してくれたのである。

元帥は、その回想記の中で、天皇陛下のお人柄に深く感銘したことを述べておられるが、われに天皇陛下、彼にマッカーサー元帥があったことが、占領下のわが国にとって、幸運であったことを疑うことは出来ないと信じている。

元帥がわが国を去り、帰国し、米国議会でかの有名な演説を最後に軍歴を引退して後、私は両三度ニューヨーク市をたずねて、元帥に会う機会を得たが、元帥は常に、わが国の復興成長に深い関心を持って、わが事のように喜んでおられた。

私は、わが国にとってこのように偉大な恩人を、ぜひ一度日本に迎えて、戦後二十年のわが国の繁栄を見てもらいたいと念願していたが、今となっては、これも果し得ぬ夢となった。

私は日米両国の友好親善の歴史の中に、マッカーサー元帥の名が、永久に残ることを信じて、元帥の御冥福を祈りたい。

The Japan Times on Tuesday, April 7, 1964

A cable conveying the condolecence of Emperor Hirohito and Empress Nagako on the death of Gen. Douglas MacArthur was sent to Mrs. MacArthur, widow of the deceased five-star general, Monday.

MacArthur died of acute kidney and liver failure at Walter Reed Medical Center, Maryland, early Monday morning Japan time. He was 84.

Japanese political leaders were also quick to send messages.

In a message to U.S. President Lyndon B. Johnson, Prime Minister Hayato Ikeda said: "I wish to express to the American people my deepest sympathies over the passing of Gen. MacArthur. The general, as a courageous patriot and a loyal citizen, served his country brilliantly throughout his life. The Japanese people remember him with affection not only a great soldier but also a friend of this country.

"Gen. MacArthur, representing the victors, dedicated himself with sympathy and farsightedness to the reconstruction of Japan after World War II. I wish to express my grief on the occasion of his death."

Foreign Minister Masayoshi Ohira, in a cable to Mrs. MacArthur, said: "The passing of your beloved husband is a source of painful sorrow for us in Japan. Now that he has performed his duties in this world, we pray that he will rest in peace."

サリンジャーのために,愛と吐瀉物を添えて

ライ麦畑』について。

ホーウィッツ

「12」に出てくるタクシー運転手のホーウィッツは,はじめ移民みたいなカタコトを話します。けど彼は移民じゃありません。主人公ホールデンの質問に苛々して,ついに彼は素で喋ります。

"I ain't got no time for no liquor, bud," he said. "How the hell old are you, anyways? Why ain'tcha home in bed?"
「一杯やってる暇なんかない」そいつ言いよってん。「ぼんぼん,いくつ? いま時分なんでうちで寝てへんの?」

彼は十分な教育を受けていないようです。TV はもちろんラジオで標準語を習得する機会さえなかったのでしょう。喋るとそのことがバレるので,ホーウィッツはふだん移民のふりをしてカタコト英語を喋っていると思われます。ホールデンはそれを察して,彼をこんなふうに評します。

He was about the touchiest guy I ever met. Everything you said made him sore.
あいつ,おれがいままで見たなかで,いっちゃん神経質な人間やったわ。なに言うても傷つきよんねん。

そのことを踏まえると,ホーウィッツが出てくるシーンはこんな感じです。

「すいません,運転手さん」おれ言うてん。「セントラル・パークの池,通ったことあります? セントラル・パーク・サウスのとこの」
「なんですか」
「池。ちっこい池みたいな,あそこにある。鴨おるとこ。分かるでしょ」
「はい,なんですか」
「えーと,池で泳ぐ鴨,分かります? 春とかに。あの鴨,冬なったらどこ行くんか,もしかして知りませんか」
「だれがどこに行きますか」
「鴨。もしかしてなんか知りませんか。だれかトラックかなんかで来てどっか連れていくとか,鴨が自分らでどっか飛んでいく──南のほうへ,とか」
ホーウィッツ,わざわざおれのほう振りむいて,おれの顔見よってん。めちゃくちゃ気短いタイプのやつやったわ。悪いやつちゃうかってんけど。「なんでわたしがそんなことを知っていないといけませんか」そいつ,言いよってん。「なんでわたしがそんなアホらしいことを知っていないといけませんか」
「まあ,機嫌直してえな」おれ言うてん。そいつ,なんかに傷ついてるみたいやってん。
「だれの機嫌が悪いですか。だれの機嫌も悪くありません」
そいつそんなんでアホみたいに神経質なるんやったら,おれ喋んのん止めとこ思とってん。せやのに,そいつまた自分で言いだしよってん。またわざわざおれのほう向いて言いよってん。「魚はどこにも行きません。魚はずっとそこにいます。アホみたいに池のなかに」
「魚は──違う。魚は違う。鴨のこと言うてんねん」おれ言うてん。
「なにが違いますか。なにも違いません」ホーウィッツ言いよってん。なんかずっと傷ついてるみたいな口調やったわ。「魚のほうがきついです,冬は,鴨のほうより,アホンダラ。頭を使いなさい,アホンダラ」
おれ,一分ぐらい黙っとってん。ほんで言うてん。「分かった。ほしたら冬に魚はなにしてるんですか,あの小さい池がまるごと氷のかたまりなって,みんなが上でスケートとかしてるとき」
ホーウィッツ,また振りむきよってん。「魚はなにをしているは,どういう意味ですか」怒鳴ってきよってん。「魚はずっとそこにいます,アホンダラ」
「けど魚かて,氷ないふりはでけへんやん。氷は無視でけへんやん」
「だれが氷を無視しますか。だれも氷を無視しません!」ホーウィッツ言いよってん。アホみたいにカッカしとったから,街灯かなんかにタクシーぶつけよんのちゃうかて心配なったわ。「魚はアホみたいに氷のなかで生きています。それが魚の本性です,アホンダラ。冬のあいだずっと魚は氷のなかの一か所で凍っています」
「そうなん? ほしたら,なに食うてんのん。カチコチに凍ってるんやったら,餌探すん泳いでいかれへんやん」
「体があります,アホンダラ──なにが問題ですか。魚の体は栄養を取りいれます。アホみたいに氷のなかにある水草やウンコから。魚は毛穴をずっと開けています。それが魚の本性です,アホンダラ。わたしが言っていることが分かりますか」ほんで,また振りかえって,おれの顔見よってん。
「ああ」おれ言うてん。もう放っといてん。タクシー,アホみたいにどっかぶつけるんちゃうかて心配やったし。せやし,そいつめちゃくちゃ神経質なやつやから,議論する喜びいうもんがなかってん。「どっかで降りて,いっしょに一杯やっていきましょか」おれ言うてん。
けど,返事せえへんかってん。いま思たら,ずっと考えとおった思うわ。ほんで,もっかい訊いてみてん。 運転手,かなりええやつやったわ。かなり,おもろかったわ。
「一杯やってる暇なんかない」そいつ言いよってん。「ぼんぼん,いくつ? いま時分なんでうちで寝てへ んの?」
「眠たないねん」
アーニーズの前着いて運賃払たら,ホーウィッツまた魚のこと言うてきよってん。たぶんずっと考えとったんやわ。「あんな」ホーウィッツ言いよってん。「かりに,ぼんぼんが魚やとしょ。ほたら母なる自然は,ぼんぼん守ってくれるわ。せやろ。ほな,魚かて,冬なったからて死なんわ」
「そらそうやけど──」
「せやろ,死なんわ」ホーウィッツ言うて,地獄から飛びたつ蝙蝠みたいに発進していきよってん。あいつ,おれがいままで見たなかで,いっちゃん神経質な人間やったわ。なに言うても傷つきよんねん。

鴨が冬のあいだどうしているかという答えは,のちに読者にたいしてホールデン自身が明かすことになります。「16」で,自然史博物館のことを彼が思いだすくだりで,鳥たち(birds)は南に飛んでいくと彼自身が語っています。けど,それが,さっきの問いの答えだと彼は気づいてない。サリンジャーホールデンをからかってるとこです。


 

What's the matter?

この小説の登場人物たちは,よく what's the matter? と言います。かりにこの小説が映画化されるとするならば,彼らが what's the matter? と言ってるところをつなぐだけで予告編ができることでしょう(実際には作者が映画化を拒否して,この小説は映画への悪口に満ちています)。

「2」で,スペンサー(歴史の老先生)がホールデンに。

It started, all right. "What's the matter with you, boy?" old Spencer said. He said it pretty tough, too, for him. "How many subjects did you carry this term?"
けど,話始まったわ。「おまえ,いったい,なにが問題やねん」スペンサー言いよってん。あいつにしては,かなり厳しい口調やったわ。「きみは,今学期,何科目受講しとったんや」

「6」で,ストラドレーター(同室の上級生)がホールデンに。

He had hold of my wrists, too, so I couldn't take another sock at him. I'd've killed him.
"What the hell's the matter with you?" he kept saying, and his stupid race kept getting redder and redder.

それに,おれ,手首,両方とも掴まれとってん。おれがもう一発殴るかもしれんから。そうやなかったら,おれ,あいつのこと殺しとったわ。
おまえ,なにが問題やねん」あいつ,そればっかり言うて,アホな顔どんどん赤なったわ。

「7」で,アクリー(隣室の上級生)がホールデンに。

"Hey, Ackley!"
He heard that, all right.
"What the hell's the matter with you?" he said. "I was asleep, for Chrissake."

「ちょっと,アクリー!」
やっと起きよってん。
なんやねん,おまえ」あいつ言いよってん。「おれ寝とってんぞ」

「11」で,ホールデンがジェーン(隣の別荘にいた女の子)を思いだしながら。

I asked her, on the way, if Mr. Cudahy--that was the booze hound's name--had ever tried to get wise with her. She was pretty young, but she had this terrific figure, and I wouldn't've put it past that Cudahy bastard. She said no, though. I never did find out what the hell was the matter. Some girls you practically never find out what's the matter.
その途中で,おれ,ジェーンに,いままでカダヒーさんに──その酒飲みのおっさんな──なんか嫌なことされそうなったことあんの,て訊いてみてん。ジェーン,まだ幼いけど,すごい体型ええから,カダヒーのおっさんやったらやりかねへん思てん。けど,ジェーン,そんなんない,言いよってん。なにが問題なんかぜんぜん分からんかったわ。なにが問題なんかホンマぜんぜん分からん子ておんねん。

「12」で,ホーウィッツ(タクシー運転手)がホールデンに。

"Yeah? What do they eat, then? I mean if they're frozen solid, they can't swim around looking for food and all."
"Their bodies, for Chrissake--what'sa matter with ya?

「そうなん? ほしたら,なに食うてんのん。カチコチに凍ってるんやったら,餌探すん泳いでいかれへんやん」
「体があります,アホンダラ──なにが問題ですか

「13」で,サニー(娼婦)がホールデンに。

She came over to me, with this funny look on her face, like as if she didn't believe me. "What'sa matter?" she said.
そいつ,おれのほう来て,ホンマのこと言うてへんやろみたいなヘンな顔しよってん。「なにが問題なの」そいつ言いよってん。

「14」で,ホールデンがモーリス(ポン引き)に。

"What's the matter? Wuddaya want?" I said. Boy, my voice was shaking like hell.
"Nothin' much," old Maurice said. "Just five bucks." He did all the talking for the two of them. Old Sunny just stood there next to him, with her mouth open and all.

なんですか。なんの用ですか」おれ言うてん。ううわあっ,声めちゃくちゃ震えとったわ。
「たいした用ちゃう」モーリス言いよってん。「五ドル払てもらおか」ふたりおったけど,モーリスだけ喋りよってん。サニー,隣立って,口開けとったわ。

「17」で,ホールデンがサリー(つきあっている女の子)に。

"Because you can't, that's all. In the first place, we're both practically children. And did you ever stop to think what you'd do if you didn't get a job when your money ran out? We'd starve to death. The whole thing's so fantastic, it isn't even--"
"It isn't fantastic. I'd get a job. Don't worry about that. You don't have to worry about that. What's the matter? Don't you want to go with me? Say so, if you don't."

「あんたがそんなんでけへんからやん,それがすべてやわ。そもそもわたしらふたりとも実際は子どもやねん。あんた,自分がお金なくなったときもし仕事見つかれへんかったらどうしようて立ちどまって考えたことあるん? あんたが仕事見つかれへんかったら,わたしら餓死すんねんで。そんなん全部絵空事やん──」
絵空事なんかちゃうわ。もしそうなったら仕事見つけるわ。そんなん心配すんな。おまえはそんなん心配せんでええねん。なにが問題やねん。おれと行くのが嫌なんか。嫌やったらそう言うて」

「23」で,ホールデンがフィービー(妹)に。

"Oh, I wouldn't've burned your hand. I'd've stopped before it got too--Shhh!" Then, quick as hell, she sat way the hell up in bed.
She scared hell out of me when she did that. "What's the matter?" I said.
"The front door!" she said in this loud whisper. "It's them!"

「いや,お兄ちゃんの手火傷させたろとは思てなかったわ。熱なったら止めたろ思──シー」ほしたら,急にばって起きあがってベッドのなかで座りよってん。
突然なんや思て,おれめちゃめちゃびびったわ。「なんや。なんか問題あんのか」おれ言うてん。
「うちの戸や!」あいつ息だけではっきり聞こえるように言いよってん。「帰ってきた!」

「24」で,アントリーニ先生(以前に在籍していた学校の先生)がホールデンに。

"I left my bags and all at the station. I think maybe I'd better go down and get them. I have all my stuff in them."
"They'll be there in the morning. Now, go back to bed. I'm going to bed myself. What's the matter with you?"

「駅にカバンとか置いたままにしたあるんです。たぶんそろそろ取りに行ったほうがええ思うんです。なんやかや入ってるから」
「それは朝なってからでかまへんやろ。ほら,もっかい寝。ぼくも寝るわ。なにが問題やねん

ライ麦畑』の成立過程を調べればわかるとおり,その小説が出版される 10 年前に,作者サリンジャーは『ライ麦畑』の「17」にそっくりな短編小説を雑誌編集部に送っていました。「マディソンのはずれで起きた些細な造反」と題されたその短編で,主人公ホールデンは,クリスマス休暇中にサリーに会い,駆けおちしようと彼女に言って上で引用したのとほとんど同じ会話を交わします。『ライ麦畑』ではそれに至るまでに 100 ページを越える彼の語りが配置されているのにたいして,その原型の短編小説で描かれるのはふたりのデートから。『ライ麦畑』がホールデンの一人称で語られているのにたいして,その短編小説は三人称で語られます。短編小説の読者にとって,若い男性がなんらかの危機に瀕していると察することはできても,彼に共感することは容易でないでしょう。『ライ麦畑』は,ホールデンがなんでマディソンのはずれで社会から逃げだしたがっているかを,あとから書きたしたものです。サリンジャーはその後,短編小説「バナナフィッシュにぴったりの日」でシーモアが自殺した理由を描くためにグラス家の大河小説に着手しましたが,そちらは未完に終わりました。

そんな事情があるために,『ライ麦畑』の成立過程で最初に発せられた what's the matter? は,「17」でホールデンがサリーに言うぶんです。どの口が言う。他の登場人物たちがホールデンにそう言うのは,ツッコミのようなものです。


 

ナレーションにおける現在時制

ライ麦畑』のナレーターは,ホールデンです。彼は,だれに語っているか。多くの一人称小説で,ナレーターは読者に語ります。一方,ホールデンは次のように言います。

I'll just tell you about this madman stuff that happened to me around last Christmas just before I got pretty run-down and had to come out here and take it easy.
-- 1

A lot of people, especially this one psychoanalyst guy they have here, keeps asking me if I'm going apply myself when I go back to school next September.
-- 26

ホールデンが「ここ(here)」と呼んでいるのは,西海岸にある療養施設であると示唆されています。彼がその施設のなんらかの職員に語るという設定で綴られたものが,この小説です。そのため,読者に語る一人称小説においてならば意味をなさないであろう表現が,『ライ麦畑』に現れます。たとえば「7」で。

Anyway, that's what I decided I'd do. So I went back to the room and turned on the light, to start packing and all. I already had quite a few things packed. Old Stradlater didn't even wake up. I lit a cigarette and got all dressed and then I packed these two Gladstones I have. It only took me about two minutes. I'm a very rapid packer.
とにかくそうしよ思てん。せやから部屋戻って電気点けて荷物まとめてん。もうだいたい詰めとってんけどな。ストラドレーター,ずっと寝とったわ。煙草点けて,服着て,ここにも持ってきたグラッドストーンのカバンふたつに荷物詰めてん。二分で終わったわ。おれ,荷物詰めんの早いねん。

こういった現在時制が与える違和感のおかげで,この小説の読者は,いまホールデンの目のまえにあるものは学校の寄宿舎でないと思いだします。現在流通している日本語版で,そういった効果が無視されているのは残念なことです。


 

It's a secret between he and I

アントリーニ先生は「24」で,転落したホールデンが 30 歳のときどうなってるかを想像して,彼に次のように語ります。

"It may be the kind where, at the age of thirty, you sit in some bar hating everybody who comes in looking as if he might have played football in college. Then again, you may pick up just enough education to hate people who say, 'It's a secret between he and I.' Or you may end up in some business office, throwing paper clips at the nearest stenographer.
「三十歳ぐらいで,どっかのバー座って,客がまるで大学でフットボールやってましたみたいな顔で入って来たら,そいつらのこといちいち嫌うようになる転落かもしれん。けどあいにくきみは教育を受けて,'It's a secret between he and I' とか言うようなひとらのことを嫌うようにもなってるやろ。それか,きみはどっかの会社入って,近くのタイピストにクリップ投げつけるような人間になりはててるかもしれん」

十分な教育を受けていない人々が言いそうな文としてアントリーニ先生が例に挙げる It's a secret between he and I は,教育のある人々が受けいれている文法に則って修正すると It's a secret between him and me です。それと同じ,代名詞の格の誤用を,ホールデンも行っています。

たとえば,「22」で。

"He was all out of breath from just climbing up the stairs, and the whole time he was looking for his initials he kept breathing hard, with his nostrils all funny and sad, while he kept telling Stradlater and I to get all we could out of Pencey."
おっさん階段昇っただけで完全に息切れとってん。頭文字探しとおるあいだ,ずっと音立てて息しとおってん。鼻の穴,おもろい形なったり悲しい形なったりしとってん。せやのにストラドレーターとおれに,ペンシーで身につけれるもんは全部身につけとけよ言いよんねん。

ホールデンが興奮して長文を喋っている一部ですが,太字の部分は Stradlater and me であるべきです。続いて「23」で。

I think I probably woke he and his wife up, because it took them a helluva long time to answer the phone.
いま考えたら,おれたぶん先生と奥さん起こしてしもてん。電話出るまで,めちゃめちゃ時間かかってん。

この太字の部分は him and his wife であるべきです。

現在流通している日本語版で,そういった効果が無視されているのは残念なことです。


 

オチ

サリンジャーが発表した長編小説(novel)は,『ライ麦畑』のみ。それ以外に彼が発表したものは,短編小説(stories)です。最初はハードカヴァーの本になるのが,長編小説。はじめ雑誌に掲載されるのが,短編小説です。

ライ麦畑』は,26 の部分から成りますが,それぞれの部分は「部(part)」とも「章(chapter)」とも呼ばれていません。数が表示されているだけ。上述のように,その一部は,いったん独立した短編小説として書かれました。

ライ麦畑』の 26 の部分のなかには,オチがついているものがいくつかあります。たとえば,ホールデンが予定を早めて寄宿舎を出ていく「7」の最後。

"Sleep tight, ya morons!" I'll bet I woke up every bastard on the whole floor. Then I got the hell out. Some stupid guy had thrown peanut shells all over the stairs, and I damn near broke my crazy neck.
「よう寝ろよ,このアホども!」あの階の全員起こしたった思うわ。ほんで,おれ出ていってん。どっかのアホが階段じゅうにピーナッツの殻捨てとおったから,もうちょっとでアホみたいに首折るとこやったわ。

ピーナッツの殻で滑って転びそうになった,というホールデンの発言で,続く「8」の冒頭は雪景色に一転します。きれいなオチです。

「23」で,両親に内緒で自宅に忍びこんで妹に会ったあと,ホールデンはアパートメントの裏階段をこっそりと歩いて降ります。彼はそのとき,また転びそうになります。

I walked all the way downstairs, instead of taking the elevator. I went down the back stairs. I nearly broke my neck on about ten million garbage pails, but I got out all right. The elevator boy didn't even see me. He probably still thinks I'm up at the Dicksteins'.
下までエレヴェーター乗らんとずっと歩いて降りてん。裏の階段。ごみバケツ一千万個ぐらいあって,つまづいて首折りかけたけど,なんとか無事に外出てん。エレヴェーター係,会えへんかったわ。あいつたぶんいまでもおれディックステーンさんとこおる思とおるわ。

続く「24」の冒頭で,アントリーニ先生のアパートメントに舞台が移ります。

それらは場面を円滑に転換するためのオチですが,「8」のオチはなんなんでしょ。「7」で寄宿舎に一方的に別れを告げたあと,ホールデンは「8」で駅まで雪道を歩いて汽車に乗ります。途中で,上品な中年女性がその汽車に乗ってきます。彼女は,ホールデンが退学になったばかりの学校で同学年だった生徒モローの母親であるとわかります。ホールデンは,その生徒のことを嫌っていますが,自分の相手をしてくれる女性のことを(母親以外ならば)だれでも好きになるので,モローの母親に煙草を勧めてカクテルを飲みにいこうと誘います。彼は,彼女の気を引くために,モローのことを口から出まかせで誉めますが,彼女はホールデンに深入りしないほうがいいと察して,会話が途絶えます。やがて彼女が先に列車を降りるとき,彼女は社交辞令で,ホールデンに,夏休みにうちに遊びに来てねと誘います。ホールデンは,感謝して,夏休みは南米に行く予定があると答えます。それから彼は,この話を語っている相手に,たとえ世界中のお金をもらってもモローのとこなんか行かないと付けくわえます,こんなふうに。

But I wouldn't visit that sonuvabitch Morrow for all the dough in the world, even if I was desperate.

ふだんサナヴァビッチ(雌犬の息子)という罵倒語を使ってるので,ホールデンはここでモローをそう形容します。おまえ,その雌犬のこと好きなんちゃうの?


ライ麦畑で捕まえるやつ

この長編小説の題名は,「22」における次の独白に由来しています。

「『ライ麦分け来る子捕わば』いう歌あるやん。それ──」
「それ,『ライ麦分け来る子と会わば』やん」フィービー言いよってん。「それ詩やん。ロバート・バーンズの」
ロバート・バーンズの詩いうんは,おれかて知ってるわ」
あいつの言うとおりやってん。たしかに「ライ麦分け来る子とあわば」やねん。けどおれ,そんときそれ知らんかってん。
「『捕わば』や思とったわ」おれ言うてん。「とにかく,ライ麦のでっかい畑とかで小さい子どもらがみんななんかして遊んでるとこ,おれよう想像すんねん。小さい子何千人もおって,まわりだあれもおれへんねん──大人おれへんねん──おれ以外。ほんでおれアホみたいな崖の端んとこ立ってんねん。子ども崖から落ちそうやったら,おれその子捕まえんねん,それがおれの役やねん──子ども走っとって,そっち行ったらどうなるか見てへんかったら,おれどっかから出ていって,その子捕まえんねん。おれ一日中それだけやってんねん。おれライ麦畑でそうやって子ども捕まえるやつとかなりたいねん。気狂てるんは分かってるけど,おれホンマなりたいんてそれだけやねん。気狂てるんは分かってるけど」
フィービーしばらく黙っとおってん。ほんでなんか言う思たら,「お兄ちゃん,お父さんに殺されてまうやん」言いよってん。

なので日本語でも題名は『ライ麦畑で捕まえるやつ』がいいのではないでしょうか。

ライ麦畑で捕まえるやつ

「四月は残酷な月」と言ったのはマリー

このところ,疫病にそなえて遺言シリーズを書いてるんで,これも言っとこ。T. S. エリオットの「荒地」(The Waste Land)の冒頭で,April is the cruellest month と言ってるのはだれ。冒頭のスタンザの後半は貴族のマリーの発言であることが明白だから,四月は残酷だと言ってるのはマリーだとわたしは思います。女性。The Waste Land には複数のナレーターがいるけど,どの部分でも,ひとつのスタンザを語ってるのはひとり。

なのに,これまでの日本語訳では,男性が,四月は残酷と言ってるていになってる。あれ,女性に変えたほうがいいと思います。

訳文をウェブ上で公開していいのかどうかわかんないけど,エリオットが亡くなってから 50 年以上経ってるし,原文があちこちのサイトに掲載されてるんで,ここにわたしの訳文を貼っときます。エリオットの著作権についてはともかく,わたしの翻訳著作権は放棄します。そんなんどうでもいいから,IV. Death by Water の色彩が,西脇順三郎Ambarvalia に影響してるのを見て。


荒地

T. S. エリオット
1922

「かつて私はこの目で,吊るした壷に入りこんでいる
クマエの巫女を見たことがある,子供が,巫女よ,
なにがしたいと尋ねると,彼女は答えた,もう死にたいんだよ」

私の及ばぬ匠
エズラ・パウンド


I. 死者を埋める

 四月が一番残酷な月ですよ。四月は,  
死んでしまったこの大地にライラックを育てますし,思い出に  
欲を混ぜて,くたびれた根を  
春の雨で揺さぶります。  
冬は暖かでした。雪が積もれば  
地べたのことは忘れましたし,小さな命は  
萎びた芋にありつけました。  
夏はわたくしたちを驚かせました,シュタルンベルク湖の向こうから  
大粒の雨を連れて来ました。わたくしたち,軒下でひと休みして,  
また日向を歩き,ホフガルテン 10
コーヒーをいただいて,一時間ほど話をしました。  
ワタクシろしあジンジャゴザイマセンノ,ウマレハりとあにあデスケド,レッキトシタどいつジン。  
子供のころ,オーストリア大公の御殿にお邪魔して,  
従兄妹なのよわたくしたち,大公がわたくしを橇に乗せて連れだしましたの。  
それは怖くて。マリー  
マリー,しがみついてなって。そして滑ったの,二人で。  
山では自由な気分になりますね。  
ふだんは本を読んでおります,夜はたいてい。冬は南にまいります。  
   
 このしぶとい根は何者か,石屑に  
生えている木は何者か。人の子よ, 20
おまえには分かるまい,思いもよるまい。色と形の残骸しか  
おまえは知らないから。おまえに見えるのは,光を打ちつける太陽,  
影のない枯れ木,鳴かないコオロギ,  
せせらぎの音を立てない砂まみれの石。ただ  
この赤い岩に影ができている,  
(この赤い岩の影に来い),  
わたしはおまえに見せてやろう,  
朝おまえに大股でついてくる影とは違う,  
夕方おまえを迎えにくる影とは違うものを。  
ひと握りの土のなかに恐怖を見せてやろう。 30
     クニモトヘムカフ  
     ヨキカゼイデタリ  
     ワガあいるらんどノワラハ  
     イヅコカサマヨフ  
「一年前はじめにヒヤシンスをくださいましたね,  
「みんなにヒヤシンス娘ってひやかされましたのよ」  
──けれど,ふたりで遅くなって,ヒヤシンス畑から帰ってきたとき,  
おまえは両腕に花を抱え,髪は濡れ,おれは  
なにも言えなかった,なにも目に入らなかった,あのときおれは  
生きてなかった,死んでもいなかった,どうしていいか分からず, 40
光の芯を見ていた,沈黙を。  
ウミハアレテムナシ  
   
 千里眼で有名なマダム・ソソストリスは,  
ひどい風邪をひいていましたが,  
ヨーロッパ一霊感が強いと評判です。  
不気味なカードを並べて彼女は言いました。これが  
あなたのカード,溺死したフェニキアの「水夫」,  
(これがその水夫の目だった真珠ですよ,ほら!)  
これは「ベラドンナ」,岩窟の貴婦人,  
状況を支配します。 50
ここにいるのが三本の杖を持つ男,これは「運命の輪」,  
そしてここに隻眼の商人がいますね,このカードは  
空白ですが,この商人が背負ってる物という意味です,  
それがなにかを見ることはわたしには禁じられています。「逆さ吊りの男」が  
見当たりませんね。水死にお気をつけください。  
大勢の人が輪になって歩いているところが見えます。  
これはお気遣いいただきまして。もしエクイトーン夫人にお会いでしたら,  
運勢図はわたしが自分でお持ちしますとお伝えください。  
このごろはなにかと物騒ですから。  
   
 現実でない町, 60
冬の朝を包む茶色い霧のなか,  
ロンドン橋を大勢の人が流れてきた,こんなにも,  
死がこんなに大勢を連れてきているとわたしは思っていなかった。  
彼らは時々短い溜息を吐いていた。  
だれもが足先を見ていた。  
ウィリアム王街の坂を上って下り,  
聖母ウルノス教会が告げる九時の鐘は  
最後の音が響かなかった。  
顔見知りを見つけて,わたしは大声で呼びとめた。「ステットソン!  
「ミュラエ沖海戦のわが戦友! 70
「去年おまえが庭に植えたあの死体,  
「あれ,芽が出たか。今年,花が咲きそうか。  
「それとも,霜が下りて苗床がやられたか。  
「おい,『犬』を近づけるな,犬は人間の味方だが  
「近づけると爪で掘りかえすぞ!  
「おい! ギゼンノドクシャ!──ワガドウホウ──ワガキョウダイヨ!」  

II. チェスを一局

 彼女の 座る 「椅子」 眩い 玉座のように  
大理石の 床に 映っていた 床に 立つ 鏡の  
柱に 葡萄の 彫刻  
金色 キュピドンが 蔓の 外を 見ていた 80
(片方の 翼で 目を 覆った もうひとり)  
七叉の 燭台 鏡の なかに もうひとつ  
灯り 食卓で 撥ねかえり  
それを 彼女の 宝石の 光が 昇って 迎えていた  
あふれる 繻子の 箱から。  
象牙の 瓶 色ガラスの 瓶  
栓が 開いて 彼女の 妙な 合成 香料が 潜んでいた  
軟膏 粉 液--臭覚が 戸惑い 誤って  
溺れた。 窓から 入る  
いい 風に 揺さぶられ 臭いが 90
炎たちを 膨らませて 伸ばし  
煙が ラクェアリアに ぶつかって  
格天井の 模様が 揺れた。  
大振りの 流木 銅が くべてある  
緑と 橙の 炎 色の ある 枠の 石  
寂しき 灯りに 照らされて 海豚の 姿 泳ぎたり。  
老けこんだ 暖炉の 上に  
窓から 森の 景色が 見えるように  
ピロメラの 変身譚の 絵が 飾られていた,あの 下卑た 王に  
無残な 目に 遭わされた。 しかし 声は 奪われなかった 100
夜鶯の 声は 荒野の 隅々に 届いた  
彼女は ずっと 鳴いていた それを いまなお 世界は 探している  
汚れた 耳に 「ジャッジャッ」と。  
壁では ほかにも 時が 萎れた 痕跡が  
語られていた。目を 見張った 形相で  
部屋を 囲む 像 前のめりで 見下ろして 音を 封じていた。  
階段で 足音 もつれた。  
灯火の 下 ブラシの 下 彼女の 髪が  
炎みたいに とがって 広がり  
光を 放って 言葉に なった そのあと 髪は 森の ように 静かに なることだろう。 110
   
 「今夜は嫌なことばかり考えてしまいます。そう,嫌なことばかりを。お願い,いっしょにいらして。  
 なにかおっしゃって。どうしてなにもおっしゃらないの。なにか。  
  なにをお考えですか。どんなこと。なにを。  
 あなたがなにを考えてらっしゃるのか,わたしは分かったためしがありません。なにかお考えになって」  
   
 わたしの考えていること。ここは鼠たちの裏通り,  
死んだら骨を持っていかれる。  
   
 「なんの音かしら」  
     扉の下を風が抜ける音。  
「いまのなんの音なのかしら。風がなにをしてるの」  
     なんでもない,ほらまたなんでもない。 120
          「あなた,  
なにもお分かりでありませんの。目はお見えなの。なにも  
覚えてらっしゃらないの」  
     わたしの覚えてること。  
これがその男の目だった真珠。  
「あなた,生きてらっしゃるの,どうなの。頭がからっぽなのかしら」  
          いや,  
おおおおあのシェークスピア風のラグタイム──  
あれは素晴らしい。  
じつに知的だ。 130
「わたし,どうすればいいの。なにをすれば。  
髪を垂らして,このまま外へ飛びだして,  
表通りを歩きますか。明日はなにをしましょう。  
これからずっとなにをしましょう」  
          十時に風呂。  
それから雨なら四時に天蓋付き自動車。  
それからチェスでも指そうか,  
瞼のない両目を押さえて,だれかが扉を叩くのを待ちながら。  
   
 リルの旦那が除隊したときさ,あたしゃ言ってやったよ──  
ずばっと言ってやったんだよ,面と向かってあのこに。 140
そろそろお時間です  
アルバートが帰ってくんだから,ちょっと考えなって。  
あのこアルバートに歯治すお金もらってたのよ,  
あたしゃこの目で見てたんだ,あのお金どうしたってきかれるよって。  
リル,いっそ全部抜いてさ,いい入れ歯拵えな,  
旦那が言ったろ,あたしゃはっきり覚えてるよ,おまえの姿は見るに忍びないって,  
旦那の言うとおりだってあたし言ってやったんだ,アルバートの身になってごらんよ,かわいそうにって,  
四年も兵隊に行っててさ,ようよう一息吐けるってのに,  
あんたにその気がないんならどっかほかの女んとこ行っちまうよって。  
そしたらさ,そんな女いるかしら,だって。そりゃ知れないよって言ったら, 150
だったらその女に礼を言うよって,あたしのこときっと睨みつけんのよ,あのこ。  
そろそろお時間です  
その気がなくても上手におやりよって。  
あんたがやんなきゃだれかがさらってくの。  
アルバートが出てったら,ああやっぱりってみんなが言うよ。  
そんな老けたなりしてみっともないと思いなよって。  
(だってあのこまだ三十一よ)  
あのこ,もうやめてって泣きそうな顔で,  
薬のせいだって言うんだ,堕ろすのに飲んだ。  
(もう五人いて下のジョージのときにゃ死にかけたから。) 160
薬剤師は大丈夫って言ってたのに,あれからずっと調子がおかしいの。  
あんたは本当の大馬鹿よって言ってやったよ。  
よしんばアルバートがあんたを放っておかなくたって,あんたが馬鹿なのは変わりないさって。  
子供が欲しくないなら結婚なんかなんですんのさ。  
そろそろお時間です  
けどアルバートが日曜に帰ってきたときさ,あのこたちハムを焼いて,  
ぜひごいっしょにってあたしをよんでくれて,熱々のおいしいとこを──  
そろそろお時間です  
そろそろお時間です  
おやすみビル。おやすみルー。おやすみメイ。おやすみ。 170
ありがと,ありがと。おやすみ。おやすみ。  
おやすみなさい,奥様方,おやすみなさいませ,うるわしい奥様方,おやすみなさい,おやすみなさい。  

III. 燃える火の教え

 川の天幕が壊れています。最後に残っていた一房の葉が  
河原の泥を掴んで沈んでいきます。枯れた草原に  
風が吹いています,音もなく。妖精たちはどこかに行ってしまいました。  
うるわしきテムズ,静かに流れよ,わたしが歌いおえるまで。  
川には空き瓶がありません,サンドウィッチの包み紙も,  
絹のハンカチも,段ボール箱も,煙草の吸い殻も,  
夏の夜の面影がありません。妖精たちはどこかに行ってしまいました。  
そして彼女たちとともにいた,至る所に出没するあのシティーの重役の御曹司たちも 180
どこかに行ってしまいました,住所を明かさず。  
レマン湖の畔に座ってわたしは涙を落としました。  
うるわしきテムズ,静かに流れよ,わたしが歌いおえるまで,  
うるわしきテムズ,静かに流れよ,声を控えるから,すこしのあいだだけ。  
けれど背後の突風に  
骨がかたかた鳴るのが聞こえます,そして両方の耳まで開いた口が笑うのが。  
   
鼠が一匹這っていました,そっと草を押しわけて  
腹を河原の泥に擦りながら,  
そのときわたしはくたびれた運河で釣をしていました,  
冬の陽が沈むころ,ガス工場の裏で, 190
わが兄上である王が難破されたことを,  
さらにその前に,わが父上である王が亡くなったことを反芻しながら。  
道端の低い湿地には死体たちが白い腹を晒しています,  
天井の低い乾いた屋根裏に骨が散らばっています,  
そしてあの鼠が歩くときにだけ骨は音を立てます,何年も何年も。  
けれど背後に時折  
警笛とエンジンの音が聞こえます,  
スウィーニーがポーター夫人のいる泉に行くのでしょう。  
ああ,月影に浮かぶポーター夫人  
娘を連れて。 200
ラムネの泉で足をざぶざぶ洗います。  
ソシテアア,マルテンジョウカラキコエルワラベノウタゴエ!  
   
トゥイトゥイトゥイ  
ジャッジャッジャッジャッジャッジャッ  
無残な目に遭わされた。  
テレウスめ  
   
 現実でない町,  
冬の正午を包む茶色い霧のなか,  
あのスミュルナの商人,髭を伸ばし放題にして  
C.i.f. ロンドン:文書一覧交換 210
の干葡萄を片方のポケットに詰めこんだエウゲニデス氏は  
俗フランス語でわたしを  
キャノン・ストリート・ホテルの昼食に誘い  
週末はメトロポールでいかがと言ってきた。  
   
 菫色になるとき,机から  
両目と背中が捩りながら起きあがり,人間の発動機が  
どっどっどっと客を待つタクシーのように震えだすとき,  
わたくしことティレシアス,二生のあいだで生きる盲の老人,  
男ながら乳房は女で萎びている,とはいえ,菫色になるとき,  
ひとが家路を急ぎ, 220
船乗りが海から戻る夕暮れになると,  
見える,タイピストが家でお茶を一服して,朝ごはんの後片付けをし,ストーヴに  
火を入れて,ブリキ皿に夕食を並べるのが。  
窓の外に危なげに干してある  
彼女の下着が太陽の最後の光を浴び,  
靴下と部屋履きとキャミソールとコルセットが  
寝椅子に放ってある(夜はそこで寝る)。  
わたくしことティレシアス,乳房の萎びた爺は,  
その光景が分かった,そのあとのことも──  
その男をわたしも待つことにした。 230
面皰のあるその若者がやって来る,  
小さな不動産屋のぎょろ目の店員,  
ブラッドフォードの成金がかぶるシルク・ハットのように  
自信を頭に乗せた下層民。  
いよいよ好機が訪れた,それは男にも分かった,  
食事が終わり,女は疲れて気が抜けている,  
愛撫の前触れは,  
咎められなかった,かりに女が望んでいないとしても。  
よしと男は赤い顔で一気に攻める。  
前進する両手に応戦なし。 240
反応がなくても男は気にせず,  
無関心を歓迎する。  
(そしてわたくしことティレシアス,この寝椅子だか寝床で行われたことと  
かつて同じ目に遭った。  
テーバイの城壁の下に座し  
無残な死者たちのあいだを歩いていたわたしは。)  
横柄な接吻を最後にひとつ決め,  
男は縦に手探りし,階段に目をやって照明が消えていることを確かめる……  
   
 女は振りむいてすこし鏡を覗く,  
帰っていった男を思っているのではない。 250
言葉になる前の思いが彼女の脳を過ぎる。  
「ああ済んだ,終わってよかった」  
かわいい女がはしたない騒ぎを終えて  
ひとりで部屋を歩くときは,  
手が勝手に髪を梳き,  
蓄音機にレコードを置くものだ。  
   
 「あれは,水面に漂っていたわたしに,波を伝って聞こえてきた歌だ」  
そして,ヴィクトリア女王通りを越えてストランドにも。  
おおシティーじゃ,シティー,下テムズ通りにある  
酒場の前を通りかかると,わたしには 260
小気味良いマンドリンの音や  
食器の音,大きな話し声が聞こえることがある。  
漁師たちの正午の憩い。その近くでは,  
殉教者マグヌス教会の内壁が  
言うに言われぬ壮麗なイオニア調の白と金を湛えている。  
   
     油とタールは  
     この河の汗  
     艀は満ち干に  
     持ってかれるよ  
     赤い帆よ 270
     広がって  
     丈夫な柱で風下へ跳ねあがれ。  
     艀ざぶざぶ  
     丸太を運ぶ  
     グリニッジあたりまで  
     ドッグズ島を過ぎて。  
          ワヤラーラ ラーヤ  
          ウォララー ラヤーララ  
   
     櫂を漕ぐ  
     エリザベスとレスター 280
     船のうしろに  
     光る貝殻模様  
     赤と金色  
     両岸に  
     ぶつかる引き波  
     南西の風が  
     流れを運ぶ  
     鐘の音  
     白い塔  
          ワヤラーラ ラーヤ 290
          ウォララー ラヤーララ  
   
     「ろめんでんしゃと すすだらけの こだち。  
     ハイベリーが わたしを うんだ。リッチモンドと キューが  
     わたしを ほろぼした。リッチモンド あたりで  
     わたしは まるき ぶねの きゅうくつな ゆかで あおむけに もろひざを あげた」  
   
     「わたしの あし いま ムーアゲートを いく しんぞうは  
     あしの した。その おとこ ことを すませて  
     さめざめと ないた。『あらたな はじまり』を やくそくしていた。  
     わたしは なにも いわなかった。おこっても どうにも ならない」  
   
     「いま マーゲート・サンズ。 300
     もう なにを なににも,  
     つなげない。  
     りょうて きたない つめ われた。  
     わが たみ つつましき たみ なにも  
     のぞまず」  
               ララ  
   
     さうして我カルタゴに至れり  
   
     一切は燃えてあり燃えてあり燃えてあり燃えてあり  
     あな主よ汝我を悪から摘みだしたまふ  
     あな主よ汝摘みだしたまふ 310
   
     燃えてあり  

IV. 水死

フェニキア人フレバス,骸となりて十日余り四日,  
鴎の声を忘れた。深い海のうねりも  
損得も忘れた。  
          海のなかの流れが  
男の骨を外すとき,かすかな声を立てた。波を上がり,下がるたび,  
男は老け,若返り,  
あの渦に入っていった。  
          バアルの神を奉ずる者もユダヤの民も,  
ああ汝ら舵の輪を取り風上に向く者よ, 320
フレバスを思へ,そのかつて見目麗しく背丈誇りしこと汝らの如し。  

V. 雷はこう言った

 汗だくの人々の顔を松明が赤く照らしたあと  
沈黙が庭々で凍てついたあと  
石くれだらけの地で悲痛に沈んだあと  
怒号と嗚咽  
牢獄と宮殿と  
遠くの山々から聞こえる春の雷鳴  
生きていたあのかたはお亡くなりになった  
生きていた私たちも先が長くない  
もはや気力は乏しい 320
   
 ここには水がない岩しかない  
岩ばかり水はない乾いた砂の道  
上空で水のない岩山を縫う  
曲がりくねった道  
もし水があれば私たちは止まって飲むだろうが  
止まれない考えられない岩のあいだにいると  
汗が乾き足が砂に沈む  
もし岩のあいだに水がありさえすれば  
もはや唾を吐くことのない死んだ山の虫歯で朽ちた火口  
ここでは立っても寝ても座ってもいられない 340
山には静寂すらない  
雨のない不毛な雷が鳴る  
山には孤独すらない  
ひび割れた泥の家々の扉から  
日に焼けた不機嫌な顔が私たちを嘲り怒鳴る  
                           もし水があれば  
 そして岩がなければ  
 もし岩があれば  
 そして水も  
 そして水  
 泉 350
 岩に水溜りでもあれば  
 せめて水の音でも聞こえれば  
 セミでなく  
 枯草がそよぐ音でもなく  
 ツグミが松の木で鳴く岩に落ちる  
 水の音  
 ぴたぽたぴたぽたぽたぽたぽたぽた  
 けれど水がない  
   
 いつもおまえの横を歩いている三人目の奴は誰だ  
数えたら,おまえとおれしかいないけど 360
この白い道の先を見上げると  
いつもおまえの隣にだれか歩いてる  
茶色のマントと頭巾をすっぽり被って流れるようについてくる  
男か女かも分からないけど  
──おまえのそっち側にいる奴は誰だ  
   
 空高くに聞こえるあの音はなんだ  
母の悲痛な呟き  
はてしない平野を頭巾を被って歩いてる  
あいつらは何者だ,地平線しか区切るものがない  
このひび割れた大地をつまづきながら行く 370
山の上にある町はなんだ  
菫色の空で,ひび割れ,元に戻り,破裂する  
塔が崩れる  
イェルサレムアテネアレキサンドリア  
ヴィーン,ロンドン  
現実でない  
   
 女が長い黒髪をぎゅっと引っぱって弓で弾いて  
息が洩れるような曲を奏でました  
そして赤んぼうの顔をした蝙蝠たちが菫色の光に  
口笛を吹き,羽根を打ち, 380
頭を下にして煤まみれの壁を這いおりました  
そして空には逆さになった塔が  
追憶の鐘を鳴らして,時を刻みました  
すると干上がった溜池や枯れた井戸から歌声が聞こえてきたんです。  
   
 山が崩れたこの穴に  
わずかに月の光が入り,礼拝堂のあたり,  
倒れた墓のまわりで草が歌っています  
だれも来なくなった礼拝堂があります,風だけが集まってきます  
窓がなく,扉が揺れ,  
乾いた骨はだれを怖がらせることもできません。 390
ただ屋根に鶏が立っていました  
ココリコ,ココリコ  
稲妻のなかで。すると湿った風が  
雨の気配を運んで来ました  
   
 ガンジスの流れは痩せ,萎れた葉が  
雨を待っていたとき,遠くヒマラヤ上空に  
黒い雲が立った。  
森は静まり背を丸め首を引いた。  
そのとき雷が喋った  
DA 400
Datta:わたしたちはなにを施した  
友よ,わが心臓を震わせる血潮  
なにもかも放りだして一瞬で降伏すること  
分別ある年齢でも止められない無謀な降伏  
それによって,それだけによって,私たちは生きのびてきた  
それは死亡記事に載らないし  
寛大な蜘蛛の巣で飾られた思い出にも  
私たちがいなくなった部屋で痩せた弁護士が開く  
封印の下にも見つからない  
DA 410
Dayadhvam:扉の鍵が一度  
回る音を私は聞いたことがある,たった一度しか回らない鍵が  
私たちはその鍵のことを考えている,それぞれが牢獄で  
鍵のことを考えている,それぞれが夕暮れにだけ  
牢獄にいることを思いだす,エーテルの織りなす噂が  
ほんの一時できそこないのコリオレイナスを蘇らせる  
DA  
Damyata:帆を捌き櫂を漕ぐ熟練の手に,船は  
快く反応した  
海は穏やかで,おまえだってもし来ていれば,心臓が 420
快く反応していたことだろう,指揮を取る手に従って  
櫂を漕いでいたことだろう  
   
                    わたしは岸に座って  
釣をしていました,干上がった平野に背を向けて  
わたしは,わたしの土地に,すくなくとも秩序をもたらすことになるのでしょうか  
ロンドン橋が落ちそう落ちそう落ちそう  
カレハヒトヲキヨメルホノオニミヲカクシタ  
ワタシハイツツバメノヨウニナルノダロウカ──おお燕だ燕  
アレハテタトウニあきてーぬコウガ  
こんな言葉で,わたしは崩れそうな廃墟を支えてきました 430
さればこのたびは汝らに応へんとす。ヒエロニモはまた気を違へたり。  
Datta. Dayadhvam. Damyata.  
          Shantih shantih shantih  
 
 
 
 
 
 
 

荒地への註

この詩の題名のみならず,構想も,それから偶発的な象徴主義のかなりの部分も,聖杯伝説についてのジェシーL・ウェストン女史の著作『祭祀からロマンスへ』(ケンブリッジ)に示唆を得ています。実際,わたくしはあまりに多くを負うているので,わたくしがどんな註を書いたところで,それよりウェストン女史の本のほうがこの詩の厄介な諸点を手際よく解明してくださることでしょう。ですから,そのように手間をかけて解読するだけの値打ちがこの詩にあるとお考えくださるかたにはどなたにも,わたくしはこの本を(この本自体がとても興味深いということを別にして)お勧めしています。全般にわたってわたくしは,もう一冊の人類学の本に負うています。それは,わたくしたちの世代に深い影響を及ぼしてきた著作,『金枝篇』です。わたくしはとりわけ『アドニス,アッティス,オシリス』の二巻を用いています。これらの著作にお馴染みの読者は,この詩のなかに,植物の儀式への言及があるとただちにお気づきになることでしょう。

I. 死者を埋める

20 行. 「エゼキエル書 2 1 節を参照。

23 行. 「コヘレトの言葉」 12 5 節を参照。

31 行. 「トリスタンとイゾルデ」,第 1 幕第 5-8 行から引用。

31 行. 同上,第 3 幕第 24 行から引用。

46 行. 一揃いのタロットがどんなカードから成るのかに,わたくしは通じているわけでなく,ご覧のように,ここではわたくしの都合に合わせて正確な構成から距離を置いています。伝統的なタロットに含まれる「逆さ吊りの男」は,ふたつの理由で,わたくしの目的に適っています。ひとつは,わたくしにとってその男が,フレイザーの言う「吊るし首に処された神」に結びついていると思えてならないからであり,もうひとつは,わたくしがその男を,第 V 部でエマオを目指す使徒たちを描いた箇所に現れる,頭巾を被った人物に結びつけているからです。「フェニキア人の水夫」と「商人」とは,のちに登場します。「大勢の人」も。そして,「水死」は,第 IV 部で執行されます。「三本の竿を持つ男」(実際にタロット・カードに含まれています)を,わたしはまったく恣意的に,「漁夫王」自身に結びつけています。

60 行. ボードレールを参照:
'Fourmillante cité, cité pleine de rêves,
'Où le spectre en plein jour raccroche le passant.'

63 行. 「地獄篇」第 3 曲第 55-57 行を参照:
                    sì lunga tratta
di gente, ch'i' non avrei creduto
che morte tanta n'avesse disfatta.

64 行. 「地獄篇」第 4 曲第 25-27 行を参照:
Quivi, secondo che per ascoltare,
non avea pianto mai che di sospiri
che l'aura etterna facevan tremare

68 行. わたくしがしばしば気づいた現象。

74 行. ウェブスター『白い悪魔』の葬送歌を参照。

76 行. ボードレール悪の華』序文から引用。

II. チェスを一局

77 行. 『アントニークレオパトラ』,第 2 幕第 2 場第 190 行を参照。

93 行. Laquearia.『アエネーイス』,第 726 行から引用:
       dependent lychni laquearibus aureis
incensi, et noctem flammis funalia vincunt.

98 行. 森の景色.ミルトン『失楽園』,第 4 巻第 140 行から引用。

99 行. オウィディウス『変身物語』,第 4 巻ピロメラから引用。

100 行. 第 III 部第 204 行を参照。

115 行. 第 III 部第 195 行を参照。

118 行. ウェブスターを参照:「あの扉の風は止まっているか」

126 行. 第 I 部第 37 行,第 48 行を参照。

138 行. ミドルトン『女は女に心せよ』におけるチェスの対局を参照。

III. 燃える火の教え

176 行. スペンサー「プロサレイミオン」から引用。

192 行. 『テンペスト』,第 1 幕第 2 場を参照。

196 行. マーヴェル「はにかむ恋人へ」を参照。

197 行. デイ「蜂の議会」を参照:
「急に,耳を澄ませば,
「角笛と狩りの音が聞こえることでしょう,
「アクタイオンがディアナのいる泉に行くのでしょう,
「そこで皆ディアナの裸を目にするでしょう...」

199 行. この行の引用元であるバラッドの起源を,わたくしは存じません。わたくしのもとには,オーストラリアのシドニーから伝わってきました。

202 行. ヴェルレーヌパルジファル」から引用。

210 行. 干葡萄には,「保険(insurance)およびロンドンまでの輸送(freight)の費用(cost)」込みの価格がつけられています。また,船荷証券などの文書は一覧払手形と交換で手渡されます。

218 行. ティレシアスは,傍観者にすぎず,「登場人物」と言いがたいものの,この詩でもっとも重要な人物であり,他のすべての人物を結びつけています。干葡萄を売っている隻眼の商人がフェニキア人の船乗りに融合し,後者がナポリの王子ファーディナンドと完全には区別がつかないように,すべての女性はひとりの女性であり,そして両性がティレシアスで出会います。ティレシアスが見ているものは,実際のところ,この詩の本質です。オウィディウスの次の一節は,人類学的な興味を大いに喚起します:
... Cum Iunone iocos et 'maior vestra profecto est
Quam quae contingit maribus', dixisse, 'voluptas.'
Illa negat; placuit quae sit sententia docti
Quaerere Tiresiae: Venus huic erat utraque nota.
Nam duo magnorum viridi coeuntia silva
Corpora serpentum baculi violaverat ictu
Deque viro factus, mirabile, femina septem
Egerat autumnos; octavo rursus eosdem
Vidit, et 'est vestrae si tanta potentia plagae',
Dixit, 'ut auctoris sortem in contraria mutet,
Nunc quoque vos feriam!' percussis anguibus isdem
Forma prior rediit genetivaque venit imago.
Arbiter hic igitur sumptus de lite iocosa
Dicta Iovis firmat; gravius Saturnia iusto
Nec pro materia fertur doluisse suique
Iudicis aeterna damnavit lumina nocte,
At pater omnipotens (neque enim licet inrita cuiquam
Facta dei fecisse deo) pro lumine adempto
Scire futura dedit poenamque levavit honore.

221 行. この箇所は見かけのうえではサッフォーの詩句と正確に一致していないかもしれませんが,「沿岸」の,あるいは「小さな漁船」の漁師をわたくしは思いうかべていました。その漁師は,夕暮れに帰ってきます。

253 行. ゴールド・スミス『ウェイクフィールドの牧師』の歌から引用。

257 行. 『テンペスト』,第 1 幕第 2 場から引用。

264 行. 殉教者マグヌス教会の内装は,レンの手がけた内装でもっとも美しいもののひとつであると,わたくしには思えます。『十九の都市部教会を取りこわす提案』(P. S. キング社)参照。

266 行. ここから(三人の)テムズの乙女たちの歌が始まります。292 行から 306 行までは,彼女たちが順番に喋っています。『神々の黄昏』,第 3 幕第 1 場,ラインの乙女たちから引用。

279行.フルード『ウルジーの失脚からエリザベスの崩御に至るイングランドの歴史』,第 I 巻第 iv 章,デ・クアドラがスペイン王フェリペ二世に宛てた書簡から引用:
「その午後,わたくしどもは遊覧船に乗って,川面で行われた余興を見ました。船尾楼で,女王がレスター伯とわたくしとだけになりましたとき,御二方がたわいないお話をなさったのち,ついにレスター伯がわたくしの目前で,『女王陛下がお望みなさいますならば,陛下とわたくしとが結婚してならぬ理由はなにもございません』と仰いました」

293 行. 「煉獄篇」第 5 曲第 133 行を参照:
'Ricorditi di me, che son la Pia;
'Siena mi fé, disfecemi Maremma.'

307 行. 聖アウグスティヌス『告白』から引用:「さうして我カルタゴに至れり,そこでけがらはしき色恋の歌に囲まれたり」

308 行. この箇所の引用元である,ブッダによる火の説教(それは重要性において山上の垂訓に対応しています)の全文は,故ヘンリー・クラーク・ウォレンの『翻訳で読む仏教』(ハーヴァード東洋叢書)に収録されています。ウォレン氏は,西洋における仏教研究の偉大な先駆者のひとりでした。

309 行. ふたたびアウグスティヌスの『告白』から。この詩の第 III 部の最高潮で,東洋と西洋とを代表するの禁欲主義を並置したことは,偶然ではありません。

V. 雷はこう言った

V 部の最初の部分には,みっつの主題を取りこみました:エマオへの旅路,「危ない礼拝堂」への接近(ウェストン女史の著作を参照),そして今日における東欧の衰退です。

357 行. これはチャイロコツグミ Turdus aonalaschkae pallasii の鳴声で,わたくしはケベック州で聞いたことがあります。チャップマンは,「この鳥は,人里から離れた森の薮の繁みにいることが最も多い。... その鳴声は,種類や音量で際立った点がないものの,純粋さや甘美さ,繊細な抑揚といった点で匹敵するものがない」(『北米東部の野鳥の手帳』)と述べています。当然,その「水がしたたるような鳴声」も称賛されています。

360 行. これ以下の行は,南極探検隊の報告のひとつに示唆を受けました(どの探検隊のものであったかをはっきりと覚えていませんが,シャクルトン探検隊のものであったと思います):最後の力をふりしぼっているとき,探検隊は,実際の人数より隊員がひとり多いという錯覚にたえず陥ったという記述が報告書にありました。

366-76 行. ヘルマン・ヘッセ『混沌を覗いてみると』を参照:'Schon ist halb Europa, schon ist zumindest der halbe Osten Europas auf dem Wege zum Chaos, fährt betrunken im heiligem Wahn am Abgrund entlang und singt dazu, singt betrunken und hymnisch wie Dmitri Karamasoff sang. Über diese Lieder lacht der Bürger beleidigt, der Heilige und Seher hört sie mit Tränen.'

401 行. 'Datta, dayadhvam, damyata' (施せ,慈悲の心を持て,慎め)。雷鳴の意味についての寓話は,『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』第 5 巻第 1 章に見られます。ドイッセンの『ヴェーダの六十のウパニシャッド p. 489 に,翻訳が掲載されています。

407 行. ウェブスター『白い悪魔』,第 1 幕第 2 場を参照:
            「...女どもはすぐに再婚する,
亡くなった亭主をくるんだ骸衣に虫の穴が開くより先に,墓銘碑に
蜘蛛の薄い垂れ幕が下りるより先に。」

411 行. 「地獄篇」第 33 曲第 46 行を参照:
'e io senti' chiavar l'uscio di sotto
  a l'orribile torre.'

また,F. H. ブラッドリー『外観と実在』,p. 306 を参照
「私が考えていることや私が抱いている感情が私秘的であるのと同じように,外界にたいする私の感覚は私秘的である。わたしがなにかを考えていたりなんらかの感情を抱いている場合,私の経験は私の輪のなかにあり,その輪は外にたいして閉じている。そして,各々の輪が同様であるから,どの輪も,それを取りかこむ他のすべての輪にとって不透明である。...つまり,世界の全体は,魂に現れる存在であると見なされるので,それぞれの魂にとっての世界の全体は,その魂にとって独特であり私秘的である。」

424 行. ウェストン『祭祀からロマンスへ』,漁夫王の章から引用。

427 行. 「煉獄篇」第 26 曲第 148 行から引用。
'"Ara vos prec per aquella valor
"que vos guida al som de l'escalina,
"sovenha vos a temps de ma dolor."
Poi s'ascose nel foco che li affina.'

428 行. 「ヴィーナスの前夜祭」から引用。第 II 部および第 III 部のピロメラ参照。

429 行. ジェラール・ドゥ・ネルヴァル,十四行詩「廃嫡者」から引用。

431 行. キッド『スペインの悲劇』から引用。

433 行. shantih (安らかに)。このように繰りかえすのが,ウパニシャッドの正式な終わりかたです。わたしたちの言葉に置きかえると「知性を越えた安楽」という語です。

さもしいのは政党交付金をもらっている政党です

みなさんは,わからないことをインターネットで調べるとき,ウィキペディアを読むことがありませんか? ウィキペディア日本語版には,「政党交付金」という項目があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/政党交付金

もし日本語版以外のウィキペディアに「政党交付金」という項目があるならば,そのページに他言語版の該当ページへリンクが張ってあるはずです。いま見ると,リンクが張られているのは中国語版だけです。そこでは,中国語で,日本の「政党交付金」について記述されています。あれ? もしかして「政党交付金」って日本にしかない制度なの? いえ,そういう制度がある国は,日本以外にも存在します。しかし,その総額においても,一人あたりの負担額においても,日本の政党交付金は例外的です。

負担額は,選挙権のない赤ん坊も外国人も全員数えて,とにかく 1 人あたり 250 円ずつ。総額で 300 億円強。一方,国会議員の総数は衆参あわせて 710 人ですから,国会議員 1 人あたり平均 4000 万円強の金額が毎年政党に配分されます。それは,国会議員の給料ではありません。国会議員には,いわゆるボーナスを含めて年間 2000 万円強の歳費が支給されています。それと別に,議員 1 人あたり秘書 3 名の給与が年間総額 2500 万円ほど国から支払われます。それらと別に,「文書通信交通滞在費」が議員 1 人あたり 1200 万円だけ国から支給されます。それと別に,JR の鉄道およびバスに無料で乗車できる特別乗車券が議員に支給されるほか,選挙区が東京から遠い議員には航空券が支給されます。それらと別に,院内会派にたいして立法事務費として議員 1 人あたり年間 780 万円が支給されます。政党交付金は,さらにそれらと別に国から政党に交付されるもので,その額が議員 1 人あたり 4000 万円ほどです。

政治活動には,お金がかかります。政党が自党の議員のいない選挙区に候補者を擁立するためには,政党が,議員と別口で一定の資金を持っている必要があります。では,政党交付金の制度がない国の政党は,どのようにしてその資金を得ているか。ひとつは,党員から定期的に徴収する党費です。もうひとつは,募金(募金に応じることを献金または寄附といいます)。そのほかに,政党機関誌紙などの利益が政党の活動費に充てられます。党費の徴収や政党による募金,機関紙の発行は,日本でも行われているので,日本の政党は,それらや政党交付金などを収入として計上しています。たとえば,令和元年度の自由民主党本部の収入内訳は,次のとおりです。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/reports/SS20201127/SF/000050.html

(1) 党費 9 億 9085 万 8400 円
(2) 寄附 27 億 4339 万 0000 円
(3) 機関紙,事業 3 億 5884 万 8475 円
(4) 借入金     0 円
(5) 支部からの供与   1000 万 0000 円
(6) その他      
  政党交付金 176 億 4771 万 8000 円
  立法事務費 26 億 8717 万 0000 円
  旅費等精算   5243 万 1989 円
合計 244 億 9041 万 6864 円

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  党費      寄附      事業      支部
  政党交付金      立法事務費      精算

自由民主党の収入に占める政党交付金の割合は 72 % です。同じように国から支給される立法事務費をあわせると,国からの交付金が収入に占める割合は 83 % に上ります。家計にたとえて言うならば,月に 30 万円の収入のうち 25 万円が国から支給されているのと同じ割合です。

政治活動にお金がかかるのはしかたありませんが,自由民主党はこの程度の収入を自分で稼げないでしょうか。単純な計算では,もし国民の 10 % が年間 2000 円の党費を自由民主党に支払えば,自民党はいまと同じ程度の収入を得ることができます。なぜ自由民主党は,そちらに舵を切らないのでしょうか。

そのひとつの答えは,いままで自由民主党は国民に寄附を求めずにやってきたから,いまさら寄附を求めても十分な収入が得られない,ということです。ここで注意しておきたいのは,日本に寄附という習慣がないわけでないという点です。たとえば,令和元年度の日本赤十字社の一般会計(病院事業や献血事業などを除いた会計)において,その収入は 491 億円であり,そのうち赤十字社員などからの定期的な寄附が 247 億円,一時的な災害義援金が 127 億円であり,公的な補助は 10 億円でした。また,令和 2 年度に日本ユニセフ協会に寄せられた寄附は,総額 224 億円でした。そういった団体と同程度の寄附を募るのに,自由民主党は消極的です。

1994 年に政党交付金の制度が導入されるまで,自由民主党は,企業からの献金(寄附)をおもな収入源としていました。企業献金のおかげで,自由民主党は,国民に寄附を求めることなく,十分な収入を得ていました。ところが,その企業献金に,素性の悪いものが混ざっていました。国や地方公共団体がお金を出して道路を整備したり橋を架けたりするとき,その工事を請けおう企業は,談合をして工事費用を高めに見積もるのがふつうでした。談合とは話しあいのことですが,ここでは,正直者が抜けがけをして安い予算で工事を請けおうのを,非正直者が防ぐための話しあいです。そういった話しあいをして工事費用を高めに請求することは,いまもむかしも犯罪です。従来,談合は,土木業界のよからぬ風習といわれてきました。しかし,彼らは,逮捕されるのをおそれてびくびくしながら談合していたわけではありません。国の大きな事業であれば,彼らは晴れがましい立派な会場で談合をしていましたし,市町村の小さな事業では,役所の建物の一室で談合を行うことさえありました。犯罪者たちが犯罪を行うのに,わざわざ警察署の一室に集まって相談をするという事態は考えにくいのですが,現実にはそれに似たことが行われていました。土木業者たちは,すすんで悪知恵をはたらかせて談合をしていたというより,談合をする制度に組みこまれていました。彼らは,国や地方公共団体から高めにせしめたお金のうち,1 パーセントから数パーセントを自由民主党献金するように求められていました。かりに彼らが献金を断ったならば,彼らは次から公共事業を請けおう資格を剥奪されたことでしょう。

このような事例における,お金の流れを整理しておきましょう。まず,国民が税金を支払います。かりに自由民主党が,その税金を自分のものにしたら,それは犯罪です。政府が国民から徴収した税金のうちどれくらいの金額を公共事業に使うかを,提案するのは政府であり,決定するのは国会です。自由民主党は,長いあいだ,その政府や国会を支配していました。かりに彼らが,公共事業の予算をわざと多めに設定して,土木業者に高めの金額を請求させるとしましょう。その土木業者が,あとでかならず自由民主党献金するとわかっているならば,自民党には,予算をわざと多めに設定する動機が生じます。では,かりに彼らがわざとそうしたら,それは犯罪でしょうか。

そういったお金の流れは,資金洗浄(マネー・ロンダリング)を思わせます。しかし,実定法においては,犯罪によって手に入れたお金を迂回させてふたたび手にした者が,罪に問われます。上のような事例では,談合をした土木業者と,そのお金の一部を受けとる自由民主党とが,異なります。かりに上の事例で自由民主党資金洗浄の罪に問われることがあるとするならば,冒頭の談合に自民党が関与していなければなりません。かりに自由民主党が土木事業者に談合をするように呼びかけ,彼らが多めに手にしたお金の一部を自民党献金するように求め,もし裏切ったならば公共事業から排除すると脅した結果,自民党がその土木業者から献金を受けた場合,それは犯罪です。平時において,法廷の場で検察官がそれを立証することはむつかしいでしょう。そんな文書一式が残っているはずがないからです。文書がなければ,関係者がそういった行為を自白しなければなりません。そんなことは,めったに起きそうにありません。

ちなみに,公共事業で民間業者が国にたいして高めの請求をして,そのお金の一部を政治家に手渡すという手法は,韓国のソウル地下鉄建設工事で行われたと,キム・ヒョンウク(金炯旭)が証言しています。彼は,韓国の諜報機関で要職についていましたが,引退して国会議員になったあとパク・チョンヒ(朴正煕)大統領と対立して米国に亡命しました。亡命後,彼はパク・チョンヒ政権の腐敗を告発する手記を残しました。それらの腐敗のなかで,ソウル地下鉄建設工事は,日本に関係しています。韓国政府は,首都ソウルに地下鉄を建設するための調査を 1960 年代末に開始し,いったんフランスに発注すると内定しました。ところが,1970 年代に日本が逆転してその工事を受注しました。日本政府は,その工事のために円借款を組みました(つまり,工事費用ははじめ日本が建てかえて,あとで韓国に返してもらう方式です)。1960 年代に日本が新幹線を建設したとき,国内で資金を調達できずに世界銀行から借金したことを思いだすと,10 年たらずで日本は他国に大金を貸せる国になっていました。日本から韓国に渡ったお金は,工事を請けおった日本企業に支払われました。その総額は,当時の金額で 185 億円。そのうち,9 億 7200 万円が日本企業からパク・チョンヒの側近に送金されたと,キム・ヒョンウクは記しています。つまり,日本政府が建てかえて,あとで韓国国民が返済することになるお金のうち,およそ 10 億円が,パク大統領の政治資金になりました。キムによれば,それは,10 億円という額より,受注額の 5 % という割合を根拠にしていたといいます。この時期にパク大統領は,大統領の任期を撤廃して彼自身が終身大統領になる道を拓くとともに,反対勢力を厳しく弾圧しました(金大中事件はその一例であり,また,手記を発表したキム・ヒョンウクは行方不明となっていまにいたるまで彼の遺体は発見されていません)。日本企業を指揮してパク政権に献金させた日本側の政治家は,岸信介です。岸は,パク大統領とともに国際勝共連合を支持し,反共産主義のパク大統領による韓国統治が長く続くことを望んでいました。

この事例で怪しげなお金を手にしたのは韓国の大統領ですが,日本政府による政府開発援助や国内の公共事業で,同様の手法によって日本企業から自由民主党にお金が流れました。1970 年代に,それは合法でした。韓国の事例で察せられるように,お金がそのように流れる仕組みを作ったのは,企業というより政治家であると考えるのが自然です。

ここで,パク大統領はなぜ韓国国民に寄附を求めなかったのかと問うてみましょう。推進したい政策があれば,大統領はそれを国民に訴えて寄附を求めればよかったではないか,と。それはナイーヴな質問です。当時の事情を知るひとならば,彼は自国民に寄附を求められるような大統領でなかったと答えることでしょう。韓国陸軍の将軍であったパク・チョンヒは,1961 年にクー・デタによって(つまり非合法に)国家再建最高会議議長に就きました。このクー・デタは米国に後押しされていたと見られます。その時期に北朝鮮が経済成長を始めていたので,韓国国民が北朝鮮共産主義に憧れをもつかもしれませんでした。ソ連や中国の影響力を殺ぐという使命を帯びたパク大統領にとって,はじめの 10 年間の課題は,韓国経済の成長でした。パク政権は,北朝鮮の計画経済の手法を真似て,のちに「漢江の奇跡」と称される経済成長の最初の部分を実現しました(ちなみに,満洲国で行われた計画経済には岸信介が関与していました)。非合法な手段で地位を獲得し,言論の自由を制限して国内の共産主義者を弾圧し,そのことによって米国の国益を守っている大統領が,自国民から心からの支持を得ることは困難です。韓国国民がパク政権を支持していたとしても,彼らの大半にとってその理由は,経済政策によって生活水準が向上したからという消極的なものにすぎませんでした。1970 年代を迎えると,パク大統領は,共産主義者の取りしまりにとどまらず,自分にとって都合の悪い者や自分に従わない仲間を弾圧しはじめました。それは客観的に見ると独裁体制の強化ですが,パク大統領自身はそれを「維新」と称しました。その結果,パク大統領に,1974 年,1979 年の 2 回銃弾が放たれました。1974 年の暗殺未遂事件では,大統領自身は難を逃れましたが,夫人が被弾して死亡。1979 年に大統領は部下に暗殺されました。パク大統領は,国民になにかを与えるからかろうじて国民に支持されていたのであり,逆に大統領が自分の政治活動をまかなうのに十分な寄附を国民に求めることなど,彼自身が思いつかなかったことでしょう。なお付記しておくと,韓国ではその後 1980 年代に大規模な民主化運動が起こり,今日の韓国はここで述べたパク・チョンヒ時代の韓国と異なります。

話を日本に戻すと,自由民主党もまた,広く国民から寄附を募ることをためらって,とりやすいところからお金をとっていました。令和 2 年度の日本の国家予算で,公共事業費は 6.1 兆円。ただしこの額には,役所内の人件費などが含まれています。令和 2 年度の日本の土木業界の売上合計は 2.1 兆円でした。そのすべてではありませんが,主要な部分は,国や地方公共団体による公共事業です。かりに 2.1 兆円の 1 % を土木業界が自由民主党に寄附するならば,その金額は 210 億円に上ることでしょう。しかし,今日そのような献金は行われていません。1994 年以降,お金を迂回させなくても,政党が国家予算から直接に政党交付金を受けとれるようになったからです。その制度と引きかえに,公共事業を請けおった事業者が政党に献金することが違法であると定められました。日本の政党交付金は,そのように,国政政党による資金洗浄の一変種を解消するための苦肉の策ですから,そんな制度が諸外国に広く見られないのは当然です。

1955 年に自由民主党が結成されたとき,その目的は共産主義(または社会主義)にたいする防波堤となることであるといわれました。しかし,それ以前に岸信介満洲国で,ソ連をお手本にした 5 か年計画にかかわっていました。自由民主党による統治下でさえ,ソ連にならった石油化学コンビナートが政府主導によって日本各地に建設されました。さらに,小泉内閣以来よく聞くようになった経済特区は,もともと中国共産党によるアイデアです。自由民主党は,言葉のうえでは共産主義を否定していますが,その思想や政策に反対してきたわけでなさそうです。1955 年の段階で,彼らにとって共産主義とは,思想や政策というより,ソ連を賛美しソ連に都合のいいように振るまうことを意味していたと考えられます。結党以来 1960 年代末まで自由民主党には米国の中央情報局から政治資金が渡っていたと,米国国務省が 1990 年代に明らかにしました(自由民主党はそのことを否定しています)。その時期,日本にかんする米国の最大の関心は,日本国内にある米軍基地を維持することでした。英国が中国から香港を租借したのは,19 世紀のこと。20 世紀の米国は,沖縄を 25 年から 50 年のうちに日本に返還するつもりであり,それ以外の日本国内の軍事基地を使用するための条約を 10 年ごとに更新するつもりでいました(その日米安保条約では,日本が希望するので米軍が日本国内に駐留するという体裁がとられています)。自由民主党は,米国の期待に応えてその条約を更新し,さらに,どちらか一方がやめると言いださないかぎりわざわざ更新する必要のない条約にそれを格上げしました。そのときの日本の総理大臣は,岸信介でした。

ここで,ふたたびナイーヴな問いを発してみましょう。岸信介は,なぜ日本国民に寄附を求めなかったのでしょうか。米軍にずっと日本にいてほしいのであれば,彼はそのことを国民に訴えて寄附を求めればよかったではないか,と。当時の事情を知るひとならば,彼は自国民に寄附を求められるような総理大臣でなかったと答えることでしょう。米軍が日本に駐留しつづけることを望んでいる日本人など,そのころほとんどいませんでした。国民が岸政権を支持していたとしても,彼らの大半にとってその理由は,生活水準が向上したからという消極的なものにすぎませんでした。

米国国務省によれば,自由民主党にたいする中央情報局の資金供与は 1960 年代末まで続いたといいます(実際には規模を縮小して 1980 年ころまで続いたともいわれます)。日本が経済成長して,米国が資金供与をやめたあと,日本の政治家たちは,政府開発援助や公共事業から迂回した政治献金を受ける手法を編みだしました。その手法が禁じられると,政党交付金という制度が作られました。

自由民主党は,日米安保条約を更新した岸政権のように,いまなお正々堂々と国民にたいして訴えることのできない政策を推進しているのでしょうか。もしそうでないのであれば,自由民主党は,国民に政策を訴えて党員を増やし,寄附を募るべきであるとわたしは思います。昨今の自由民主党政権は,大学にたいして稼げと言ってみたり,生活困窮者が支援を受けることをさもしいと形容したりしているようですが,小人が他人の悪口を言うとたいてい自己紹介になるものです。ちなみに,中国では,共産党が国家を指導すると憲法で定められていて,中国共産党中華人民共和国より上位の存在です。その中国共産党でさえ,国家予算から党費を吸いあげるのでなく,党員から党費を徴収しています。自由民主党は,経済特区中国共産党の真似をするのであれば,党費の徴収法も真似すればいいのにとわたしは思います。