「四月は残酷な月」と言ったのはマリー
このところ,疫病にそなえて遺言シリーズを書いてるんで,これも言っとこ。T. S. エリオットの「荒地」(The Waste Land)の冒頭で,April is the cruellest month と言ってるのはだれ。冒頭のスタンザの後半は貴族のマリーの発言であることが明白だから,四月は残酷だと言ってるのはマリーだとわたしは思います。女性。The Waste Land には複数のナレーターがいるけど,どの部分でも,ひとつのスタンザを語ってるのはひとり。
なのに,これまでの日本語訳では,男性が,四月は残酷と言ってるていになってる。あれ,女性に変えたほうがいいと思います。
訳文をウェブ上で公開していいのかどうかわかんないけど,エリオットが亡くなってから 50 年以上経ってるし,原文があちこちのサイトに掲載されてるんで,ここにわたしの訳文を貼っときます。エリオットの著作権についてはともかく,わたしの翻訳著作権は放棄します。そんなんどうでもいいから,IV. Death by Water の色彩が,西脇順三郎の Ambarvalia に影響してるのを見て。
荒地
T. S. エリオット
1922
「かつて私はこの目で,吊るした壷に入りこんでいる
クマエの巫女を見たことがある,子供が,巫女よ,
なにがしたいと尋ねると,彼女は答えた,もう死にたいんだよ」
私の及ばぬ匠
エズラ・パウンドに
I. 死者を埋める |
|
四月が一番残酷な月ですよ。四月は, | |
死んでしまったこの大地にライラックを育てますし,思い出に | |
欲を混ぜて,くたびれた根を | |
春の雨で揺さぶります。 | |
冬は暖かでした。雪が積もれば | |
地べたのことは忘れましたし,小さな命は | |
萎びた芋にありつけました。 | |
夏はわたくしたちを驚かせました,シュタルンベルク湖の向こうから | |
大粒の雨を連れて来ました。わたくしたち,軒下でひと休みして, | |
また日向を歩き,ホフガルテンで | 10 |
コーヒーをいただいて,一時間ほど話をしました。 | |
ワタクシろしあジンジャゴザイマセンノ,ウマレハりとあにあデスケド,レッキトシタどいつジン。 | |
子供のころ,オーストリア大公の御殿にお邪魔して, | |
従兄妹なのよわたくしたち,大公がわたくしを橇に乗せて連れだしましたの。 | |
それは怖くて。マリー | |
マリー,しがみついてなって。そして滑ったの,二人で。 | |
山では自由な気分になりますね。 | |
ふだんは本を読んでおります,夜はたいてい。冬は南にまいります。 | |
このしぶとい根は何者か,石屑に | |
生えている木は何者か。人の子よ, | 20 |
おまえには分かるまい,思いもよるまい。色と形の残骸しか | |
おまえは知らないから。おまえに見えるのは,光を打ちつける太陽, | |
影のない枯れ木,鳴かないコオロギ, | |
せせらぎの音を立てない砂まみれの石。ただ | |
この赤い岩に影ができている, | |
(この赤い岩の影に来い), | |
わたしはおまえに見せてやろう, | |
朝おまえに大股でついてくる影とは違う, | |
夕方おまえを迎えにくる影とは違うものを。 | |
ひと握りの土のなかに恐怖を見せてやろう。 | 30 |
クニモトヘムカフ | |
ヨキカゼイデタリ | |
ワガあいるらんどノワラハ | |
イヅコカサマヨフ | |
「一年前はじめにヒヤシンスをくださいましたね, | |
「みんなにヒヤシンス娘ってひやかされましたのよ」 | |
──けれど,ふたりで遅くなって,ヒヤシンス畑から帰ってきたとき, | |
おまえは両腕に花を抱え,髪は濡れ,おれは | |
なにも言えなかった,なにも目に入らなかった,あのときおれは | |
生きてなかった,死んでもいなかった,どうしていいか分からず, | 40 |
光の芯を見ていた,沈黙を。 | |
ウミハアレテムナシ | |
千里眼で有名なマダム・ソソストリスは, | |
ひどい風邪をひいていましたが, | |
ヨーロッパ一霊感が強いと評判です。 | |
不気味なカードを並べて彼女は言いました。これが | |
あなたのカード,溺死したフェニキアの「水夫」, | |
(これがその水夫の目だった真珠ですよ,ほら!) | |
これは「ベラドンナ」,岩窟の貴婦人, | |
状況を支配します。 | 50 |
ここにいるのが三本の杖を持つ男,これは「運命の輪」, | |
そしてここに隻眼の商人がいますね,このカードは | |
空白ですが,この商人が背負ってる物という意味です, | |
それがなにかを見ることはわたしには禁じられています。「逆さ吊りの男」が | |
見当たりませんね。水死にお気をつけください。 | |
大勢の人が輪になって歩いているところが見えます。 | |
これはお気遣いいただきまして。もしエクイトーン夫人にお会いでしたら, | |
運勢図はわたしが自分でお持ちしますとお伝えください。 | |
このごろはなにかと物騒ですから。 | |
現実でない町, | 60 |
冬の朝を包む茶色い霧のなか, | |
ロンドン橋を大勢の人が流れてきた,こんなにも, | |
死がこんなに大勢を連れてきているとわたしは思っていなかった。 | |
彼らは時々短い溜息を吐いていた。 | |
だれもが足先を見ていた。 | |
ウィリアム王街の坂を上って下り, | |
聖母ウルノス教会が告げる九時の鐘は | |
最後の音が響かなかった。 | |
顔見知りを見つけて,わたしは大声で呼びとめた。「ステットソン! | |
「ミュラエ沖海戦のわが戦友! | 70 |
「去年おまえが庭に植えたあの死体, | |
「あれ,芽が出たか。今年,花が咲きそうか。 | |
「それとも,霜が下りて苗床がやられたか。 | |
「おい,『犬』を近づけるな,犬は人間の味方だが | |
「近づけると爪で掘りかえすぞ! | |
「おい! ギゼンノドクシャ!──ワガドウホウ──ワガキョウダイヨ!」 | |
II. チェスを一局 |
|
彼女の 座る 「椅子」 眩い 玉座のように | |
大理石の 床に 映っていた 床に 立つ 鏡の | |
柱に 葡萄の 彫刻 | |
金色 キュピドンが 蔓の 外を 見ていた | 80 |
(片方の 翼で 目を 覆った もうひとり) | |
七叉の 燭台 鏡の なかに もうひとつ | |
灯り 食卓で 撥ねかえり | |
それを 彼女の 宝石の 光が 昇って 迎えていた | |
あふれる 繻子の 箱から。 | |
象牙の 瓶 色ガラスの 瓶 | |
栓が 開いて 彼女の 妙な 合成 香料が 潜んでいた | |
軟膏 粉 液--臭覚が 戸惑い 誤って | |
溺れた。 窓から 入る | |
いい 風に 揺さぶられ 臭いが | 90 |
炎たちを 膨らませて 伸ばし | |
煙が ラクェアリアに ぶつかって | |
格天井の 模様が 揺れた。 | |
大振りの 流木 銅が くべてある | |
緑と 橙の 炎 色の ある 枠の 石 | |
寂しき 灯りに 照らされて 海豚の 姿 泳ぎたり。 | |
老けこんだ 暖炉の 上に | |
窓から 森の 景色が 見えるように | |
ピロメラの 変身譚の 絵が 飾られていた,あの 下卑た 王に | |
無残な 目に 遭わされた。 しかし 声は 奪われなかった | 100 |
夜鶯の 声は 荒野の 隅々に 届いた | |
彼女は ずっと 鳴いていた それを いまなお 世界は 探している | |
汚れた 耳に 「ジャッジャッ」と。 | |
壁では ほかにも 時が 萎れた 痕跡が | |
語られていた。目を 見張った 形相で | |
部屋を 囲む 像 前のめりで 見下ろして 音を 封じていた。 | |
階段で 足音 もつれた。 | |
灯火の 下 ブラシの 下 彼女の 髪が | |
炎みたいに とがって 広がり | |
光を 放って 言葉に なった そのあと 髪は 森の ように 静かに なることだろう。 | 110 |
「今夜は嫌なことばかり考えてしまいます。そう,嫌なことばかりを。お願い,いっしょにいらして。 | |
なにかおっしゃって。どうしてなにもおっしゃらないの。なにか。 | |
なにをお考えですか。どんなこと。なにを。 | |
あなたがなにを考えてらっしゃるのか,わたしは分かったためしがありません。なにかお考えになって」 | |
わたしの考えていること。ここは鼠たちの裏通り, | |
死んだら骨を持っていかれる。 | |
「なんの音かしら」 | |
扉の下を風が抜ける音。 | |
「いまのなんの音なのかしら。風がなにをしてるの」 | |
なんでもない,ほらまたなんでもない。 | 120 |
「あなた, | |
なにもお分かりでありませんの。目はお見えなの。なにも | |
覚えてらっしゃらないの」 | |
わたしの覚えてること。 | |
これがその男の目だった真珠。 | |
「あなた,生きてらっしゃるの,どうなの。頭がからっぽなのかしら」 | |
いや, | |
おおおおあのシェークスピア風のラグタイム── | |
あれは素晴らしい。 | |
じつに知的だ。 | 130 |
「わたし,どうすればいいの。なにをすれば。 | |
髪を垂らして,このまま外へ飛びだして, | |
表通りを歩きますか。明日はなにをしましょう。 | |
これからずっとなにをしましょう」 | |
十時に風呂。 | |
それから雨なら四時に天蓋付き自動車。 | |
それからチェスでも指そうか, | |
瞼のない両目を押さえて,だれかが扉を叩くのを待ちながら。 | |
リルの旦那が除隊したときさ,あたしゃ言ってやったよ── | |
ずばっと言ってやったんだよ,面と向かってあのこに。 | 140 |
そろそろお時間です | |
アルバートが帰ってくんだから,ちょっと考えなって。 | |
あのこアルバートに歯治すお金もらってたのよ, | |
あたしゃこの目で見てたんだ,あのお金どうしたってきかれるよって。 | |
リル,いっそ全部抜いてさ,いい入れ歯拵えな, | |
旦那が言ったろ,あたしゃはっきり覚えてるよ,おまえの姿は見るに忍びないって, | |
旦那の言うとおりだってあたし言ってやったんだ,アルバートの身になってごらんよ,かわいそうにって, | |
四年も兵隊に行っててさ,ようよう一息吐けるってのに, | |
あんたにその気がないんならどっかほかの女んとこ行っちまうよって。 | |
そしたらさ,そんな女いるかしら,だって。そりゃ知れないよって言ったら, | 150 |
だったらその女に礼を言うよって,あたしのこときっと睨みつけんのよ,あのこ。 | |
そろそろお時間です | |
その気がなくても上手におやりよって。 | |
あんたがやんなきゃだれかがさらってくの。 | |
アルバートが出てったら,ああやっぱりってみんなが言うよ。 | |
そんな老けたなりしてみっともないと思いなよって。 | |
(だってあのこまだ三十一よ) | |
あのこ,もうやめてって泣きそうな顔で, | |
薬のせいだって言うんだ,堕ろすのに飲んだ。 | |
(もう五人いて下のジョージのときにゃ死にかけたから。) | 160 |
薬剤師は大丈夫って言ってたのに,あれからずっと調子がおかしいの。 | |
あんたは本当の大馬鹿よって言ってやったよ。 | |
よしんばアルバートがあんたを放っておかなくたって,あんたが馬鹿なのは変わりないさって。 | |
子供が欲しくないなら結婚なんかなんですんのさ。 | |
そろそろお時間です | |
けどアルバートが日曜に帰ってきたときさ,あのこたちハムを焼いて, | |
ぜひごいっしょにってあたしをよんでくれて,熱々のおいしいとこを── | |
そろそろお時間です | |
そろそろお時間です | |
おやすみビル。おやすみルー。おやすみメイ。おやすみ。 | 170 |
ありがと,ありがと。おやすみ。おやすみ。 | |
おやすみなさい,奥様方,おやすみなさいませ,うるわしい奥様方,おやすみなさい,おやすみなさい。 | |
III. 燃える火の教え |
|
川の天幕が壊れています。最後に残っていた一房の葉が | |
河原の泥を掴んで沈んでいきます。枯れた草原に | |
風が吹いています,音もなく。妖精たちはどこかに行ってしまいました。 | |
うるわしきテムズ,静かに流れよ,わたしが歌いおえるまで。 | |
川には空き瓶がありません,サンドウィッチの包み紙も, | |
絹のハンカチも,段ボール箱も,煙草の吸い殻も, | |
夏の夜の面影がありません。妖精たちはどこかに行ってしまいました。 | |
そして彼女たちとともにいた,至る所に出没するあのシティーの重役の御曹司たちも | 180 |
どこかに行ってしまいました,住所を明かさず。 | |
レマン湖の畔に座ってわたしは涙を落としました。 | |
うるわしきテムズ,静かに流れよ,わたしが歌いおえるまで, | |
うるわしきテムズ,静かに流れよ,声を控えるから,すこしのあいだだけ。 | |
けれど背後の突風に | |
骨がかたかた鳴るのが聞こえます,そして両方の耳まで開いた口が笑うのが。 | |
鼠が一匹這っていました,そっと草を押しわけて | |
腹を河原の泥に擦りながら, | |
そのときわたしはくたびれた運河で釣をしていました, | |
冬の陽が沈むころ,ガス工場の裏で, | 190 |
わが兄上である王が難破されたことを, | |
さらにその前に,わが父上である王が亡くなったことを反芻しながら。 | |
道端の低い湿地には死体たちが白い腹を晒しています, | |
天井の低い乾いた屋根裏に骨が散らばっています, | |
そしてあの鼠が歩くときにだけ骨は音を立てます,何年も何年も。 | |
けれど背後に時折 | |
警笛とエンジンの音が聞こえます, | |
スウィーニーがポーター夫人のいる泉に行くのでしょう。 | |
ああ,月影に浮かぶポーター夫人 | |
娘を連れて。 | 200 |
ラムネの泉で足をざぶざぶ洗います。 | |
ソシテアア,マルテンジョウカラキコエルワラベノウタゴエ! | |
トゥイトゥイトゥイ | |
ジャッジャッジャッジャッジャッジャッ | |
無残な目に遭わされた。 | |
テレウスめ | |
現実でない町, | |
冬の正午を包む茶色い霧のなか, | |
あのスミュルナの商人,髭を伸ばし放題にして | |
C.i.f. ロンドン:文書一覧交換 | 210 |
の干葡萄を片方のポケットに詰めこんだエウゲニデス氏は | |
俗フランス語でわたしを | |
キャノン・ストリート・ホテルの昼食に誘い | |
週末はメトロポールでいかがと言ってきた。 | |
菫色になるとき,机から | |
両目と背中が捩りながら起きあがり,人間の発動機が | |
どっどっどっと客を待つタクシーのように震えだすとき, | |
わたくしことティレシアス,二生のあいだで生きる盲の老人, | |
男ながら乳房は女で萎びている,とはいえ,菫色になるとき, | |
ひとが家路を急ぎ, | 220 |
船乗りが海から戻る夕暮れになると, | |
見える,タイピストが家でお茶を一服して,朝ごはんの後片付けをし,ストーヴに | |
火を入れて,ブリキ皿に夕食を並べるのが。 | |
窓の外に危なげに干してある | |
彼女の下着が太陽の最後の光を浴び, | |
靴下と部屋履きとキャミソールとコルセットが | |
寝椅子に放ってある(夜はそこで寝る)。 | |
わたくしことティレシアス,乳房の萎びた爺は, | |
その光景が分かった,そのあとのことも── | |
その男をわたしも待つことにした。 | 230 |
面皰のあるその若者がやって来る, | |
小さな不動産屋のぎょろ目の店員, | |
ブラッドフォードの成金がかぶるシルク・ハットのように | |
自信を頭に乗せた下層民。 | |
いよいよ好機が訪れた,それは男にも分かった, | |
食事が終わり,女は疲れて気が抜けている, | |
愛撫の前触れは, | |
咎められなかった,かりに女が望んでいないとしても。 | |
よしと男は赤い顔で一気に攻める。 | |
前進する両手に応戦なし。 | 240 |
反応がなくても男は気にせず, | |
無関心を歓迎する。 | |
(そしてわたくしことティレシアス,この寝椅子だか寝床で行われたことと | |
かつて同じ目に遭った。 | |
テーバイの城壁の下に座し | |
無残な死者たちのあいだを歩いていたわたしは。) | |
横柄な接吻を最後にひとつ決め, | |
男は縦に手探りし,階段に目をやって照明が消えていることを確かめる…… | |
女は振りむいてすこし鏡を覗く, | |
帰っていった男を思っているのではない。 | 250 |
言葉になる前の思いが彼女の脳を過ぎる。 | |
「ああ済んだ,終わってよかった」 | |
かわいい女がはしたない騒ぎを終えて | |
ひとりで部屋を歩くときは, | |
手が勝手に髪を梳き, | |
蓄音機にレコードを置くものだ。 | |
「あれは,水面に漂っていたわたしに,波を伝って聞こえてきた歌だ」 | |
そして,ヴィクトリア女王通りを越えてストランドにも。 | |
おおシティーじゃ,シティー,下テムズ通りにある | |
酒場の前を通りかかると,わたしには | 260 |
小気味良いマンドリンの音や | |
食器の音,大きな話し声が聞こえることがある。 | |
漁師たちの正午の憩い。その近くでは, | |
殉教者マグヌス教会の内壁が | |
言うに言われぬ壮麗なイオニア調の白と金を湛えている。 | |
油とタールは | |
この河の汗 | |
艀は満ち干に | |
持ってかれるよ | |
赤い帆よ | 270 |
広がって | |
丈夫な柱で風下へ跳ねあがれ。 | |
艀ざぶざぶ | |
丸太を運ぶ | |
グリニッジあたりまで | |
ドッグズ島を過ぎて。 | |
ワヤラーラ ラーヤ | |
ウォララー ラヤーララ | |
櫂を漕ぐ | |
エリザベスとレスター | 280 |
船のうしろに | |
光る貝殻模様 | |
赤と金色 | |
両岸に | |
ぶつかる引き波 | |
南西の風が | |
流れを運ぶ | |
鐘の音 | |
白い塔 | |
ワヤラーラ ラーヤ | 290 |
ウォララー ラヤーララ | |
「ろめんでんしゃと すすだらけの こだち。 | |
ハイベリーが わたしを うんだ。リッチモンドと キューが | |
わたしを ほろぼした。リッチモンド あたりで | |
わたしは まるき ぶねの きゅうくつな ゆかで あおむけに もろひざを あげた」 | |
「わたしの あし いま ムーアゲートを いく しんぞうは | |
あしの した。その おとこ ことを すませて | |
さめざめと ないた。『あらたな はじまり』を やくそくしていた。 | |
わたしは なにも いわなかった。おこっても どうにも ならない」 | |
「いま マーゲート・サンズ。 | 300 |
もう なにを なににも, | |
つなげない。 | |
りょうて きたない つめ われた。 | |
わが たみ つつましき たみ なにも | |
のぞまず」 | |
ララ | |
さうして我カルタゴに至れり | |
一切は燃えてあり燃えてあり燃えてあり燃えてあり | |
あな主よ汝我を悪から摘みだしたまふ | |
あな主よ汝摘みだしたまふ | 310 |
燃えてあり | |
IV. 水死 |
|
フェニキア人フレバス,骸となりて十日余り四日, | |
鴎の声を忘れた。深い海のうねりも | |
損得も忘れた。 | |
海のなかの流れが | |
男の骨を外すとき,かすかな声を立てた。波を上がり,下がるたび, | |
男は老け,若返り, | |
あの渦に入っていった。 | |
バアルの神を奉ずる者もユダヤの民も, | |
ああ汝ら舵の輪を取り風上に向く者よ, | 320 |
フレバスを思へ,そのかつて見目麗しく背丈誇りしこと汝らの如し。 | |
V. 雷はこう言った |
|
汗だくの人々の顔を松明が赤く照らしたあと | |
沈黙が庭々で凍てついたあと | |
石くれだらけの地で悲痛に沈んだあと | |
怒号と嗚咽 | |
牢獄と宮殿と | |
遠くの山々から聞こえる春の雷鳴 | |
生きていたあのかたはお亡くなりになった | |
生きていた私たちも先が長くない | |
もはや気力は乏しい | 320 |
ここには水がない岩しかない | |
岩ばかり水はない乾いた砂の道 | |
上空で水のない岩山を縫う | |
曲がりくねった道 | |
もし水があれば私たちは止まって飲むだろうが | |
止まれない考えられない岩のあいだにいると | |
汗が乾き足が砂に沈む | |
もし岩のあいだに水がありさえすれば | |
もはや唾を吐くことのない死んだ山の虫歯で朽ちた火口 | |
ここでは立っても寝ても座ってもいられない | 340 |
山には静寂すらない | |
雨のない不毛な雷が鳴る | |
山には孤独すらない | |
ひび割れた泥の家々の扉から | |
日に焼けた不機嫌な顔が私たちを嘲り怒鳴る | |
もし水があれば | |
そして岩がなければ | |
もし岩があれば | |
そして水も | |
そして水 | |
泉 | 350 |
岩に水溜りでもあれば | |
せめて水の音でも聞こえれば | |
セミでなく | |
枯草がそよぐ音でもなく | |
ツグミが松の木で鳴く岩に落ちる | |
水の音 | |
ぴたぽたぴたぽたぽたぽたぽたぽた | |
けれど水がない | |
いつもおまえの横を歩いている三人目の奴は誰だ | |
数えたら,おまえとおれしかいないけど | 360 |
この白い道の先を見上げると | |
いつもおまえの隣にだれか歩いてる | |
茶色のマントと頭巾をすっぽり被って流れるようについてくる | |
男か女かも分からないけど | |
──おまえのそっち側にいる奴は誰だ | |
空高くに聞こえるあの音はなんだ | |
母の悲痛な呟き | |
はてしない平野を頭巾を被って歩いてる | |
あいつらは何者だ,地平線しか区切るものがない | |
このひび割れた大地をつまづきながら行く | 370 |
山の上にある町はなんだ | |
菫色の空で,ひび割れ,元に戻り,破裂する | |
塔が崩れる | |
イェルサレム,アテネ,アレキサンドリア, | |
ヴィーン,ロンドン | |
現実でない | |
女が長い黒髪をぎゅっと引っぱって弓で弾いて | |
息が洩れるような曲を奏でました | |
そして赤んぼうの顔をした蝙蝠たちが菫色の光に | |
口笛を吹き,羽根を打ち, | 380 |
頭を下にして煤まみれの壁を這いおりました | |
そして空には逆さになった塔が | |
追憶の鐘を鳴らして,時を刻みました | |
すると干上がった溜池や枯れた井戸から歌声が聞こえてきたんです。 | |
山が崩れたこの穴に | |
わずかに月の光が入り,礼拝堂のあたり, | |
倒れた墓のまわりで草が歌っています | |
だれも来なくなった礼拝堂があります,風だけが集まってきます | |
窓がなく,扉が揺れ, | |
乾いた骨はだれを怖がらせることもできません。 | 390 |
ただ屋根に鶏が立っていました | |
ココリコ,ココリコ | |
稲妻のなかで。すると湿った風が | |
雨の気配を運んで来ました | |
ガンジスの流れは痩せ,萎れた葉が | |
雨を待っていたとき,遠くヒマラヤ上空に | |
黒い雲が立った。 | |
森は静まり背を丸め首を引いた。 | |
そのとき雷が喋った | |
DA | 400 |
Datta:わたしたちはなにを施した | |
友よ,わが心臓を震わせる血潮 | |
なにもかも放りだして一瞬で降伏すること | |
分別ある年齢でも止められない無謀な降伏 | |
それによって,それだけによって,私たちは生きのびてきた | |
それは死亡記事に載らないし | |
寛大な蜘蛛の巣で飾られた思い出にも | |
私たちがいなくなった部屋で痩せた弁護士が開く | |
封印の下にも見つからない | |
DA | 410 |
Dayadhvam:扉の鍵が一度 | |
回る音を私は聞いたことがある,たった一度しか回らない鍵が | |
私たちはその鍵のことを考えている,それぞれが牢獄で | |
鍵のことを考えている,それぞれが夕暮れにだけ | |
牢獄にいることを思いだす,エーテルの織りなす噂が | |
ほんの一時できそこないのコリオレイナスを蘇らせる | |
DA | |
Damyata:帆を捌き櫂を漕ぐ熟練の手に,船は | |
快く反応した | |
海は穏やかで,おまえだってもし来ていれば,心臓が | 420 |
快く反応していたことだろう,指揮を取る手に従って | |
櫂を漕いでいたことだろう | |
わたしは岸に座って | |
釣をしていました,干上がった平野に背を向けて | |
わたしは,わたしの土地に,すくなくとも秩序をもたらすことになるのでしょうか | |
ロンドン橋が落ちそう落ちそう落ちそう | |
カレハヒトヲキヨメルホノオニミヲカクシタ | |
ワタシハイツツバメノヨウニナルノダロウカ──おお燕だ燕 | |
アレハテタトウニあきてーぬコウガ | |
こんな言葉で,わたしは崩れそうな廃墟を支えてきました | 430 |
さればこのたびは汝らに応へんとす。ヒエロニモはまた気を違へたり。 | |
Datta. Dayadhvam. Damyata. | |
Shantih shantih shantih | |
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荒地への註 |
|
この詩の題名のみならず,構想も,それから偶発的な象徴主義のかなりの部分も,聖杯伝説についてのジェシー・L・ウェストン女史の著作『祭祀からロマンスへ』(ケンブリッジ)に示唆を得ています。実際,わたくしはあまりに多くを負うているので,わたくしがどんな註を書いたところで,それよりウェストン女史の本のほうがこの詩の厄介な諸点を手際よく解明してくださることでしょう。ですから,そのように手間をかけて解読するだけの値打ちがこの詩にあるとお考えくださるかたにはどなたにも,わたくしはこの本を(この本自体がとても興味深いということを別にして)お勧めしています。全般にわたってわたくしは,もう一冊の人類学の本に負うています。それは,わたくしたちの世代に深い影響を及ぼしてきた著作,『金枝篇』です。わたくしはとりわけ『アドニス,アッティス,オシリス』の二巻を用いています。これらの著作にお馴染みの読者は,この詩のなかに,植物の儀式への言及があるとただちにお気づきになることでしょう。 |
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I. 死者を埋める |
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20 行. 「エゼキエル書」 2 章 1 節を参照。 |
|
23 行. 「コヘレトの言葉」 12 章 5 節を参照。 |
|
31 行. 「トリスタンとイゾルデ」,第 1 幕第 5-8 行から引用。 |
|
31 行. 同上,第 3 幕第 24 行から引用。 |
|
46 行. 一揃いのタロットがどんなカードから成るのかに,わたくしは通じているわけでなく,ご覧のように,ここではわたくしの都合に合わせて正確な構成から距離を置いています。伝統的なタロットに含まれる「逆さ吊りの男」は,ふたつの理由で,わたくしの目的に適っています。ひとつは,わたくしにとってその男が,フレイザーの言う「吊るし首に処された神」に結びついていると思えてならないからであり,もうひとつは,わたくしがその男を,第 V 部でエマオを目指す使徒たちを描いた箇所に現れる,頭巾を被った人物に結びつけているからです。「フェニキア人の水夫」と「商人」とは,のちに登場します。「大勢の人」も。そして,「水死」は,第 IV 部で執行されます。「三本の竿を持つ男」(実際にタロット・カードに含まれています)を,わたしはまったく恣意的に,「漁夫王」自身に結びつけています。 |
|
60 行. ボードレールを参照: |
|
63 行. 「地獄篇」第 3 曲第 55-57 行を参照: |
|
64 行. 「地獄篇」第 4 曲第 25-27 行を参照: |
|
68 行. わたくしがしばしば気づいた現象。 |
|
74 行. ウェブスター『白い悪魔』の葬送歌を参照。 |
|
II. チェスを一局 |
|
93 行. Laquearia.『アエネーイス』,第 726 行から引用: |
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98 行. 森の景色.ミルトン『失楽園』,第 4 巻第 140 行から引用。 |
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99 行. オウィディウス『変身物語』,第 4 巻ピロメラから引用。 |
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100 行. 第 III 部第 204 行を参照。 |
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115 行. 第 III 部第 195 行を参照。 |
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118 行. ウェブスターを参照:「あの扉の風は止まっているか」 |
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126 行. 第 I 部第 37 行,第 48 行を参照。 |
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138 行. ミドルトン『女は女に心せよ』におけるチェスの対局を参照。 |
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III. 燃える火の教え |
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176 行. スペンサー「プロサレイミオン」から引用。 |
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192 行. 『テンペスト』,第 1 幕第 2 場を参照。 |
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196 行. マーヴェル「はにかむ恋人へ」を参照。 |
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197 行. デイ「蜂の議会」を参照: |
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199 行. この行の引用元であるバラッドの起源を,わたくしは存じません。わたくしのもとには,オーストラリアのシドニーから伝わってきました。 |
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210 行. 干葡萄には,「保険(insurance)およびロンドンまでの輸送(freight)の費用(cost)」込みの価格がつけられています。また,船荷証券などの文書は一覧払手形と交換で手渡されます。 |
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218 行. ティレシアスは,傍観者にすぎず,「登場人物」と言いがたいものの,この詩でもっとも重要な人物であり,他のすべての人物を結びつけています。干葡萄を売っている隻眼の商人がフェニキア人の船乗りに融合し,後者がナポリの王子ファーディナンドと完全には区別がつかないように,すべての女性はひとりの女性であり,そして両性がティレシアスで出会います。ティレシアスが見ているものは,実際のところ,この詩の本質です。オウィディウスの次の一節は,人類学的な興味を大いに喚起します: |
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221 行. この箇所は見かけのうえではサッフォーの詩句と正確に一致していないかもしれませんが,「沿岸」の,あるいは「小さな漁船」の漁師をわたくしは思いうかべていました。その漁師は,夕暮れに帰ってきます。 |
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253 行. ゴールド・スミス『ウェイクフィールドの牧師』の歌から引用。 |
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257 行. 『テンペスト』,第 1 幕第 2 場から引用。 |
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264 行. 殉教者マグヌス教会の内装は,レンの手がけた内装でもっとも美しいもののひとつであると,わたくしには思えます。『十九の都市部教会を取りこわす提案』(P. S. キング社)参照。 |
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266 行. ここから(三人の)テムズの乙女たちの歌が始まります。292 行から 306 行までは,彼女たちが順番に喋っています。『神々の黄昏』,第 3 幕第 1 場,ラインの乙女たちから引用。 |
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279行.フルード『ウルジーの失脚からエリザベスの崩御に至るイングランドの歴史』,第 I 巻第 iv 章,デ・クアドラがスペイン王フェリペ二世に宛てた書簡から引用: |
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293 行. 「煉獄篇」第 5 曲第 133 行を参照: |
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307 行. 聖アウグスティヌス『告白』から引用:「さうして我カルタゴに至れり,そこでけがらはしき色恋の歌に囲まれたり」 |
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308 行. この箇所の引用元である,ブッダによる火の説教(それは重要性において山上の垂訓に対応しています)の全文は,故ヘンリー・クラーク・ウォレンの『翻訳で読む仏教』(ハーヴァード東洋叢書)に収録されています。ウォレン氏は,西洋における仏教研究の偉大な先駆者のひとりでした。 |
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309 行. ふたたびアウグスティヌスの『告白』から。この詩の第 III 部の最高潮で,東洋と西洋とを代表するの禁欲主義を並置したことは,偶然ではありません。 |
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V. 雷はこう言った |
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第 V 部の最初の部分には,みっつの主題を取りこみました:エマオへの旅路,「危ない礼拝堂」への接近(ウェストン女史の著作を参照),そして今日における東欧の衰退です。 |
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357 行. これはチャイロコツグミ Turdus aonalaschkae pallasii の鳴声で,わたくしはケベック州で聞いたことがあります。チャップマンは,「この鳥は,人里から離れた森の薮の繁みにいることが最も多い。... その鳴声は,種類や音量で際立った点がないものの,純粋さや甘美さ,繊細な抑揚といった点で匹敵するものがない」(『北米東部の野鳥の手帳』)と述べています。当然,その「水がしたたるような鳴声」も称賛されています。 |
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360 行. これ以下の行は,南極探検隊の報告のひとつに示唆を受けました(どの探検隊のものであったかをはっきりと覚えていませんが,シャクルトン探検隊のものであったと思います):最後の力をふりしぼっているとき,探検隊は,実際の人数より隊員がひとり多いという錯覚にたえず陥ったという記述が報告書にありました。 |
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366-76 行. ヘルマン・ヘッセ『混沌を覗いてみると』を参照:'Schon ist halb Europa, schon ist zumindest der halbe Osten Europas auf dem Wege zum Chaos, fährt betrunken im heiligem Wahn am Abgrund entlang und singt dazu, singt betrunken und hymnisch wie Dmitri Karamasoff sang. Über diese Lieder lacht der Bürger beleidigt, der Heilige und Seher hört sie mit Tränen.' |
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401 行. 'Datta, dayadhvam, damyata' (施せ,慈悲の心を持て,慎め)。雷鳴の意味についての寓話は,『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』第 5 巻第 1 章に見られます。ドイッセンの『ヴェーダの六十のウパニシャッド』 p. 489 に,翻訳が掲載されています。 |
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407 行. ウェブスター『白い悪魔』,第 1 幕第 2 場を参照: |
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411 行. 「地獄篇」第 33 曲第 46 行を参照: |
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424 行. ウェストン『祭祀からロマンスへ』,漁夫王の章から引用。 |
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427 行. 「煉獄篇」第 26 曲第 148 行から引用。 |
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428 行. 「ヴィーナスの前夜祭」から引用。第 II 部および第 III 部のピロメラ参照。 |
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429 行. ジェラール・ドゥ・ネルヴァル,十四行詩「廃嫡者」から引用。 |
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431 行. キッド『スペインの悲劇』から引用。 |
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433 行. shantih (安らかに)。このように繰りかえすのが,ウパニシャッドの正式な終わりかたです。わたしたちの言葉に置きかえると「知性を越えた安楽」という語です。 |