なぜ東アジア諸国と日本とは国際間の歴史で意見が一致しないのか

中国,北朝鮮および韓国は,しばしば,日本との国際的な歴史について,日本と意見が一致しません。前三者は,捏造された歴史観をもっていると日本を非難し,日本もまた同じように前三者を非難します。ある理由があって,そのことは避けられません。

中国共産党は,1927 年から 1949 年まで延々と続いた国民党との内戦のあと,中華人民共和国を樹立しました。かりに共産党が政府の正当性を主張するために内戦での勝利を強調するとすれば,いまの中国人のなかでかつて内戦に敗れた人々やその子孫たちのあいだに苦い感情が呼びおこされることでしょう。共産党は,国民が自分たちの政府を正当化できるように,中国国民党との戦闘の合間に共産党が日本の悪い軍隊をやっつけたと人々に覚えておいてもらう必要があります。今日の中国政府は歴史のなかにちゃんとした理由があって現れたと主張するために,政府は,建国者たちが邪悪な日本軍と戦ったという論理的なてこを必要としています。一方,国民党の指導者たちは台湾に逃れ,台湾島を統治しはじめました。その統治を正当化するために,彼らは,いまなお中国本土の主権をめぐって共産党と戦っているという論理的なてこを利用しました。日本は 1945 年まで台湾島を植民地にしていましたが,台湾人の大半は日本を叩きませんでしたし,いまも叩きません。彼らの政府は,そんな前提を必要としていませんでした。

南北朝鮮もほぼ同じです。第二次大戦後,朝鮮はふたつの国家に分裂しました。ひとつはソ連に,もうひとつは米国に後押しされて。北朝鮮政府は,1945 年まで続いた日本統治のもとで金日成反日ゲリラの指揮官のひとりであったことを理由に,彼が朝鮮の指導者である資格があると訴えました。北朝鮮は 1950 年に韓国と戦争を行い,それが原因で多数の家族が離散しました。北朝鮮政府は,その正当性を誇るのに朝鮮戦争の結果に依拠することができませんでした。南の韓国では,李承晩やそのほかの指導者たちが,朝鮮が日本に併合されていた時期に人々が経験した日本にたいする怒りをかきたてました。それは,独裁にたいする人々の不満をなだめる方策のひとつでした。

中国や朝鮮の人々が 20 世紀前半の日本の所業を非難するとき,彼らが思いうかべている国は,日本人がもっている自己像と,部分的に同じであり,部分的に異なっています。多くの日本人が他国の人々にたいして邪悪であったことを,わたしは否定しません。彼らは一部の日本人にたいしてさえそうだったのであり,国外ではもっとひどかったにちがいありません。1937 年から 38 年にかけての南京大虐殺で数えきれないほどの中国の民間人が日本人兵士たちによって殺害または凌辱されたこと,そのことが国際法に違反していたこと,そして,日本の統治下で朝鮮人が公の場で日本語を喋るように強制され,日本風に改名することを求められたという点で,無数の朝鮮人が屈辱を受けたことに,わたしは謹んで同意します。相当な人数の若い朝鮮人女性が,いわゆる「慰安婦」として,つまり日本人兵士を相手にする合法的な娼婦として搾取されたことを,わたしは真実だと思っています。では,立場によってなぜ諸事実が違うように見えるのか。日本の人々はふつう,それらの事実が,軍隊が政治に干渉した過去の悲劇的な時代に属していると考えていますが,中国や朝鮮の人々は,それらをまさに,彼らが,あるいは彼らの祖先たちが,今日の国家を樹立した理由であると見なしています。それらの事実は,日本人にとって通りすぎた角の向こうにありますが,中国人や朝鮮人,韓国人にとっては今日彼らが立っている土台です。

日本の人々は,異なる土台に立っています。たとえば,日本には F-15 戦闘機数百機と戦車数百台を保有する自衛隊がありますが,ほとんどの日本人は日本に軍隊がないと考えていると言うと,信じがたく聞こえるかもしれません。かりに自衛隊が軍隊でない理由を知りたければ,中世の神学のような難解な議論を習得しなければならないことでしょう。ほとんどの日本人は,米軍が日本に軍事基地を維持している理由は,米国政府が東アジアに橋頭堡を確保しておきたいからというより,まず第三国から日本を防御するためであると考えています。第二次世界大戦後の日本占領期に,米国率いる連合諸国は,二名の首相経験者を含む数名の位の高い日本人政治家たちを,戦争犯罪者として処刑しました。連合諸国はまた,日本に憲法を修正させ,日本が一切の軍事力を持つことを禁じさせました。しかし,数年後,中国と北朝鮮とで共産党が政権を取ると,米国は,戦争犯罪の容疑で逮捕されていたもののまだ処刑されていなかった数名の日本人を釈放しました。解放されたそれらの人々は,潤沢な資金と顕著な好機とを米国にあてがわれて政治や実業の世界で身を立てなおし,ダブル・エージェントになりました。鳩山一郎首相がソ連と平和条約を結ぶのを外務大臣として妨害した重光葵や,日本の領土で米軍が軍事基地を利用できるようにする条約を首相在任時に延長した岸信介は,それらの人々の例です。そのほかに,日本の指導者たちは,日本が軍隊を持つことを禁じていた,そしていまなお禁じている憲法を改訂しないまま,自衛隊を設立しました。政府によれば,この実質的に武装した組織が軍隊でない理由は,国内刑法でいう正当防衛のような条件のもとでしか自衛隊が兵力を用いることができないからであるといいます。有名な政治家たちの一部がダブル・エージェントであったこと,自衛隊が軍隊の別名であることを,日本の人々は認めたがりません。重光外務大臣はジョン・F・ダレスからの圧力に屈して日本とソ連とのあいだに領土紛争があるとでっちあげましたが,ほとんどの日本人は,日本とロシヤとのあいだに領土紛争があるといまも信じていますし,アメリカ人は友人だから米軍が日本に駐留していると,日本は戦争を放棄しているから平和国家であると信じています。

どの国にも,直視するのを避けたいことがあります。ふつうの人々が悲痛な事実を直視しないことを,わたしは非難しません。

しかし,たとえどれほどおぞましい事実であったとしても,国民の指導者たちはそれらを直視しなければなりません。かりに安倍晋三がただの愛国的なブロガーであるならば,彼は好きなことを言う権利があることでしょう。しかし彼は日本の首相でした。彼は日本の人々に,「美しい」祖国を愛せと訴えました。かりに彼が,選挙資金を貰うのと引きかえに軍事基地を米国に提供した岸信介元総理大臣のひとりの孫にすぎないのであれば,彼はなお好きなことをなんでも訴える完全な権利があるとわたしは思います。しかし,彼は岸の孫のひとりであり,首相でした。自分の国は「美しい」と論じたとき,彼は,祖父のひとりが裏切者であることを思いだすべきでした。デマゴギーを利用する側にいる者が,それを信じてはなりません。

アジア諸国のあいだで意見が一致しないことにかんしてわたしが心配である点は,たがいに非難しあっている人々が,歴史を操作した人々の第二,第三世代であることです。第二次世界大戦が終わるまで,日本の人々は,天皇は神の子孫であり,日本は神の国であると教えられていました。しかし戦後,天皇が自分はただの人間存在であると宣言したとき,深刻なことはなにも起こりませんでした。諸国の指導者たちが偏向したどんな歴史を書きかえても,人々はいつでも大丈夫だと,わたしは指導者たちに心から言いたいと思います。