サリンジャーのために,愛と吐瀉物を添えて

ライ麦畑』について。

ホーウィッツ

「12」に出てくるタクシー運転手のホーウィッツは,はじめ移民みたいなカタコトを話します。けど彼は移民じゃありません。主人公ホールデンの質問に苛々して,ついに彼は素で喋ります。

"I ain't got no time for no liquor, bud," he said. "How the hell old are you, anyways? Why ain'tcha home in bed?"
「一杯やってる暇なんかない」そいつ言いよってん。「ぼんぼん,いくつ? いま時分なんでうちで寝てへんの?」

彼は十分な教育を受けていないようです。TV はもちろんラジオで標準語を習得する機会さえなかったのでしょう。喋るとそのことがバレるので,ホーウィッツはふだん移民のふりをしてカタコト英語を喋っていると思われます。ホールデンはそれを察して,彼をこんなふうに評します。

He was about the touchiest guy I ever met. Everything you said made him sore.
あいつ,おれがいままで見たなかで,いっちゃん神経質な人間やったわ。なに言うても傷つきよんねん。

そのことを踏まえると,ホーウィッツが出てくるシーンはこんな感じです。

「すいません,運転手さん」おれ言うてん。「セントラル・パークの池,通ったことあります? セントラル・パーク・サウスのとこの」
「なんですか」
「池。ちっこい池みたいな,あそこにある。鴨おるとこ。分かるでしょ」
「はい,なんですか」
「えーと,池で泳ぐ鴨,分かります? 春とかに。あの鴨,冬なったらどこ行くんか,もしかして知りませんか」
「だれがどこに行きますか」
「鴨。もしかしてなんか知りませんか。だれかトラックかなんかで来てどっか連れていくとか,鴨が自分らでどっか飛んでいく──南のほうへ,とか」
ホーウィッツ,わざわざおれのほう振りむいて,おれの顔見よってん。めちゃくちゃ気短いタイプのやつやったわ。悪いやつちゃうかってんけど。「なんでわたしがそんなことを知っていないといけませんか」そいつ,言いよってん。「なんでわたしがそんなアホらしいことを知っていないといけませんか」
「まあ,機嫌直してえな」おれ言うてん。そいつ,なんかに傷ついてるみたいやってん。
「だれの機嫌が悪いですか。だれの機嫌も悪くありません」
そいつそんなんでアホみたいに神経質なるんやったら,おれ喋んのん止めとこ思とってん。せやのに,そいつまた自分で言いだしよってん。またわざわざおれのほう向いて言いよってん。「魚はどこにも行きません。魚はずっとそこにいます。アホみたいに池のなかに」
「魚は──違う。魚は違う。鴨のこと言うてんねん」おれ言うてん。
「なにが違いますか。なにも違いません」ホーウィッツ言いよってん。なんかずっと傷ついてるみたいな口調やったわ。「魚のほうがきついです,冬は,鴨のほうより,アホンダラ。頭を使いなさい,アホンダラ」
おれ,一分ぐらい黙っとってん。ほんで言うてん。「分かった。ほしたら冬に魚はなにしてるんですか,あの小さい池がまるごと氷のかたまりなって,みんなが上でスケートとかしてるとき」
ホーウィッツ,また振りむきよってん。「魚はなにをしているは,どういう意味ですか」怒鳴ってきよってん。「魚はずっとそこにいます,アホンダラ」
「けど魚かて,氷ないふりはでけへんやん。氷は無視でけへんやん」
「だれが氷を無視しますか。だれも氷を無視しません!」ホーウィッツ言いよってん。アホみたいにカッカしとったから,街灯かなんかにタクシーぶつけよんのちゃうかて心配なったわ。「魚はアホみたいに氷のなかで生きています。それが魚の本性です,アホンダラ。冬のあいだずっと魚は氷のなかの一か所で凍っています」
「そうなん? ほしたら,なに食うてんのん。カチコチに凍ってるんやったら,餌探すん泳いでいかれへんやん」
「体があります,アホンダラ──なにが問題ですか。魚の体は栄養を取りいれます。アホみたいに氷のなかにある水草やウンコから。魚は毛穴をずっと開けています。それが魚の本性です,アホンダラ。わたしが言っていることが分かりますか」ほんで,また振りかえって,おれの顔見よってん。
「ああ」おれ言うてん。もう放っといてん。タクシー,アホみたいにどっかぶつけるんちゃうかて心配やったし。せやし,そいつめちゃくちゃ神経質なやつやから,議論する喜びいうもんがなかってん。「どっかで降りて,いっしょに一杯やっていきましょか」おれ言うてん。
けど,返事せえへんかってん。いま思たら,ずっと考えとおった思うわ。ほんで,もっかい訊いてみてん。 運転手,かなりええやつやったわ。かなり,おもろかったわ。
「一杯やってる暇なんかない」そいつ言いよってん。「ぼんぼん,いくつ? いま時分なんでうちで寝てへ んの?」
「眠たないねん」
アーニーズの前着いて運賃払たら,ホーウィッツまた魚のこと言うてきよってん。たぶんずっと考えとったんやわ。「あんな」ホーウィッツ言いよってん。「かりに,ぼんぼんが魚やとしょ。ほたら母なる自然は,ぼんぼん守ってくれるわ。せやろ。ほな,魚かて,冬なったからて死なんわ」
「そらそうやけど──」
「せやろ,死なんわ」ホーウィッツ言うて,地獄から飛びたつ蝙蝠みたいに発進していきよってん。あいつ,おれがいままで見たなかで,いっちゃん神経質な人間やったわ。なに言うても傷つきよんねん。

鴨が冬のあいだどうしているかという答えは,のちに読者にたいしてホールデン自身が明かすことになります。「16」で,自然史博物館のことを彼が思いだすくだりで,鳥たち(birds)は南に飛んでいくと彼自身が語っています。けど,それが,さっきの問いの答えだと彼は気づいてない。サリンジャーホールデンをからかってるとこです。


 

What's the matter?

この小説の登場人物たちは,よく what's the matter? と言います。かりにこの小説が映画化されるとするならば,彼らが what's the matter? と言ってるところをつなぐだけで予告編ができることでしょう(実際には作者が映画化を拒否して,この小説は映画への悪口に満ちています)。

「2」で,スペンサー(歴史の老先生)がホールデンに。

It started, all right. "What's the matter with you, boy?" old Spencer said. He said it pretty tough, too, for him. "How many subjects did you carry this term?"
けど,話始まったわ。「おまえ,いったい,なにが問題やねん」スペンサー言いよってん。あいつにしては,かなり厳しい口調やったわ。「きみは,今学期,何科目受講しとったんや」

「6」で,ストラドレーター(同室の上級生)がホールデンに。

He had hold of my wrists, too, so I couldn't take another sock at him. I'd've killed him.
"What the hell's the matter with you?" he kept saying, and his stupid race kept getting redder and redder.

それに,おれ,手首,両方とも掴まれとってん。おれがもう一発殴るかもしれんから。そうやなかったら,おれ,あいつのこと殺しとったわ。
おまえ,なにが問題やねん」あいつ,そればっかり言うて,アホな顔どんどん赤なったわ。

「7」で,アクリー(隣室の上級生)がホールデンに。

"Hey, Ackley!"
He heard that, all right.
"What the hell's the matter with you?" he said. "I was asleep, for Chrissake."

「ちょっと,アクリー!」
やっと起きよってん。
なんやねん,おまえ」あいつ言いよってん。「おれ寝とってんぞ」

「11」で,ホールデンがジェーン(隣の別荘にいた女の子)を思いだしながら。

I asked her, on the way, if Mr. Cudahy--that was the booze hound's name--had ever tried to get wise with her. She was pretty young, but she had this terrific figure, and I wouldn't've put it past that Cudahy bastard. She said no, though. I never did find out what the hell was the matter. Some girls you practically never find out what's the matter.
その途中で,おれ,ジェーンに,いままでカダヒーさんに──その酒飲みのおっさんな──なんか嫌なことされそうなったことあんの,て訊いてみてん。ジェーン,まだ幼いけど,すごい体型ええから,カダヒーのおっさんやったらやりかねへん思てん。けど,ジェーン,そんなんない,言いよってん。なにが問題なんかぜんぜん分からんかったわ。なにが問題なんかホンマぜんぜん分からん子ておんねん。

「12」で,ホーウィッツ(タクシー運転手)がホールデンに。

"Yeah? What do they eat, then? I mean if they're frozen solid, they can't swim around looking for food and all."
"Their bodies, for Chrissake--what'sa matter with ya?

「そうなん? ほしたら,なに食うてんのん。カチコチに凍ってるんやったら,餌探すん泳いでいかれへんやん」
「体があります,アホンダラ──なにが問題ですか

「13」で,サニー(娼婦)がホールデンに。

She came over to me, with this funny look on her face, like as if she didn't believe me. "What'sa matter?" she said.
そいつ,おれのほう来て,ホンマのこと言うてへんやろみたいなヘンな顔しよってん。「なにが問題なの」そいつ言いよってん。

「14」で,ホールデンがモーリス(ポン引き)に。

"What's the matter? Wuddaya want?" I said. Boy, my voice was shaking like hell.
"Nothin' much," old Maurice said. "Just five bucks." He did all the talking for the two of them. Old Sunny just stood there next to him, with her mouth open and all.

なんですか。なんの用ですか」おれ言うてん。ううわあっ,声めちゃくちゃ震えとったわ。
「たいした用ちゃう」モーリス言いよってん。「五ドル払てもらおか」ふたりおったけど,モーリスだけ喋りよってん。サニー,隣立って,口開けとったわ。

「17」で,ホールデンがサリー(つきあっている女の子)に。

"Because you can't, that's all. In the first place, we're both practically children. And did you ever stop to think what you'd do if you didn't get a job when your money ran out? We'd starve to death. The whole thing's so fantastic, it isn't even--"
"It isn't fantastic. I'd get a job. Don't worry about that. You don't have to worry about that. What's the matter? Don't you want to go with me? Say so, if you don't."

「あんたがそんなんでけへんからやん,それがすべてやわ。そもそもわたしらふたりとも実際は子どもやねん。あんた,自分がお金なくなったときもし仕事見つかれへんかったらどうしようて立ちどまって考えたことあるん? あんたが仕事見つかれへんかったら,わたしら餓死すんねんで。そんなん全部絵空事やん──」
絵空事なんかちゃうわ。もしそうなったら仕事見つけるわ。そんなん心配すんな。おまえはそんなん心配せんでええねん。なにが問題やねん。おれと行くのが嫌なんか。嫌やったらそう言うて」

「23」で,ホールデンがフィービー(妹)に。

"Oh, I wouldn't've burned your hand. I'd've stopped before it got too--Shhh!" Then, quick as hell, she sat way the hell up in bed.
She scared hell out of me when she did that. "What's the matter?" I said.
"The front door!" she said in this loud whisper. "It's them!"

「いや,お兄ちゃんの手火傷させたろとは思てなかったわ。熱なったら止めたろ思──シー」ほしたら,急にばって起きあがってベッドのなかで座りよってん。
突然なんや思て,おれめちゃめちゃびびったわ。「なんや。なんか問題あんのか」おれ言うてん。
「うちの戸や!」あいつ息だけではっきり聞こえるように言いよってん。「帰ってきた!」

「24」で,アントリーニ先生(以前に在籍していた学校の先生)がホールデンに。

"I left my bags and all at the station. I think maybe I'd better go down and get them. I have all my stuff in them."
"They'll be there in the morning. Now, go back to bed. I'm going to bed myself. What's the matter with you?"

「駅にカバンとか置いたままにしたあるんです。たぶんそろそろ取りに行ったほうがええ思うんです。なんやかや入ってるから」
「それは朝なってからでかまへんやろ。ほら,もっかい寝。ぼくも寝るわ。なにが問題やねん

ライ麦畑』の成立過程を調べればわかるとおり,その小説が出版される 10 年前に,作者サリンジャーは『ライ麦畑』の「17」にそっくりな短編小説を雑誌編集部に送っていました。「マディソンのはずれで起きた些細な造反」と題されたその短編で,主人公ホールデンは,クリスマス休暇中にサリーに会い,駆けおちしようと彼女に言って上で引用したのとほとんど同じ会話を交わします。『ライ麦畑』ではそれに至るまでに 100 ページを越える彼の語りが配置されているのにたいして,その原型の短編小説で描かれるのはふたりのデートから。『ライ麦畑』がホールデンの一人称で語られているのにたいして,その短編小説は三人称で語られます。短編小説の読者にとって,若い男性がなんらかの危機に瀕していると察することはできても,彼に共感することは容易でないでしょう。『ライ麦畑』は,ホールデンがなんでマディソンのはずれで社会から逃げだしたがっているかを,あとから書きたしたものです。サリンジャーはその後,短編小説「バナナフィッシュにぴったりの日」でシーモアが自殺した理由を描くためにグラス家の大河小説に着手しましたが,そちらは未完に終わりました。

そんな事情があるために,『ライ麦畑』の成立過程で最初に発せられた what's the matter? は,「17」でホールデンがサリーに言うぶんです。どの口が言う。他の登場人物たちがホールデンにそう言うのは,ツッコミのようなものです。


 

ナレーションにおける現在時制

ライ麦畑』のナレーターは,ホールデンです。彼は,だれに語っているか。多くの一人称小説で,ナレーターは読者に語ります。一方,ホールデンは次のように言います。

I'll just tell you about this madman stuff that happened to me around last Christmas just before I got pretty run-down and had to come out here and take it easy.
-- 1

A lot of people, especially this one psychoanalyst guy they have here, keeps asking me if I'm going apply myself when I go back to school next September.
-- 26

ホールデンが「ここ(here)」と呼んでいるのは,西海岸にある療養施設であると示唆されています。彼がその施設のなんらかの職員に語るという設定で綴られたものが,この小説です。そのため,読者に語る一人称小説においてならば意味をなさないであろう表現が,『ライ麦畑』に現れます。たとえば「7」で。

Anyway, that's what I decided I'd do. So I went back to the room and turned on the light, to start packing and all. I already had quite a few things packed. Old Stradlater didn't even wake up. I lit a cigarette and got all dressed and then I packed these two Gladstones I have. It only took me about two minutes. I'm a very rapid packer.
とにかくそうしよ思てん。せやから部屋戻って電気点けて荷物まとめてん。もうだいたい詰めとってんけどな。ストラドレーター,ずっと寝とったわ。煙草点けて,服着て,ここにも持ってきたグラッドストーンのカバンふたつに荷物詰めてん。二分で終わったわ。おれ,荷物詰めんの早いねん。

こういった現在時制が与える違和感のおかげで,この小説の読者は,いまホールデンの目のまえにあるものは学校の寄宿舎でないと思いだします。現在流通している日本語版で,そういった効果が無視されているのは残念なことです。


 

It's a secret between he and I

アントリーニ先生は「24」で,転落したホールデンが 30 歳のときどうなってるかを想像して,彼に次のように語ります。

"It may be the kind where, at the age of thirty, you sit in some bar hating everybody who comes in looking as if he might have played football in college. Then again, you may pick up just enough education to hate people who say, 'It's a secret between he and I.' Or you may end up in some business office, throwing paper clips at the nearest stenographer.
「三十歳ぐらいで,どっかのバー座って,客がまるで大学でフットボールやってましたみたいな顔で入って来たら,そいつらのこといちいち嫌うようになる転落かもしれん。けどあいにくきみは教育を受けて,'It's a secret between he and I' とか言うようなひとらのことを嫌うようにもなってるやろ。それか,きみはどっかの会社入って,近くのタイピストにクリップ投げつけるような人間になりはててるかもしれん」

十分な教育を受けていない人々が言いそうな文としてアントリーニ先生が例に挙げる It's a secret between he and I は,教育のある人々が受けいれている文法に則って修正すると It's a secret between him and me です。それと同じ,代名詞の格の誤用を,ホールデンも行っています。

たとえば,「22」で。

"He was all out of breath from just climbing up the stairs, and the whole time he was looking for his initials he kept breathing hard, with his nostrils all funny and sad, while he kept telling Stradlater and I to get all we could out of Pencey."
おっさん階段昇っただけで完全に息切れとってん。頭文字探しとおるあいだ,ずっと音立てて息しとおってん。鼻の穴,おもろい形なったり悲しい形なったりしとってん。せやのにストラドレーターとおれに,ペンシーで身につけれるもんは全部身につけとけよ言いよんねん。

ホールデンが興奮して長文を喋っている一部ですが,太字の部分は Stradlater and me であるべきです。続いて「23」で。

I think I probably woke he and his wife up, because it took them a helluva long time to answer the phone.
いま考えたら,おれたぶん先生と奥さん起こしてしもてん。電話出るまで,めちゃめちゃ時間かかってん。

この太字の部分は him and his wife であるべきです。

現在流通している日本語版で,そういった効果が無視されているのは残念なことです。


 

オチ

サリンジャーが発表した長編小説(novel)は,『ライ麦畑』のみ。それ以外に彼が発表したものは,短編小説(stories)です。最初はハードカヴァーの本になるのが,長編小説。はじめ雑誌に掲載されるのが,短編小説です。

ライ麦畑』は,26 の部分から成りますが,それぞれの部分は「部(part)」とも「章(chapter)」とも呼ばれていません。数が表示されているだけ。上述のように,その一部は,いったん独立した短編小説として書かれました。

ライ麦畑』の 26 の部分のなかには,オチがついているものがいくつかあります。たとえば,ホールデンが予定を早めて寄宿舎を出ていく「7」の最後。

"Sleep tight, ya morons!" I'll bet I woke up every bastard on the whole floor. Then I got the hell out. Some stupid guy had thrown peanut shells all over the stairs, and I damn near broke my crazy neck.
「よう寝ろよ,このアホども!」あの階の全員起こしたった思うわ。ほんで,おれ出ていってん。どっかのアホが階段じゅうにピーナッツの殻捨てとおったから,もうちょっとでアホみたいに首折るとこやったわ。

ピーナッツの殻で滑って転びそうになった,というホールデンの発言で,続く「8」の冒頭は雪景色に一転します。きれいなオチです。

「23」で,両親に内緒で自宅に忍びこんで妹に会ったあと,ホールデンはアパートメントの裏階段をこっそりと歩いて降ります。彼はそのとき,また転びそうになります。

I walked all the way downstairs, instead of taking the elevator. I went down the back stairs. I nearly broke my neck on about ten million garbage pails, but I got out all right. The elevator boy didn't even see me. He probably still thinks I'm up at the Dicksteins'.
下までエレヴェーター乗らんとずっと歩いて降りてん。裏の階段。ごみバケツ一千万個ぐらいあって,つまづいて首折りかけたけど,なんとか無事に外出てん。エレヴェーター係,会えへんかったわ。あいつたぶんいまでもおれディックステーンさんとこおる思とおるわ。

続く「24」の冒頭で,アントリーニ先生のアパートメントに舞台が移ります。

それらは場面を円滑に転換するためのオチですが,「8」のオチはなんなんでしょ。「7」で寄宿舎に一方的に別れを告げたあと,ホールデンは「8」で駅まで雪道を歩いて汽車に乗ります。途中で,上品な中年女性がその汽車に乗ってきます。彼女は,ホールデンが退学になったばかりの学校で同学年だった生徒モローの母親であるとわかります。ホールデンは,その生徒のことを嫌っていますが,自分の相手をしてくれる女性のことを(母親以外ならば)だれでも好きになるので,モローの母親に煙草を勧めてカクテルを飲みにいこうと誘います。彼は,彼女の気を引くために,モローのことを口から出まかせで誉めますが,彼女はホールデンに深入りしないほうがいいと察して,会話が途絶えます。やがて彼女が先に列車を降りるとき,彼女は社交辞令で,ホールデンに,夏休みにうちに遊びに来てねと誘います。ホールデンは,感謝して,夏休みは南米に行く予定があると答えます。それから彼は,この話を語っている相手に,たとえ世界中のお金をもらってもモローのとこなんか行かないと付けくわえます,こんなふうに。

But I wouldn't visit that sonuvabitch Morrow for all the dough in the world, even if I was desperate.

ふだんサナヴァビッチ(雌犬の息子)という罵倒語を使ってるので,ホールデンはここでモローをそう形容します。おまえ,その雌犬のこと好きなんちゃうの?


ライ麦畑で捕まえるやつ

この長編小説の題名は,「22」における次の独白に由来しています。

「『ライ麦分け来る子捕わば』いう歌あるやん。それ──」
「それ,『ライ麦分け来る子と会わば』やん」フィービー言いよってん。「それ詩やん。ロバート・バーンズの」
ロバート・バーンズの詩いうんは,おれかて知ってるわ」
あいつの言うとおりやってん。たしかに「ライ麦分け来る子とあわば」やねん。けどおれ,そんときそれ知らんかってん。
「『捕わば』や思とったわ」おれ言うてん。「とにかく,ライ麦のでっかい畑とかで小さい子どもらがみんななんかして遊んでるとこ,おれよう想像すんねん。小さい子何千人もおって,まわりだあれもおれへんねん──大人おれへんねん──おれ以外。ほんでおれアホみたいな崖の端んとこ立ってんねん。子ども崖から落ちそうやったら,おれその子捕まえんねん,それがおれの役やねん──子ども走っとって,そっち行ったらどうなるか見てへんかったら,おれどっかから出ていって,その子捕まえんねん。おれ一日中それだけやってんねん。おれライ麦畑でそうやって子ども捕まえるやつとかなりたいねん。気狂てるんは分かってるけど,おれホンマなりたいんてそれだけやねん。気狂てるんは分かってるけど」
フィービーしばらく黙っとおってん。ほんでなんか言う思たら,「お兄ちゃん,お父さんに殺されてまうやん」言いよってん。

なので日本語でも題名は『ライ麦畑で捕まえるやつ』がいいのではないでしょうか。

ライ麦畑で捕まえるやつ