リチャード・ブローティガン『西瓜糖で』(1968)抄訳

第一部 西瓜糖で

西瓜糖で

西瓜糖では,出来事が何度も繰りかえし起こった。いま西瓜糖で暮らしてるぼくの生活も,繰りかえしばかりだ。その話を,きみにしよう。ぼくがここにいて,きみが遠くにいるから。

どこにいても,ひとは最善を尽くさなくちゃいけない。きみのとこへ旅するには(to travel)遠すぎるし,ここには西瓜糖以外に旅する(to travel)手段がない。きっとうまくいくさ。

ぼくは,ワタ死(iDEATH)の近くの小屋で暮らしてる。窓からワタ死(iDEATH)が見える。きれいだ。それは,目を閉じても見えるし,触ることもできる。ちょうどいまは冷たくなって,子供が手のひらで回すようなものになって回ってる。それがいったいなんなのか,ぼくは分からない。

ワタ死(iDEATH)は,微妙なバランスで成りたってる。ぼくらは,それが気に入ってる。

ぼくの小屋は,ぼくの人生と同じように,小さいけれど快適だ。小屋は,松(pine=悲痛な思い)と西瓜糖と石(stones=酩酊)でできてる。このへんのものは,たいていそうだ。

ぼくらは,細心の注意を払いながら,西瓜糖をもとにした暮らしを作りあげてきた。そして,夢の長さだけ旅してきた(have ... traveled)。松と石が並ぶ道に沿って。

ぼくの小屋には,ベッドと椅子,テーブルと,ふだんものを仕舞ってる大きな戸棚がある。夜になると,西瓜鱒油を入れたランタンに火を灯す。

それは関係ない話だ。その話は,後回しにしよう。ぼくは,静かな日々を送ってる。

窓辺に行って,また外を見る。刃物みたいに長い雲のところで,太陽が光ってる。今日は火曜日で,太陽は金色だ。

松の林と,その林から流れでた何本もの川が見える。川は冷たく透きとおってて,川には鱒がいる。

川といっても,幅が 2,3 インチしかないものがある。

幅が半インチしかない川を,ぼくは知ってる。ぼくは,物差しで測って,一日中ほとりにいた。午後には雨が降った。ここでは,なんでも川と呼ぶ。ぼくらは,そういう人間だ。

西瓜畑と,畑を流れる川が見える。松林と西瓜畑には,橋がたくさんかかってる。ぼくの小屋の前にも,橋がある。

橋は,木製のもあるし,銀製のもある。銀の橋は,古くなって錆びてて,雨みたいだ。石の橋もある。石はずっと遠くから持ってきたから,石の橋は遠い順に完成した。ほかに,西瓜糖でできた橋がある。ぼくは,西瓜糖の橋がいちばん好きだ。

ここでは,ほんとうにいろんなものを西瓜糖から作る──そう,これも言っとかなくちゃ──ワタ死(iDEATH)の近くで書いてるこの本も西瓜糖でできてる。

この本のどこに入っても,きみは,西瓜糖のなかで旅をする(travel)ことになる。

 

マーガレット

今朝,だれかがドアをノックした。ぼくは,ノックのしかたでだれだか分かるし,彼女たちが橋を渡ってくるのが聞こえてた。

彼女たちは,一枚しかない音の鳴る板を踏んだ。彼女たちはいつもその板を踏む。ぼくは,それがぜんぜん理解できない。彼女たちがどうしていつも間違えずにその板を踏むのか,ぼくはいろいろ考えてみた。そしたら,彼女たちがドアの前に立って,ノックしてた。

ぼくは,興味なかったから,返事しなかった。彼女たちに会いたくなかった。彼女たちがなんの用事で来たのかぼくは分かってたし,相手にしたくなかった。

彼女たちは,ようやくノックを止めた。彼女たちは,橋を渡って戻っていくとき,もちろん音の鳴る板を踏んだ。それは,釘の列が曲がってる長い板で,何年も前に打ちつけたものだ。いまさら修理しようがない。そして彼女たちは行ってしまい,板は静かになった。

ぼくは何百回通ってもその板を踏まない自信があるのに,マーガレットはいつもそれを踏む。

 

ぼくの名前

たぶんきみは,ぼくがいったいだれなのかちょっと気になってるだろうけど,ぼくは決まった名前のない人間だ。ぼくの名前は,きみしだいだ。なんでもかまわないから,きみがいま思いうかべてることを,ぼくの名前にしてほしい。

たとえば,きみがずっと前の出来事を思いだしてるとしよう。だれかになにかを訊かれたけど,答えが分からなかった,とか。

それが,ぼくの名前だ。

たぶん,大雨が降ってただろう。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,きみはだれかになにかを頼まれた。きみは,言われたとおりのことをした。なのに,それは違ってると言われた──「どうもすみませんでした」──そして,やりなおさなくちゃいけなくなった。

それが,ぼくの名前だ。

それは,子供のころ遊んだゲームだろうか。それとも,きみが年老いて窓辺の椅子に座ってるとき,なんとなく思いだした出来事かもしれない。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,きみはどこかを歩いてた。まわりは花でいっぱいだった。

それが,ぼくの名前だ。

たぶん,きみは川に見入ってた。近くに,きみの愛するひとがいた。そのひとが,きみに手を伸ばした。その手が触れるまえに,きみは気配を感じた。そして,手が触れた。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,ずっと遠くからだれかがきみを呼んだ。その声が,山彦みたいに響いた。

それが,ぼくの名前だ。

きみは,ベッドに入ってあとはもう眠るだけだった。そのとき,きみのことをからかってだれかが言った冗談を,きみは思いだして笑った。いい一日の終わりかただ。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,きみはなにかおいしいものを食べてるところで,一瞬なにを食べてるか分からなくなったんだけど,それでもおいしいと思って食べてた。

それが,ぼくの名前だ。

真夜中に,ストーヴのなかで炎が鐘のように鳴った。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,彼女があんな話をしたとき,きみは嫌な気分になった。そんなの,ほかの奴に言えばいいのに。彼女の問題をもっとよく知ってるほかのだれかに。

それが,ぼくの名前だ。

たぶん池には鱒がいるんだろうけど,川は幅が 8 インチしかなくて,ワタ死(iDEATH)の夜空には月が輝き,西瓜畑が異様に光ってて,暗いからすべての西瓜から月が出てるように見えた。

それが,ぼくの名前だ。

それにしても,マーガレットはぼくのことを放っておけばいいのに。