共産主義を宣伝するよ

 まず,こんなのから始めましょう。


問 1-1. A さんは,自分の土地に,1 本の果物の木を所有しています。その木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-1. A さんのもの。


 次に,こんなのはどうでしょうか。


問 1-2. A さんは,自分の土地に,多くの果物の木を所有しています。A さんは,自分ひとりですべての木の世話をすることができなかったので,近くに住む B さんに手伝ってもらって,果物を育てました。それらの木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-2. A さんのもの。


 この答えに異議のあるかたはいらっしゃいますか。手伝ってくれた B さんに,A さんはお礼を差しあげるべきだと考えるかたがいるかもしれません。A さんは,いったんすべての果物を手に入れて,それらの一部を B さんにあげる,ということでいいでしょうか。


問 1-3. A さんは,自分の果樹園に,多くの果物の木を所有しています。A さんは,自分ひとりですべての木の世話をすることができなかったので,近くに住む B さん,C さん,D さん,…,Z さんに手伝ってもらって,果物を育てました。それらの木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-3. A さんのもの。


 この場合も,問 1-2. の場合と同じように,A さんは,いったんすべての果物を手に入れて,それらの一部を B さん,C さん,D さん,…,Z さんにあげる,ということにしましょう。


問 1-4. A さんは,自分の果樹園に,多くの果物の木を所有しています。A さんは,それらの木の世話を,果樹園の近くに住む B さん,C さん,D さん,…,Z さんに任せきりにしています。A さんは,この数年,自分の果樹園に足を踏みいれたことがなく,遠く離れた町で暮らしています。それらの木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-4. A さんのもの。


 これまでの場合と同じように,この場合も,A さんは,いったんすべての果物を手に入れて,それらの一部を B さん,C さん,D さん,…,Z さんに差しあげる,ということにしましょう。しかし,A さんは,果樹園に近づかないので,B さん,C さん,D さん,…,Z さんに会う機会がおそらくないでしょう。果樹園では,A さんの代理人が,B さん,C さん,D さん,…,Z さんにお礼をあげることでしょう。


問 1-5. A さんは,自分の果樹園に多くの果物の木を所有していますが,そこに立ちよることはありません。果樹園では,A さんの代理人が,それらの木の世話をする人々を募集し,働いてくれた人々に一定の賃金を支払うと約束しました。一方,B さん,C さん,D さん,…,Z さんは,いずれも自分自身の農地を持っておらず,生活を営むために別のだれかから賃金を得なければなりませんでした。彼ら彼女たちにとって,その賃金を支払ってくれる相手はかならずしも A さんの代理人でなくてよかったのですが,いくつかの選択肢から A さんの代理人を選びました。果樹園の木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-5. A さんのもの。


 この場合,A さんは,果樹園とそこにある木々とを所有していること以外の点で,果物の生産に関与していません。けれど,それらの生産に先立つもの(capitals)を,つまり,果樹園と木々とを A さんが所有しているので,すべての生産物はいったん A さんのものになります。一方,B さん,C さん,D さん,…,Z さんは,見かけ上それぞれの自由な意思にもとづいて A さんの代理人と契約を結び,A さんの果樹園で労働を行うのと交換で賃金を得ました。

 以上のすべての場合で,樹木の果実を所有する権利をもっている者は,その樹木の所有者です。そのことを是認する制度は,古今東西に広く見られます。それらに沿った生産様式のうち,とくに次のふたつの条件を満たすものを,資本制的生産様式(a capitalist mode of production)といいます。


(a) 樹木の所有者が,果実の生産に必要な労働をたとえまったく行っていなくても,すべての果実は,樹木の所有者に帰属するのが正当であると見なされている。
(b) 果実の生産に必要な労働を行う者たちは,なんらかの身分制度によって労働を強いられるのでなく,賃金を得るのと交換でその労働を行う。彼ら彼女たちは,だれのために労働を行って賃金を得るかを選ぶことができるが,もしだれのためにも労働を行わず,賃金を得ないならば,衣食住の生活必需品を正当に入手する方法がない。


 それにたいして,それらの条件を次の (c),(d) のように変更することを目指す運動を共産主義(communism)といいます。


(c) 生産に先立つもの(capitals)をだれかが所有しているという理由で生産物がその所有者に帰属する制度を廃止する。
(d) 各人が能力に応じて生産したものを,各人が必要に応じて受けとる。


 共産主義の本質は,これらの (c),(d) にあります。しかし,なんらかの理由で共産主義にあまり馴染みのない人々には,共産主義者はそれらよりほかのことを熱心に主張しているように映っているかもしれません。そして,肝心の (c),(d) を差しおいて,それらと別の主張が共産主義の本質であると誤解している人々さえいるでしょう。そのような誤解は複合的な諸原因によって生じていますが,その責任の一端は共産主義者自身にあるとわたしは思います。というのは,共産主義者は,(c),(d) を目指すことが理にかなっていると確信するまでに,ふつう次のような議論を経ているからです。


1. 現象について
 資本制的生産様式によって生産されるものは,商品(commodities)です。それぞれの商品には,価値(value)があります。資本制的生産様式では,その価値は,労働(labors)によって生みだされています。資本(capitals)が価値を生みだしているわけではありません。しかし,資本の所有者(capitalists)は,生産物のすべての価値を所有して,労働者たち(workers)にその一部を賃金(wages)として与えるにすぎません。そのことを,資本家は労働者を搾取している(exploit)といいます。
 では,共産主義では,労働者が生産物のすべての価値を所有するのか。そうだとも言えるし,ちがうとも言えます。命題 (d) に見られるように,生産に大きく貢献した者ほど多くの価値を受けとるべきであるという考えを,共産主義は否定しています。共産主義が目指しているものは,資本制的生産様式に附随する諸観念を保持したまま,所有権だけを付けかえることではありません。共産主義者は,生産に関係する諸観念の体系が根本的に変革されるべきだと考えています。

2. 歴史について
 上の問 1-5. で,B さん,C さん,D さん,…,Z さんは,いずれも自分自身で生産手段を持っておらず,生活を営むために別のだれかから賃金を得なければなりませんでした。彼らのような人々は,資本制的生産様式が支配的な社会において多数派です。しかし,いつの時代にもそうであったわけではありません。労働することによって賃金を得て,その賃金で生活必需品を購入する人々は,どのようにして社会の多数を占めるに至ったか。それ以前の社会では,どのような人々が多数を占めていたか。古い社会は,どのようにして新しい社会に変わるか。共産主義者は,そういった問いにたいして,唯物史観と階級史観ならびに弁証法にもとづいて,答えを導こうとします。
 しかし,それらの議論は,共産主義者でない人々にとって受けいれがたい。なかでも,弁証法は,共産主義者でない人々に蛇蝎のごとく嫌われています。弁証法は,社会が変化する原因を説明しようとする論法のひとつです。共産主義者でない人々は,社会が変わってほしくないと思っているから弁証法を受けいれないのだ,と共産主義者は主張します。一方,それを拒絶する人々は,弁証法はそもそも論理的でないという。共産主義者は,だったらその論理が誤っていると言いかえす。そのあたり,議論が噛みあいません。その結果,共産主義者は次のように考えます:共産主義者でない人々は,いまの社会が変わる必要はないと主張するのに都合のいい諸観念の体系を真実であると見なしがちである。社会の一部の人々にとって都合がいいという理由で真実と見なされる諸観念の体系を,共産主義者イデオロギー(ideology)と呼んで批判します。

3. 未来について
 共産主義は,上の (c),(d) を目指す運動です。しかし,だれが,どうやってそれらを実現するか。その変革を目指すことに,なんらかの必然性があるか。また,(c),(d) は突然に実現するわけでなく,社会がいくつかの過渡期を経たあとで実現します。過渡期において,共産主義者はなにを目指すか。その目標に正当性はあるか。そういったことを,共産主義者は議論します。上の 1. および 2. について,共産主義者たちのあいだで見解が根本的に異なることはほとんどありませんが,3. についてはさまざまな意見があります。
 たとえば,資本家が生産手段を所有する制度を廃したあと,だれが生産手段を所有するのか。歴史上,共産主義を標榜した国家において,大多数の場合,国家が生産手段を所有する制度が導入されました。しかし,生産手段の国有化が共産主義の最終目標であると考える共産主義者はいません。(c),(d) を目指す途中で,共産主義者は今後も国有化を当面の目標とすべきかどうか,共産主義者のあいだで意見が一致しているわけではありません。また,これまでの共産主義国家では,プロレタリア独裁が導入されました。それは,一種の哲人政治を意図していましたが,実際には多くの場合,指導者への個人崇拝に結びつきました。独裁にたいする嫌悪は,共産主義者にかぎらず多くの人々のあいだで共有されています。しかし,社会を変革するために,旧来容認されていた自由が制限されることがあります。たとえば,今日ほとんどの国々で,商人が奴隷を売買することは禁じられています。同じように,(c),(d) を目指す過渡期に,資本制的生産様式で生産を行おうとする人々の自由は,どの程度まで禁じられるべきか。その点について,共産主義者の見解が一致しているわけではありません。


 単純な (c),(d) と比べて,1.,2.,3. についての議論は濃厚になりがちです。だから共産主義者はそんなことばかり言っているように見られていることがありますが,それは枝葉の部分です。よく茂っていますが。
 そこで,繰りかえし。共産主義とは,次のことを目指す運動です:

・ 資本をだれかが所有しているという理由で生産物がその資本家に帰属する制度を廃止する。
・ 各人が能力に応じて生産したものを,各人が必要に応じて受けとる。