ニュートンと原子論と (1)

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ケプラーの法則から万有引力の法則を導く

ケプラーの法則

ティコ・ブラーエの観測記録をもとにヨハネス・ケプラーが行った分析によれば,火星の公転軌道は楕円でした。ケプラーは,自らの分析にもとづいて,惑星の公転について次の三法則を提唱しました(第一,第二法則は『新天文学』で 1609 年に,第三法則は『世界の調和』で 1619 年に発表)。

  • 第一法則: 惑星の軌道は楕円であり,そのふたつの焦点の一方に太陽がある。
  • 第二法則: 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に掃く面積は一定である。
  • 第三法則: 惑星の公転周期の 2 乗は,軌道の長半径の 3 乗に比例する。

これらの法則は,アイザック・ニュートンによる万有引力の法則にとって,不可欠の根拠です。それらの関係を見るために,わたしたちはまず,ケプラーの法則を前提として万有引力の法則を導きましょう。

ケプラーの法則に従って運動する惑星の加速度は太陽のほうを向いている

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xy-座標平面上の楕円 x2a2+y2b2=1 0<b<ax-軸方向に a2-b2 だけ平行移動して得られる楕円

    x-a2-b22a2+y2b2=1

が,惑星の公転軌道であるとします。そのとき,原点 O は,その楕円の焦点のひとつです。ケプラーの第一法則に従って,そこに太陽があるとします。

惑星が点 P x,y にあるとすると,xy は媒介変数 θ でそれぞれ次のように表されます。

    x=acosθ+a2-b2y=bsinθ

太陽と惑星との距離を r とすると,

    r2 =x2+y2
      =acosθ+a2-b22+bsinθ2
      =a2cos2θ+2aa2-b2cosθ+a2-b2+b2sin2θ
      =a2cos2θ+2aa2-b2cosθ+a2-b21-sin2θ
      =a2cos2θ+2aa2-b2cosθ+a2-b2cos2θ
      =a2-b2cos2θ+2aa2-b2cosθ+a2
      =a2-b2cosθ+a2

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P における軌道の接線は,次のように表されます。

    acosθ+a2-b2-a2-b2x-a2-b2a2+bsinθyb2=1
    x-a2-b2cosθa+ysinθb=1
    bxcosθ-ba2-b2cosθ+aysinθ=ab
    bxcosθ+aysinθ-ba2-b2cosθ-ab=0

この接線と原点 O との距離を h とすると,

    h =-ba2-b2cosθ-abb2cos2θ+a2sin2θ
      =ba2-b2cosθ+aa2sin2θ+b2cos2θ

惑星の速度ベクトルを v=vx,vy とすると,

    vx =ddtacosθ+a2-b2
      =-asinθdθdt
    vy =ddtbsinθ
      =bcosθdθdt

したがって,

    v =a2sin2θdθdt2+b2cos2θdθdt2
      =a2sin2θ+b2cos2θdθdt

θ は媒介変数であり,dθdt は正でも負でもかまいません。ここでは dθdt>0 とすると,

    v=a2sin2θ+b2cos2θdθdt

ケプラーの第二法則は,12vh が時間によらない定数であると主張しています。そこで 12vh=C (C>0) とすると,

    12a2sin2θ+b2cos2θdθdtba2-b2cosθ+aa2sin2θ+b2cos2θ=C
    a2-b2cosθ+adθdt=2Cb

この式の両辺を t について微分すると,

    -a2-b2sinθdθdt2+a2-b2cosθ+ad2θdt2=0
    d2θdt2=a2-b2sinθa2-b2cosθ+adθdt2

惑星の加速度ベクトルを a=ax,ay とすると,

    ax =ddt-asinθdθdt
      =-acosθdθdt2-asinθd2θdt2
      =-acosθdθdt2-aa2-b2sin2θa2-b2cosθ+adθdt2
      =-aa2-b2cos2θ-a2cosθ-aa2-b2sin2θa2-b2cosθ+adθdt2
      =-a2cosθ-aa2-b2a2-b2cosθ+adθdt2
      =-aacosθ+a2-b2a2-b2cosθ+adθdt2
      =-aa2-b2cosθ+adθdt2x
    ay =ddtbcosθdθdt
      =-bsinθdθdt2+bcosθd2θdt2
      =-bsinθdθdt2+ba-b2sinθcosθa-b2cosθ+adθdt2
      =-ba-b2sinθcosθ-absinθ+ba-b2sinθcosθa-b2cosθ+adθdt2
      =-absinθa-b2cosθ+adθdt2
      =-aa-b2cosθ+adθdt2y

したがって,

    a =-aa2-b2cosθ+adθdt2x,-aa2-b2cosθ+adθdt2y
      =-aa2-b2cosθ+adθdt2x,y
      =-aa2-b2cosθ+adθdt2OP

-aa2-b2cosθ+adθdt2<0 ですから,惑星の加速度ベクトル a は,OP に平行であり,かつ,P から O のほうを向いています。つまり,惑星の加速度 a は,太陽のほうを向いています。

ケプラーの法則に従って運動する惑星の加速度の大きさは太陽との距離の二乗に反比例する

また,dθdt=2Cba2-b2cosθ+a ですから,

    a =-aa2-b2cosθ+a2Cba2-b2cosθ+a2OP
      =-4C2ab2a2-b2cosθ+a3OP

OP=r=a2-b2cosθ+a ですから,

    a =-4C2ab2r3r
      =4C2ab2r2

4C2ab2 はひとつの惑星にとって定数ですから,その惑星の加速度の大きさ a は,惑星と太陽との距離 r の逆二乗に比例します。

ケプラーの第三法則は,太陽系の各々の惑星の公転周期の 2 乗とその軌道の長半径の 3 乗とが,比例すると主張しています。各々の惑星の公転周期は,その公転軌道で囲まれた面積 πab をその面積速度 12vh でわった商です。いま 12vh=C であり,また,楕円の長半径は a ですから,比例定数を k とすると,ケプラーの第三法則は次のように表されます。

    πabC2=ka3
    π2k=C2ab2

したがって,

    a=4π2kr2

k は太陽系のどの惑星にとっても等しい定数ですから,惑星の加速度の大きさ a は,軌道の大きさや形によらず,また,面積速度の大きさにもよらず,ただ距離 r の逆二乗に比例します。

ケプラーの法則運動方程式および作用反作用の法則を適用すると万有引力の法則が導かれる

ここで,ニュートンの運動法則を既知としましょう。惑星を楕円軌道に沿って運動させる力を f とし,惑星の質量を m とすると,f=ma が成立します。つまり,その力 f の方向は,惑星と太陽とを通る直線に沿っていて,かつ,その向きは,惑星から太陽のほうを向いています。さらに,その力の大きさ f は,惑星の加速度の大きさ a に比例するとともに,惑星の質量 m にも比例します。

惑星を楕円軌道に沿って運動させる力の作用主がなんであるか,いまの段階でわたしたちは知りませんが,かりにそれが太陽であるとしましょう。つまり,太陽が惑星に力 f をおよぼしていると仮定しましょう。すると,作用反作用の法則によって,地球が太陽に力 -f をおよぼしています。その力によって起こされる太陽の運動の加速度を b として,太陽の質量を M とすると,-f=Mb が成立します。つまり,その力の大きさ f は,太陽の質量 M に比例します。

以上をまとめると,惑星を楕円軌道に沿って運動させる力の大きさ f は,太陽の質量 M に比例し,その惑星の質量 m に比例し,その惑星と太陽との距離 r の逆二乗に比例します。その比例定数を G とすると,

    f=GMmr2

が成立します。これが,万有引力の法則です。

「質量」や「力」は必要だったか

ケプラーの法則から惑星の加速度の方向および大きさを求める計算の煩雑さに比べると,その加速度から万有引力の法則を導く手順はあっさりとしています。ニュートンは,その部分の議論を簡単にするために,『自然哲学の数学的諸原理』(1687 年)の冒頭に運動の第二法則(運動方程式)および第三法則(作用反作用の法則)を置いたと考えられます。わたしたちはさきほど,座標と方程式と微分とベクトルとを用いて惑星の加速度を導きましたが,一方ニュートン自身は,そのような道具に頼らず,ユークリッド幾何学の手順で同じ結論を導きました。気の遠くなる方法です。もしわたしたちがニュートンの天才を賛美するつもりであるならば,感嘆の言葉は尽きることがありません。しかし,ここでわたしたちは別の道へ進みましょう。

万有引力の法則を導く議論の最後の部分を詰めるためにニュートンが導入した「質量」や「力」とは,いったいなにか。科学史上「質量」という概念を考案したのは,ニュートンです。彼以前にそんなものに注目したひとはいませんでした。彼自身による「質量」の定義は,「密度と体積との積」です。今日わたしたちは,質量と体積とから密度が求められると考えています。しかし,ニュートンにとって,密度は質量に先立ちます。その定義は,どういう発想にもとづいていたのか。彼がそのとき思いえがいていた密度や質量とはなんなのか。

また,物体の運動量を変化させる原因を「力」と名づけたのも,ニュートンです。彼は,「力」という概念を利用して,地上の物体の運動と天上の惑星の運動とを同一の原理で説明することに成功しました。しかし,彼が言う「力」は,どんなしくみで天体のあいだを伝わるのでしょうか。そもそも「力」は,物質から成るものなのか,それとも聖霊のような可想体なのか。それらの疑問について,ニュートンは,「わたしは仮説を作らない」(わからないことを語らない)とだけ言って,彼自身の見通しを示しませんでした。

いったん万有引力の法則に批判的な目を向けると,その法則は自然にとって本質的であるかどうかという疑問が生じるかもしれません。ケプラーの法則は,観測から帰納されたものであり,それらは「質量」にも「力」にも関係なく成立します。ニュートンは,先人の法則に,自分自身で考案した得体の知れない「質量」や「力」といった諸概念を絡ませ,さらに彼自身が提唱する運動の第二法則,第三法則をあてはめて,万有引力が存在すると主張しています。たとえば,哲学者ヘーゲルは,惑星の運動にかんする諸法則を発見したのはニュートンでなくケプラーであると論じ,「名声が第一発見者からそうでない者にこれほど不当に移ったことは,しばしばあることでない」と述べています(『エンチクロペディー』自然哲学)。

ニュートンと原子論と

読みやすさのために,結論を先に述べておきましょう。ニュートンは独特の原子論にもとづいて力学(と光学と)を構想したのではないかという見解を,わたしたちは目指します。原子と言っても,ニュートンが思いうかべていたであろうものは,今日わたしたちが学んで知っている原子ではありません。彼が想定したと思われるものは,物質と光とを構成する究極の粒子であり,数多くあるそれらの粒子はすべて均一であると見られます。ですから,それらは,今日でいう原子よりむしろ陽子,中性子,電子に近く,クオークに近く,超弦やさらに未知の実体(substances)に近いものです。もしニュートンが原子についてそういった洞察をもっていたと仮定すれば,以下の事柄にたいするわたしたちの理解は深まるでしょう。

  • 彼は,質量を,密度と体積との積と定義しました。
  • いわゆる活力論争において,彼は,ライプニッツの唱えた活力を支持せず,運動量を支持しました。
  • 彼は,光線が粒子から成ると考えていました。彼はまた,光線が物質に変わり,物質が光線に変わることがあるかもしれないと考えていました。
  • 彼は,錬金術師でした。つまり,たとえば,ありふれた金属が,希少な金に変わることがあるかもしれないと考えていました。
  • 彼は,ユニテリアンでした。

素朴な運動量の可能性

運動量はニュートン以前から論じられていた

今日,学校では,ニュートンによる運動の三法則を習ったあとで,運動量について学ぶのがふつうです。しかし,ニュートン自身にとって,運動量は三法則に先立つものでした。彼は,エウクレイデス『原論』にならって,『自然哲学の数学的諸原理』の本文冒頭に「定義」および「公理」を置きました。「定義」で最初に言及されるのは質量であり,その次は運動量です。

定義 I
物質の量とは,物質の密度と大きさ(体積)とをかけて得られる,物質の測度である。

定義 II
運動の量とは,速度と物質の量(質量)とをかけて得られる,運動の測度である。

8 項目にわたる定義を終えると,彼は「公理,あるいは運動の諸法則」へ進みます。そこで,三法則が示されます。

法則 I
どんな物体も,それにはたらく力によって状態を変えるように強いられないかぎり,静止の状態または直線に沿って均一に運動する状態を維持する。

法則 II
運動(運動量)が変化する大きさは,物体にはたらく力につねに比例する。運動(運動量)が変化する方向は,物体にはたらく力が沿う直線の方向である。

法則 III
どんな作用にも,逆向きで大きさの等しい反作用が,つねに存在する。言いかえると,ふたつの物体が及ぼしあう相互の作用は,つねに大きさが等しく,向きが逆である。

今日わたしたちは,速度の時間微分(つまり加速度)が力に比例すると習いますが,ニュートン自身によれば,運動量の時間微分が力に比例する(法則 II)といいます。両者は,質量の時間微分がゼロであるという条件のもとで(つまり相対性理論を考慮しないならば),数学的に同値です。だから,どちらでもかまいませんが,当時の読者にとってのわかりやすさを考慮すると,運動量に言及するほうがよかっただろうと思われます。運動量は,『自然哲学の数学的諸原理』以前から先人によって議論されていたからです。たとえば,ルネ・デカルトは,『哲学原理』(1644 年)で次のような自然の三法則を提示しました。余談ながら,ニュートンは,1687 年に出版された自らの主著のひとつに『自然哲学の数学的諸原理』という書名を付けたさい,デカルトの『哲学原理』(原理は複数形)を念頭に置いていたと考えられます。

第一法則: どんなものも,可能であるかぎりにおいて,つねに,同じ状態でありつづける。したがって,いったん運動をしたものは,つねに,動きつづける。

第二法則: 運動は,そもそも,直線に沿う。したがって,円に沿って動くどんな物体も,それが描く円の中心から,つねに,遠ざかろうとする。

第三法則: 物体が,それより強い別の物体と衝突したならば,前者は運動をすこしも失わない。しかし,物体がそれより弱い別の物体と衝突したならば,前者は,運動のなんらかの量を失う。そして,それと等しい運動の量を,前者は後者に与える。

デカルトの第三法則は,今日のわたしたちの目で見ると混乱していますが,運動量保存則の萌芽的な表現と評価されることがあります。たしかに,「運動のなんらかの量」や「それと等しい運動の量」という表現に,運動を定量的に理解しようと努める彼の姿勢が窺えます。しかし,彼によれば,運動の量は,物体の「大きさ」と速さとの積であるといいます。運動量を質量と速度との積であると理解しているわたしたちにとって,物体の「大きさ」という表現は不満足です。むしろ,デカルトの第三法則は,カトリック教会の教義の一変種であるとわたしたちは見なすことができるかもしれません。西欧が 12 世紀にイスラム圏からアリストテレスを受容して以来,カトリック神学では,神の存在証明の根拠に,物体から別の物体に運動が伝わるという事実が利用されることがありました。たとえば,神学者トマス・アクィナスは,『神学大全』(1268 年)で,神が存在することを五通りの方法で証明しました。それらのうち最初の証明は,次のように,世界に動いているものがあることを根拠にして,神の存在を証明しています。

第一の比較的明白な方法は,運動(motus,変化)について論じることによって得られる。世界に動いているものがあるということは,確実であり,私たちの感覚には明白である。さて,なんであれ動いているものは,別のなにかによって動かされたのである。というのは,あらゆるものは,それが動いている向きの先にあるものにたいして可能態にある場合以外には,動くことができないからである。一方,動いているものは,それが動いているということを以って現実態にある。というのは,運動とは,ものを可能態から現実態に移行させることにほかならないからである。また,ものを可能態から現実態に移行させることができるのは,現実態にあるものだけである。たとえば火のように現実態において熱いものは,可能態において熱い木を現実態において熱くするのであり,それによって木材を動かし変えるのである。さて,ひとつのものが,別の観点についてならともかく,ひとつの観点について同時に現実態かつ可能態にあるということはありえない。というのは,現実態において熱いものが,同時に可能態において冷たいというならともかく,同時に可能態において熱いということはありえないからである。したがって,ひとつのものが,ひとつの運動について同時に動かすものとなり動かされるものとなることはありえない。つまり,ものは自分自身を動かすことができない。よって,なんであれ動いているものは,別のなにかによって動かされたのでなければならない。もし,動いているものを動かしたものがそれ自身動いていたのであれば,それもまた別のものによって動かされたのでなければならず,以下次々に別のものが必要になる。しかし,これを無限に続けることはできない。なぜなら,もしそれを無限に続けられるのであれば,最初に動かしたものはないということになり,ひいては,動いているものはなにもないという結論に至るからである。あとから動きだしたものは,最初に動かしたものが動かしたかぎりにおいて動いているにすぎないことを考慮すること。杖が手によって動かされるしかないのと同様である。したがって,他のものによって動かされたのではない,最初に動かしたものに辿りつくことは必然である。それを,すべての人々は神であると理解している。

トマスのこの議論は,アリストテレスによる「不動の動者(自らは動かされることなく他を動かす者)」論を下敷きにしています。アリストテレスは,それによって神の存在を証明しようとしたわけでなく,むしろ,時間に始まりがあり時間は有限であるという主張は論理的に「不動の動者」の存在を要請していると指摘したと考えられます。また,「不動の動者」論を神の存在証明に転用する主張は,カトリック以前にイスラムで行われていました。

デカルトや彼の同時代の知識人たちは,宇宙のすべての運動の第一原因は神であるという学説を知っていましたし,それが真実であると見なしてさえいました。そういった社会的了解のもとで,デカルトは,伝わる運動の量に言及しました。今日の観点では,そのはかりかたを誤ったまま。

デカルトを含む,ニュートン以前の人々は,質量という概念なしに,運動量についてなにを議論していたのでしょうか。かりにわたしたちが科学史に詳しくなろうとしているのであれば,当時の人々が書いた書物や手紙を仔細に検討しなければならないことでしょう。偉人たちが,一方で正しい主張を行いつつ,他方でなにかを誤っているようすを辿ることは,苦痛を伴います。その辛い作業を終えた科学史家たちの見解によれば,今日のわたしたちが満足できるような運動量の定式化を初めて行ったのは,クリスティアンホイヘンスであるといいます。彼は,その成果をクリストファー・レンに伝えたそうです。ところが,アイザック・ニュートンは,『自然哲学の数学的諸原理』で運動量について論じたさい,ホイヘンスとレンとの二人を名指しで批判しています。だれが信じられるのでしょうか。

偉人たちが書いた膨大な手紙の検証は歴史家に任せて,わたしたちは,デカルトが考えたような運動量の可能性を考察することにしましょう。言いかえると,ニュートンの考案した質量という概念なしに,運動量という概念によってどういった主張が論理的に可能であるかを見ていきましょう。それはいわば,絶滅した生物がもし生きのびていたとしたら,進化によってどんな生物になるかもしれなかったかを考えるようなものです。その作業をとおして,わたしたちは,ニュートンのいう質量にたいしてある視点を持つことができるでしょう。

重さが等しい二枚の硬貨の衝突

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まず,単純な例を取りあげましょう。なるべくでこぼこのない机に,二枚の 10 円玉を,すこし間を開けて並べます。そして,一方の 10 円玉を指で弾いて動かし,それを静止している 10 円玉にぶつけます。うまくぶつけると,動いていた 10 円玉が止まり,その瞬間に,静止していた 10 円玉が動きだします。あえて非科学的に表現するならば,それはまるで,一方の 10 円玉に潜んでいた「勢い」が,衝突をきっかけにして,他方の 10 円玉に乗りうつったかのようです。

では,次のふたつの現象で,一方の「勢い」が他方に乗りうつったとわたしたちは説明できるでしょうか。

重い硬貨が軽い硬貨に衝突する現象

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異なる種類の硬貨──たとえば 1 円玉と 500 円玉と──を,すこし間を開けて机に並べます。そして,大きいほうの 500 円玉を指で弾いて動かし,それを静止している 1 円玉にぶつけます。この場合,1 円玉が動きだしたあと,500 円玉が遅くなりながらも動きつづけるという現象が見られます。かりにそれを「勢い」のしわざとして説明しようとするならば,はじめ 500 円玉には大勢の「勢いたち」がいて,その一部が 1 円玉に乗りうつり,その他の「勢いたち」は 500 円玉に居残ったとでも言わなければならないことでしょう。

軽い硬貨が重い硬貨に衝突する現象

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反対に,小さいほうの 1 円玉を動かして,それを 500 円玉にぶつける場合,500 円玉が動きだすと同時に,1 円玉は,はねかえって,衝突前と逆向きに動くという現象が見られます。かりにそれを「勢いたち」のしわざとして説明しようとするならば,衝突後に 1 円玉に居残った「勢いたち」がなぜ逆向きに動くかを説明するのに苦労することでしょう。

そこで,わたしたちは,非科学的な「勢い」といった存在の代わりに,「相対速度」と「物体の分割」という考えかたにもとづいて,これらの運動の変化を説明できるかどうか試しましょう。

相対速度

17 世紀,ガリレオ・ガリレイが暮らしていたヴェネツィアには港があり,そこに多くの帆船が出入りしていました。帆船には,帆を張るための支柱があり,その最頂部で船員が遠くを見張っていました。

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船が港で錨泊しているとき,見張りの船員が支柱のてっぺんからうっかり石を落としたとします。強い風が吹いていないかぎり,石はまっすぐに落ちて,支柱のふもとあたりにぶつかるでしょう。石は,落下しているあいだ,だんだん速くなります。そのことは実験によって確かめられます。

波が穏やかな晴れの日には,船に乗っている人々にとって,船が進んでいるのか停まっているのか分からないくらい静かであることがあります。もし見張りの船員が,船が前進しているのに気づかないまま,石を落としたとすると,それはどのように落下するでしょうか。石は,船が停まっている場合と同じように,支柱のふもとあたりにぶつかります。そのことは実験によって確かめられます。

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その場合,石はまっすぐに落ちていると言っていいでしょうか。落下する石を陸上で見ているひとがいるとします。石は,船員の手元から落ちて,支柱のふもとあたりにぶつかります。石が落下しているあいだに船がいくらか前進するので,石が落下しはじめるときの支柱の位置と,ぶつかるときの位置とは,陸上で見ているひとにとって異なります。陸上のひとにとって,石は,曲線に沿って落ちているように見えます。一方,見張りの船員にとって,石は,自分の足元の方向にまっすぐ落下しているように見えます。このように,同一の運動が,あるひとにはまっすぐであるように見え,別のひとには曲線に沿っているように見えることがあります。

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ガリレオは,『天文対話』(1632 年)でそのことを指摘しました。この思考実験では,慣性とならんで,相対速度が扱われています。わたしたちはのちに,一方の硬貨にたいする他方の相対速度を利用して,硬貨の衝突で見られる現象を説明することにしましょう。

物体の分割

こんどは,重いものは軽いものより速く落ちるかどうかを考えましょう。キャノン砲の砲弾とマスケット銃の弾丸とを等しい高さから同時に手放すと,両者は同時に着地します。そのことは,実験で確かめられます。

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けれど,そんなことくらい実験をするまでもなく分かると,『新科学対話』(1638 年)でガリレオは述べています。重さが異なるふたつの球が同じように落下することは,次のように説明されます。かりに,1 kg の球より 2 kg の球のほうが速く落ちるとします。では,それらをつないだものは,どのように落下するでしょうか。それは,1 kg の物体の速さと 2 kg の物体の速さとの中間の速さで落下するのか。それとも,3 kg の物体として落下するのか。かりに重さによって物体の落下のしかたが異なるならば,ひとがなにをひとつのまとまりと見なすかによって,物体の落下のしかたが異なることでしょう。そんなことは起こりそうにありません。

ガリレオは,ふたつの物体をつなぐ場合に言及しましたが,ひとつの物体をいくつかの部分に分割しても同じ議論が成立します。わたしたちはのちに,硬貨を分割して,衝突を説明することにしましょう。

デカルトの誤った主張をいったん受けいれる

先に見たように,デカルトが『哲学原理』で提唱した自然の第三法則は,次のようなものでした。

第三法則: 物体が,それより強い別の物体と衝突したならば,前者は運動をすこしも失わない。しかし,物体がそれより弱い別の物体と衝突したならば,前者は,運動のなんらかの量を失う。そして,それと等しい運動の量を,前者は後者に与える。
『哲学原理』二部,四十節

今日の観点から見ると,この法則の第一文の主張は誤っています。というより,今日の考えかたや語法になじんでいると,この一文がなにを言っているのかがわからないかもしれません。デカルトは,その法則を示した直後に,それが成立すると彼が見なしたいくつかの例を挙げています。そのなかのひとつは,こういうものです。

動いている物体が他の物体に衝突するとき,もし動いている物体の,ひとつの直線に沿って動きつづける力が,もう一方の物体の抵抗より小さいならば,動いている物体の,方向は入れかわるが,運動は減らない。
『哲学原理』二部,四十節

この例でデカルトが想定しているのは,ボールが壁にぶつかってはねかえるような場合です。速度 v で壁にぶつかったボールが,弾性衝突ではねかえり,速度 -v で壁から遠ざかる場合を,彼は,運動量が保存される例に含めています。そのことは,今日の観点では誤りです。しかし,わたしたちはいま,ニュートン以前の素朴な運動量の可能性について考察しようとしています。そこで,しばらくのあいだ,デカルトのその主張を受けいれましょう。

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重さが等しい二枚の硬貨の衝突についての素朴な説明

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以上の準備を踏まえて,二枚の 10 円玉が衝突する現象について再考します。左の 10 円玉が,机にたいする速さ v で動いていて,右にある,机にたいして静止している 10 円玉にぶつかるとします。その衝突をきっかけにして,右の 10 円玉が,机にたいする速さ V で動きだし,左の 10 円玉は減速するとします。左の 10 円玉がどれくらい減速するか,わたしたちには分かりませんが,右の 10 円玉の速さが 0 から V に増えたので,左の 10 円玉の速さは,それと同じだけ,つまり V だけ小さくなると仮定しましょう。つまり,左の 10 円玉の,机にたいする速さが,衝突後に v-V になるとします。

その場合について,右の 10 円玉から見た,左の 10 円玉の相対速度を考えましょう。衝突前に,右の 10 円玉から見て,左の 10 円玉は速さ v で近づきます。一方,衝突後の二枚の速さの差は,V-v-V です。つまり,右の 10 円玉から見ると,左の 10 円玉は V-v-V の速さで遠ざかります。

先に見た,ボールが壁ではねかえる例で,壁のところで見ているひとにとって,ボールは,速さ v で近づいて,衝突後に速さ v で遠ざかりました。それと同じように,右の 10 円玉から見て,左の 10 円玉は衝突後に速さ v で遠ざかると仮定しましょう。このとき,

    V-v-V=v
    V-v+V=v
    2V=2v
    V=v

つまり,衝突後の,右の 10 円玉の速さ Vv に等しく,左の 10 円玉の速さ v-V0 であるという結論が得られます。止まっている 10 円玉に別の 10 円玉が速さ v でぶつかると,止まっていた 10 円玉が速さ v で動きだし,はじめに動いていた 10 円玉が止まるという現象が,なんとか説明されました。

重い硬貨が軽い硬貨に衝突する現象についての素朴な説明

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こんどは,重さが異なる二枚の硬貨が衝突する例について考えましょう。計算を簡単にするために,重さ 2 の硬貨が重さ 1 の硬貨にぶつかるとします。ふたつの硬貨の重さの比が,2 : 1 です。

重さ 2 の硬貨が,机にたいする速さ v で動いていて,机にたいして静止している,重さ 1 の硬貨にぶつかるとします。その衝突をきっかけにして,重さ 1 の硬貨が,机にたいする速さ V で動きだし,重さ 2 の硬貨は減速するとします。

重さ 2 の硬貨がどれくらい減速するか,わたしたちには分かりませんが,先に見た,物体の分割の考えに沿って,次のように仮定しましょう:重さ 2 の硬貨を,二個の重さ 1 の物体が結合したものと見なします;ふたつの硬貨がぶつかった「衝撃(impulse,力積)」によって,重さ 1 の硬貨が速さ V で動きだします;その「衝撃」の「反動(reaction,反作用)」が,重さ 2 の硬貨のふたつの部分に均等に分かれて及んだとわたしたちは見なして,それらのふたつの部分がいずれも 12V だけ減速すると仮定します;つまり,重さ 2 の硬貨の速さが,衝突後に v-12V になるとします。

そのとき,衝突後の二枚の速さの差は,V-v-12V であり,重さ 1 の硬貨から見ると,重さ 2 の硬貨は速さ V-v-12V で遠ざかります。ボールが壁ではねかえる場合や二枚の硬貨が衝突する場合と同じように,一方の側から見て,他方が近づいてくる速さと遠ざかる速さとが等しいと仮定しましょう。

    V-v-12V=v
    V-v+12V=v
    32V=2v
    V=43v

つまり,衝突後の重さ 1 の硬貨の速さは 43v であり,衝突後の重さ 2 の硬貨の速さは,

    v-12V =v-12·43v
      =v-23v
      =13v

重さ 2 の硬貨が速さ v で,静止している重さ 1 の硬貨にぶつかると,重さ 1 の硬貨が速さ 43v で動きだし,重さ 2 の硬貨は速さ 13v に減速しつつも動きつづけます。重い硬貨が軽い硬貨にぶつかると,軽い硬貨が動きだし,重い硬貨も減速しつつ動きつづけるという現象が,なんとか説明されました。

軽い硬貨が重い硬貨に衝突する現象についての素朴な説明

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もうひとつ,重さ 1 の硬貨が重さ 2 の硬貨にぶつかる例を見ましょう。重さ 1 の硬貨が,机にたいする速さ v で動いていて,机にたいして静止している,重さ 2 の硬貨にぶつかるとします。重さ 2 の硬貨をふたつの部分に分割して,その現象について考察しましょう。

二枚の硬貨がぶつかった「衝撃」によって,重さ 1 の硬貨が V だけ減速するとします。それと同じ大きさの「衝撃」が重さ 2 の硬貨のふたつの部分に均等に与えられるとすると,それぞれの部分が得る「衝撃」の大きさは,重さ 1 の硬貨が受けた「衝撃」の大きさの半分です。そこで,二枚の硬貨がぶつかったあと,重さ 2 の硬貨は速さ 12V で動きだすと仮定します。つまり,衝突後の重さ 1,重さ 2 の硬貨の,机にたいする速さが,それぞれ v-V12V であるとします。

そのとき,衝突後の二枚の速さの差は,12V-v-V であり,重さ 2 の硬貨から見ると,重さ 1 の硬貨は速さ 12V-v-V で遠ざかります。これまでの場合と同じように,その速さが,衝突前に近づく速さ v に等しいと仮定すると,

    12V-v-V=v
    12V-v+V=v
    32V=2v
    V=43v

つまり,衝突後の重さ 2 の硬貨の速さ 12Vは,

    12V =12·43v
      =23v

であり,重さ 1 の硬貨の速さ v-V は,

    v-V =v-43v
      =-13v

重さ 1 の硬貨が速さ v で,静止している重さ 2 の硬貨にぶつかると,重さ 2 の硬貨は速さ 23v で動きだします。一方,重さ 1 の硬貨の衝突後の速さは -13v という負の値で表されています。このことは,重さ 1 の硬貨が,はねかえって,もと来たほうへ速さ 13v で進むことを意味していると,わたしたちは理解しましょう。軽い硬貨が重い硬貨にぶつかると,重い硬貨が動きだし,軽い硬貨がはねかえるという現象が,なんとか説明されました。

物理に詳しいかたのなかには,いまわたしたちが見た衝突の例が弾性衝突にかぎられていることに不満をお持ちのかたがいるかもしれません。また,「衝撃(impulse)」,「反動(reaction)」と西欧語を併記してある語は,物理ではそれぞれ「力積(impulse)」,「反作用(reaction)」というといぶかしむかたもいるでしょう。いずれもそのとおりですが,みなさんが思っているところへ,わたしたちはあとで参ります。それより,わたしたちは,いま考察したことを一般化しましょう。

素朴な運動量の弾性衝突における一般化

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重さ mAmB のふたつの物体 A,B が,それぞれ,地面にたいする速さ vAvB で,一直線上を同じほうに進んでいるとします。A は,やがて B に衝突します。A,B の,衝突後の地面にたいする速さを,それぞれ vA'vB' とします。

ここで,A は,重さ 1 の部分が mA 個だけ「集まったもの(mass,質量)」であると,わたしたちは見なしましょう。B は,mB 個の「集まり(mass,質量)」です。ふたつの物体がぶつかった「衝撃(impulse,力積)」が,B の mB 個の部分に均等に分けあたえられ,そのことによって,地面にたいする B の速さが vB'-vB だけ増えるとしましす。その「衝撃」の大きさをどのように測ればいいか,わたしたちには分かりませんが,衝撃 ImB 等分したものが B の速さを vB'-vB だけ増やす原因であると考えて,ImB=vB'-vB としましょう。つまり,I=mBvB'-vB です。衝撃 I の 「反動(reaction,反作用)」が A の mA 個の部分に均等に及んで,A の速さが mBvB'-vBmA だけ減るとします。

    vA'=vA-mBvB'-vBmA

この方程式の両辺に mA をかけて,整理します。

    mAvA'=mAvA-mBvB'-vB
    mAvA'=mAvA-mBvB'+mBvB
    mAvA'+mBvB'=mAvA+mBvB

物理にお詳しいかたはお分かりのように,ここで最後に得られた方程式は,「運動量保存の法則」と同じ形をしています。ただし,ここでいう mAmB は,それぞれの物体の「重さ」または「重さ 1 の部分の個数」を指していて,今日の教科書に載っている「質量(mass)」ではありません。またここでは,衝突前に B から見た A の近づく速さと,衝突後に B から見た A の遠ざかる速さとが等しいと,わたしたちは仮定しています。今日の語法でいうと,わたしたちは,ふたつの物体の衝突が弾性衝突であると仮定しています。しかし,教科書によれば,「運動量保存の法則」は非弾性衝突でも成立するといいます。そこで,わたしたちは次に非弾性衝突について考察しましょう。

日本の集団的自衛権 2021

先日,安保法制懇の報告書の文言の一部が国連憲章に即していない旨ツイートしたところ,その報告書の内容と現在の日本政府の軍事政策とを同一視するかたがいらっしゃいました。しかし,法制懇の構成員の一部からは,せっかくの議論がないがしろにされたと怒りが聞こえてくるほどで,安倍政権が集団的自衛権を容認したあと推進した諸政策は,その報告書の勧告と異質です。わたしが折にふれてツイートしてきたことであり,またその話かとうんざりされるかたがいらっしゃるかもしれませんが,わたしが COVID-19 でコロリと逝くかもしれませんので,わたしから見えることをまとめておきます。

第二次安倍内閣2014 年に集団的自衛権の一部行使を容認する閣議決定を行ったあと,それに関連して日本政府が行ったことは,わたしの見るところ,次の四点です。

  1. 南スーダンに派遣されている自衛隊部隊にたいして「駆け付け警護」,「宿営地の共同防護」の任務を追加(2017 年)
  2. 日本国内でイージス・アショアの建設を計画(2018 年発表,2020 年中断)
  3. 南シナ海自衛隊が潜水艦と戦う訓練を実施(2018 年)
  4. 自衛隊アラビア海へ派遣(2020 年)



駆け付け警護,宿営地の共同防護

「駆け付け警護」と「宿営地の共同防護」という任務追加は,日本政府が,国連平和維持作戦に参加している自衛隊員にたいして,自衛隊員以外を防衛する目的で武器を使用できるようにする措置です。

自衛隊の英名である the Self-Defense Forces は,英米法で「正当防衛」に相当する the right of self-defense の概念に由来します。たとえば,だれかがナイフを持ってあなたに襲いかかってきたとき,あなたが自己を守る目的でばたばたさせた手が相手の鼻を折ったとしても,あなたが傷害罪に問われることはありません。なぜか。それは正当防衛だから,と日本語でいい,それは合法的防衛だから,とフランス語でいい,あなたには自己防衛の権利(the right of self-defense)があるから,と英語でいいます。国際法における「自衛権」(the right of self-defense)は,英米法の「自己防衛の権利」を拡張した概念です。単純化して言えば,英米法で自然人に認められている「自己防衛の権利」の主体を国家に変えたものが,国際法における「自衛権」です。国連憲章のフランス語正文では,国際法の「自衛権」が,フランス法の語法に合わせて le droit naturel de légitime défense (合法的防衛の自然権)と表現されています。かりに日本人が日本語の発想で自衛隊を構想したならば,その名称は「正当防衛行使隊」であったことでしょう。ちなみに,たとえば 2014 年クリミア住民投票でその地域がロシヤに編入されると決まったとき,一時的に公権力の真空が生じ,住民たちが「自警団」を組織しました。その「自警団」は,英語の報道で the self-defense force と表現されました。

ところが,日本政府が国連平和維持作戦(PKO)に自衛隊部隊を派遣している根拠は,自衛権ではありません。日本が武力攻撃を受けていないからです。PKO に派遣されている自衛官が武器を使用する根拠があるとすれば,それは,国家の自衛権でなく,自然人に備わった正当防衛の権利です。しかし,それでは,武力攻撃を受けている国連職員を護衛できないおそれがあるので,政府が自衛隊に付与した任務が「駆け付け警護」です。また,自衛隊が宿営地を共同で利用している外国軍が何者かによって武力攻撃を受けた場合に,自衛隊部隊がその外国軍部隊とともに反撃する任務が「宿営地の共同防護」です。それらの行為はいずれも正当防衛でありませんが,日本の刑法 35 条は「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」と規定しているので,任務を遂行した自衛官が日本政府に罰せられることはありません。

今後,自衛官が武器を使用する機会が増えるならば,敵前逃亡などの規律違反を犯した自衛官を罰するための軍法会議が必要であると,専門家たちは議論しています。しかし,現時点で日本政府は,それら専門家の意見を受けいれそうにありません。



イージス・アショア

東アジアにある某国が米国に弾道ミサイルを発射した場合に,日本がそのミサイルを破壊するという構想は,1990 年代から日米の軍事関係者のあいだで議論されてきました。その場合,日本は武力攻撃を受けていないので,個別的自衛権を根拠にすることができません。米国を標的とするミサイルを日本が破壊するには,日本が集団的自衛権を使えるように法整備を行う必要がありました。

では,日本が集団的自衛権を行使できるならば,米国を標的とする弾道ミサイルを日本は合法的に破壊できるか(集団的自衛権十分条件か)。その点は,あいまいです。今日までに国際司法裁判所が下した判決によれば,どんな国も,集団的自衛権を行使するには,次の条件が満たされていなければなりません。

  • 武力攻撃が存在すること
  • 武力攻撃を受けた国から援助の要請があったこと
  • 必要性(集団的自衛権を行使する以外の手段がないこと)
  • 均衡性(反撃が過剰でないこと)

発射された弾道ミサイルがまだ着弾していない段階で,標的とされた国は,武力攻撃を受けたと見なされるか。国際連合憲章は,そのような場合を想定しているわけでなさそうです。国連憲章の英語正文で,自衛権の発動要件のひとつは「if an armed attack occurs against a Member of the United Nations(国連加盟国にたいする武力攻撃が発生したならば)」と表現されています。同じ部分がスペイン語正文では「en caso de ataque armado contra un Miembro de las Naciones Unidas(国連加盟国にたいする武力攻撃の場合に)」と,動詞のない句で表されているので,それを根拠にすれば,ミサイルが発射された段階で,標的とされた国は自衛権を行使していいかもしれません(他方,中国語正文では「联合国任何会员国受武力攻击时」(国際連合のいかなる加盟国が武力攻撃を受けたときでも)と言われていますが)。

では,武力攻撃を受けた国からの援助要請という要件についてはどうか。発射から数分以内に対応しなければならないミサイル破壊という任務にさいして,米国からの正式な援助要請を待っている余裕は日本になさそうです。その点について,日本政府は,あらかじめ条約で包括的な同意を得ていれば,個別の機会に援助要請がなくても集団的自衛権を行使できるという見解を示しています。
衆議院議員長妻昭君提出集団的自衛権行使容認等に関する質問に対する答弁書

それらの点について,日本政府は,国連憲章国際司法裁判所の判決を含む国際法を遵守するつもりはないでしょう。なぜならば,国際司法裁判所による上述の判決は,いわゆるニカラグア事件において,米国政府の主張を退けるためのものだったからです。集団的自衛権の行使を厳しく制限するその判決に,米国は不服であり,命じられた賠償を行いませんでした。その国のために日本が集団的自衛権を行使するにあたって,道理が通る見込みはありません。

日本政府は 2018 年,秋田市萩市とにある陸上自衛隊の施設に,弾道ミサイル防衛システムの陸上機材(イージス・アショア)を導入する計画を立てました。たとえば,北朝鮮の東倉里基地から弾道ミサイルがハワイに発射された場合,秋田市はその大圏ルートの近くにあり,同基地からグアムへの大圏ルートの近くに萩市があります。日本政府は,集団的自衛権を行使して,米国を標的とするミサイルを破壊するつもりである。そのことは,ほとんどだれの目にも明らかでした。しかし,当時の安倍晋三首相は,イージス・アショアは日本を防衛するためのものであると主張しました。

もともと,日本国憲法9 条のもとで日本は自衛隊を持つことができるという解釈がアクロバティックでしたが,さらに日本が憲法を変えずに集団的自衛権を行使できると解釈することは,針の穴を通すような理屈が必要でした(穴を通れていないという有力な説もあります)。いわゆる「武力の行使の新三要件」に明記されている,「他国に対する武力攻撃が発生し」,かつ,そのことによって「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」事態とは,具体的にどういうものか。それを説明したひとはいません。その要件は,軍事的理由から導きだされたものでなく,現憲法下で日本が集団的自衛権を行使できる場合があるとすれば,それはどういう条件を満たす場合であるかを述べているにすぎないからです。米国を標的とするミサイルを日本が破壊するには,日本が集団的自衛権を行使できるようにしなければならないと,安倍氏は知っていました。かりにわたしが安倍氏の立場にいたとしたら,内閣法制局から上がってきた「新三要件」を突きかえしたことでしょう。それは,言葉のうえで集団的自衛権の一部行使を容認しているものの,米国を標的とするミサイルを日本が破壊する根拠にならないからです。そのために必要な解釈変更になっていないからです。しかし,安倍氏は,「新三要件」を閣議にかけて,それを公式の政策にしました。安倍氏が官僚の作った「新三要件」を受けいれた理由は,彼の能力が低すぎてその内容を理解できなかったからだと考えられますが,そのことはいまさらどうでもいい。問題は,彼の政権がイージス・アショアを導入すると決めた点です。イージス・アショアが,米国を標的とするミサイルを破壊するためのものであるとすれば,それを運用する法的根拠が薄弱なまま,日本政府はその導入に着手しました。安倍氏自身は,イージス・アショアは日本を防衛するためのものであると不可能な言いわけをしていればよかったかもしれませんが,その政策を引きつぐ将来の政府は,いずれその矛盾に直面することが避けられないでしょう。

ところで,周知のように,イージス・アショアの建設計画は 2020 年に中断されました。それは,米国を標的とする弾道ミサイルを日本が破壊する計画が中断されたというより,イージス・アショアのシステムが従来のイージス艦によるシステムによって代替可能になったという技術的な理由によると見られます。将来の日本政府が,法的根拠が薄弱なままミサイルを破壊する決断を迫られるおそれは,軽減されていません。

その計画中断に至る途中に,おかしなことが起きました。202056 日に,読売新聞が,政府はイージス・アショアの建設を中断する意向であると報じ,翌 7 日,日本放送協会NHK)がそのことを追認するニュースを放送したところ,それらの報道を,当時の菅義偉官房長官河野太郎防衛大臣が否定しました。とりわけ河野氏は,それらを「フェイクニュース」と呼んでこきおろしましたが,翌 615 日に彼自身がそれらの報道どおり計画の中断を正式に発表しました。つまり,イージス・アショアを建設するかどうかという決断は,政府の官房長官防衛大臣があずかり知らぬところで行われていたとわかりました。では,どんな集団がそういった重大事項の決断を行っていたのか。読売新聞と NHK とは,すくなくともその一端を知っていたわけですから,後日その実態を報じるべきであるとわたしは思います。また,河野氏は,それより前に安倍政権で外務大臣であったときにも,いわゆる「北方領土」をめぐる日本-ロシヤ間の交渉で,蚊帳の外に置かれていたことがありました。河野氏が,安倍政権下で二度にわたって,大臣として担当している重大な事案についての意思決定の過程から外されたのはなぜか。偶然か,それとも,河野氏が関与してはならないとだれかが判断したのか。だれかがそう判断したのであれば,それはなぜか。安倍前首相や,河野氏外務大臣であったときの谷内正太郎国家安全保障局長,谷内氏を後継した北村滋現国家安全保障局長,および国家安全保障局のスタッフに,河野氏を排除した理由を報道機関は尋ねてみればいいのにと,わたしは思います。

それはさておき,米国を標的としたミサイルを日本が破壊した場合,ミサイルを発射した国は,その国が攻撃していない日本から武力攻撃を受けたという理由で,日本にたいして自衛権を行使するでしょう。もしミサイル発射国が国際法を遵守するつもりがないならば,ミサイル発射の直前または同時に,その国は日本のミサイル防衛システムを破壊しようと努めるでしょう。



南シナ海における対潜水艦戦訓練

中国にとって南シナ海が戦略的に重要である理由は,それに面した海南島原子力潜水艦の基地(楡林海軍基地)があるからです。原子力潜水艦は,攻撃型原子力潜水艦弾道ミサイル原子力潜水艦とに大別され,米国にとってより大きな関心があるほうは後者です。

米国は,核兵器を実戦で使用したことがある唯一の国ですが,その一方で,そうであるがゆえに,自国にたいして核兵器が使われることを恐れています。もしどこかの国が,大量の大陸間弾道ミサイルに搭載した核兵器で米国の都市や軍事基地を攻撃してきたら,米国はどうすればいいか。軍事基地が攻撃されれば,米国の領土に反撃するための核兵器は残っていないかもしれません。そこで米国は,原子力潜水艦に反撃用の弾道ミサイル核兵器とを搭載することにしました。今日,世界で運転されている原子力発電所の大半は,もとをたどれば原子力潜水艦の技術を商用に転用したものです。つまり,原子力潜水艦は,原子炉から得られるエネルギーで駆動します。ディーゼル機関とちがって原子炉は酸素を必要としないので,原子力潜水艦は長いあいだ海面下に潜んでいることができます。弾道ミサイル原子力潜水艦の本質的な任務は,ふたつあります。ひとつは,自国が核攻撃を受けて反撃できない場合に,弾道ミサイルに搭載した核兵器で敵国を攻撃すること。もうひとつは,それ以外のときに,海のどこかでだれにも見つからないようにしていること。そのような原子力潜水艦が世界中の海に十分に存在していて,しかも,ミサイルと核兵器とが高性能であることを敵国が知っているならば,敵国は反撃を恐れて米国を核兵器で攻撃できないでしょう。ここまでが米国側からの視点。一方,その相手国,かつてのソ連,今日のロシヤも,同じことを恐れて同じように原子力潜水艦を世界中の海に潜ませました。両国が同じことをしたので,どちらの国もたがいにたいして核兵器を使用できない状態が成立しました。そのことを,相互確証破壊Mutual Assured Destruction)によって核戦争が抑止されているといいます。Mutual Assured Destruction の頭文字は MAD,頭がおかしい,という意味です。相互確証破壊の状態が成立しているのは,長いあいだ,米国とロシヤとの二国間においてのみでした。しかし,まもなく中国がそれら二国に加わろうとしています。

中国が経済力を背景にして軍事力を増すのは避けられませんが,米国はすこしでも中国にたいして優位に立っていたい。その手段のひとつが,イージスによるミサイル防衛システムです。かりに敵国の核兵器を搭載した弾道ミサイルを百発百中で破壊できるとすれば,相互確証破壊の状態は崩壊することでしょう。そして,もうひとつの地味な嫌がらせの手段が,仮想敵国の弾道ミサイル原子力潜水艦がいまどこにいるかを見つけておくことです。米国が敵国を核兵器で攻撃するさい,かりにそれと同時に敵国のすべての弾道ミサイル原子力潜水艦を攻撃できるならば,米国は自国にたいする反撃を軽減できることでしょう。

弾道ミサイル原子力潜水艦の位置を把握するためには,それらが基地の近くの浅い海にいるうちに見つけておく必要があります。冷戦時のソ連は,潜水艦が米軍に見つかることを嫌って,オホーツク海および北極海を厳重に警備して,米軍の潜水艦がそれらの海域で自由に航行できないようにしていました。米国はいま,中国が南シナ海で,かつてソ連オホーツク海でしたのと同じことをするのではないかとおそれています。

米国が中国にそのようなおそれを抱いているとわたしに教えてくれたのは,安倍晋三氏です。彼は,野党自由民主党の党首だった 2012 年に,英文で Asia's Democratic Security Diamond という論文を発表し,そのなかで,南シナ海の「要塞化(fortified)」という珍しい語を用いて,人民解放軍の動向に懸念を表明しました。その論文で彼は,旧ソ連Soviet Russia と呼び,日本と中国とのあいだに尖閣諸島をめぐる領土紛争があることを前提として話を進め(当時の日本政府の公式見解は,尖閣諸島は日本の領土なので,中国とのあいだに解決すべき紛争は存在しない,というものだった),日本の自衛隊を「軍隊military」と呼び,日本と中国との二国間関係を「中日関係(Sino-Japanese relations)」と表現しました。もし日本政府の外務省職員が事前に目を通していれば,それらの箇所に赤入れしていたことでしょう。安倍氏の英語の能力を考慮すれば,その論文を実際に書いたのは,のちに安倍政権下で内閣官房参与に就任する谷口智彦氏であったと思われます。もしかすると,その内容を考えたのも谷口氏であったかもしれません。谷口さん,ここで,攻撃型原子力潜水艦弾道ミサイル原子力潜水艦とを混同していませんか。

Yet, increasingly, the South China Sea seems set to become a "Lake Beijing," which analysts say will be to China what the Sea of Okhotsk was to Soviet Russia: a sea deep enough for the People's Liberation Army's navy to base their nuclear-powered attack submarines, capable of launching missiles with nuclear warheads.

しかし,南シナ海はますます,このままではまるで「北京湖」にされそうに見えます。分析者たちによれば,中国にとっての南シナ海は,ソヴィエト・ロシアにとってのオホーツク海になるだろうといいます。つまりそれは,人民解放軍の海軍が,核弾頭を搭載したミサイルを発射できる攻撃型原子力潜水艦の拠点にできるほど,十分な奥行きのある海です。

ところで,米国が,他国を核兵器で攻撃するさいに,それと同時に敵国の弾道ミサイル原子力潜水艦を攻撃するという事態は,めったに起こりそうにありません。米国は,その費用の一部を日本に肩代わりさせたいのでしょう。日本の海上自衛隊2018 年に,自前の潜水艦「くろしお」をわざわざ南シナ海に連れていって,護衛艦と航空機とで潜水艦と戦う訓練をしたと,『令和元年版防衛白書』に記されています。
令和元年版防衛白書
第III部 わが国防衛の三つの柱(防衛の目標を達成するための手段
第2節 防衛力が果たすべき役割
1 平時からグレーゾーンの事態への対応
3 海洋安全保障の確保に向けた取組
(2)防衛省自衛隊の取組
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2019/html/n31201000.html

18(平成30)年9月には、「かが」など海自護衛艦3隻及び搭載航空機5機及び潜水艦「くろしお」が南シナ海において対潜戦訓練を実施した。

この件においても,イージス・アショアの建設中断と同じように,どういう集団が訓練を実施すると判断したのかが,よくわかりません。



アラビア海自衛隊を派遣

日本の横須賀を母港とする米海軍第 7 艦隊は,現在,インドから日付変更線までのインド洋および太平洋を担当しています。アフリカ北東部から中東を経てパキスタンまでは第 5 艦隊が担当していますが,それは湾岸戦争を経験した 1995 年以降のこと。それ以前は,その海域も第 7 艦隊が担当していました。また,第 5 艦隊には専任の艦船がなく,必要に応じて寄せあつめられた艦船が艦隊を編成します。

米国は,第 7 艦隊の費用の一部にくわえて第 5 艦隊の費用の一部を,日本に負担させたいのでしょう。現在,日本政府は,日本独自の取りくみとして,情報収集のために,閣議決定を根拠として,海上自衛隊の艦艇を 1アラビア海に派遣しています。自衛隊は,とにかく来いと言われて(行けと言われて)来たものの,法的根拠が薄弱でたいしたことはできません。以下のページに,期限は 1 年と記されていますが,閣議決定によってさらに 1 年延長されました。
https://www.mod.go.jp/j/approach/defense/m_east/index.html

上のページに,「情勢の顕著な変化時は、国家安全保障会議において対応検討」という一文があります。国家安全保障会議は,総理大臣を議長とする関係大臣による合議体。その事務局が,国家安全保障局です。

What is 3776's Link Mix? (1)

3776's Link Mode is a form of musical performance in which Ide Chiyono (井出ちよの) and Hirose Aina (広瀬愛菜) sing different but correspondent songs simultaneously. The Mode was started in 2017 and developed until Hirose left the group in 2018. Ishida Akira (石田彰), producer and composer, calls the group in the period '3776 Season #4.' Their performance was designed to make polyphonic music happen, rather than to do harmonic one by the two singers. Although the Link Mode is suspended as of February 2021, the producer says 'the concept is maintained.'

3776 (pronounced mi-na-na-ro) is an idol group based in Fujinomiya, Japan, a historic gateway city for climbers to Mount Fuji. It was one of few communities that responded Ishida, who had sent all mayors across Japan an e-mail to push himself as a local idol producer. With the backing of the municipal authorities just for a year, he launched Team MII (team em two) in 2012 on the condition that the group's activities should be non-profit only. When the public support was ended, some of the members wished to continue singing their songs on stage, and Ishida reorganized them into 3776 (Season #1). While most residents in Fujinomiya were delighted that Mount Fuji was inscribed as a World Heritage Site by UNESCO, 3776 sang an awkward reserve player in school was My World Heritage (私の世界遺産). 3776 Season #2 was featured with theatrical expressions as seen in Overture (序曲). As Ishida wrote more unconventional songs, more members left him. Finally, he decided to make 3776 Season #3 a one-person group whose sole member was Ide Chiyono. 3776 Season #3 was radical, serious, and humorous. Songs in Love Letter (ラブレター, 2014) and If You Should Have A Reason Not To Listen To 3776 (3776 を聴かない理由があるとすれば, 2015) often carried double entendres, referring to daily things while hinting dreadful experiences that people in Japan had shared on March 11, 2011: a great earthquake followed by tsunamis and a nuclear disaster. 3-11, a song included in If You Should, portrayed a world that seemed to have been ruined by an eruption of Mount Fuji. If you listen to the album, you will be guided from a foot to the top of the mountain to see it explodes.

And then, 3776 Season #4. Hirose Aina was 'linked' to 3776 (you could understand she had joined, Ide said) in 2017. She had been a local singer based in Yamanashi Prefecture, where the northern half of Mount Fuji belongs. Its southern half is part of Shizuoka Prefecture where the city of Fujinomiya is located. Ishida made two different songs, both titled It's Mine! (私のものです!), to have Ide and Hirose sing each at the same time in different directions. They sounded like they were competing for the mountain, but why in separate directions? 3776 usually performs outdoors. At the South Fuji Local Wholesale Market where the group gave monthly regular gigs those years, the two singers sang with two walls of a corner of a storehouse behind their backs. In other words, on the L-shaped corner, Ide stood on the vertical line to sing leftward, while Hirose did on the horizontal, 20 meters away from the angle, to face downward. Where should the audience have listened to their songs? Some stayed in front of Ide, some before Hirose, some found a place where they could hear the two singers, and others frequently walked around the corner. The pair of It's Mine! was confusing because a few parts were harmonized. The producer composed three other pairs, Keep Your Sleep For A While (もうちょっとおやすみ), A Song Of Peaches And Young Sardines (桃としらすの歌) and I Can't See (見えない). Apparently, he did not have an intention to treat the audience with a beauty of harmony, as the pair of I Can't See were almost independent of each other. If we say the angle at the Market mentioned above was 90 degrees, ones at other places were sometimes 120, and even 180 degrees, and distances between Ide and Hirose were from 20 to more than 100 meters. Ishida named the performance 3776's Link Mode. You can listen to each song of the four pairs, apart, in the CDs titled Open Experiments (公開実験).

3776 Season #4 went further than something we can listen to on CDs. Ishida conceived an idea of quasi-Link Mode. When one of the members gave an in-store gig, the producer played the counterpart's songs with his laptop. Their songs were heard simultaneously from two separated positions. It was as if you were a fish swimming in an aquarium, feeling temperature differences, seeing reflections of views -- sounds.

Then Ishida supplied two pairs of songs to the Link Mode:

1. (Hirose) Myths Of Mount Fuji, The First Movement, Creation Of Heaven And Earth (富士山神話第一楽章「天地創造)
1. (Ide) The Formation Of Mount Fuji, A Chronological Description (
富士山の成り立ち概要)

2. (Hirose) Myths Of Mount Fuji, The Second Movement, Izanagi (富士山神話第二楽章「イザナギ)
2. (Ide) See-And-Goers (
観覧逃げ)

While Hirose's songs were based on an ancient Japanese myth, Ide's referred to today's scenes. According to the myth, there were no lands in the sea but layers like jellyfish drifted, before two deities, male and female, stirred them with a spear and made them into a small island. Hirose's Creation Of Heaven And Earth was ceremonious, solemn, and reticent. On the other hand, Ide spoke fast, not sang, describing how Mount Fuji had been formed in a million years of its history from a geological point of view. Hirose's Second Movement was based on a legend of Izanagi, a male deity, running away from the land of the dead. When Izanami, Izanagi's wife, gave birth to a deity of fire, she died from burn and was buried in a mountain. Her husband missed her and went underground to bring her back. When he recognized her in the Land of Darkness, she agreed to return with him and asked him not to look at her until they got to the ground. But the husband was impatient and lit a fire to find that her corpse had been flyblown. He was frightened and ran away from her. She got angry and sent several witches to hold him back. He threw peaches at them on the slope to the ground, Japanese ancient books say. Peaches! They are famous products of Yamanashi. The legend is suitable for Hirose to sing, as she represented the prefecture in 3776 Season #4. On the contrary, Ide's song of the pair was about an audience of 3776 itself. Their gigs are usually held outdoors without any admission fees. You can buy CDs, vinyls, T-shirts, and other items from them, and if you already have them all, you can have a picture (a cheki) taken with Ide, or you can even donate to them, but a certain part of the audience just see them and go. The word of 観覧逃げ (see-and-goer) is not listed in any Japanese dictionaries because it was coined by Ide herself. In the song, she appealed to the audience not to see and go. What a nice correspondence between Izanagi and the unpaying audience!

3776 Season #4 was ended at this point although Ishida had suggested a plan to present the following part of the myth in the Link Mode. The author of this blog does not know why he wanted two singers to sing different songs in different directions at the same time. Only I know a few things. Once Ishida said to us that, if 3776 were a group of four members, he would like each of them to sing in triple meter (3), septuple (7), septuple (7) and sextuple (6) respectively at the same time. In a gig at Shinjuku Loft, Tokyo, in August 2016, while Ide was performing on the main stage, he had three former members of 3776 appear as fake Ide Chiyonos on a small stage in the bar, which is apart from the main hall but accessible through a heavy soundproof door. He even got on the stage himself, dancing to Ide's songs projected on the screen. He seems to like it that way.

As 3776 was a one-person group again, he renamed it 3776 Season #3 Neo, and devoted himself to complete works for the album of Saijiki (歳時記 or Calendar, 2019). The subjects of the album were traditions and folklores that are seen around Mount Fuji. The nonstop album includes more than a song for every month of a year, and a song for January is composed in monometer in F, one for February in duple meter in F sharp, and so on to one for December in duodecuple meter in E. In a song for June, a Japanese traditional song Come On Fireflies (ほたる来い) is synchronized with a piece of melody from Beethoven's Pastoral Symphony, as well as Rabbit, Rabbit (うさぎうさぎ) is paralleled along Debussy's Clair De Lune.

In January 2019, Hirose Aina, who had left 3776, was invited as a guest singer to the group's monthly regular gig at the South Fuji Local Wholesale Market. After the two singers' shows were over, Ishida proposed he would try a complete quasi-Link Mode (完全疑似 LINK モード) of 3776 Season #4, which meant the producer would play both of the two singers' songs from his laptop. 'They have not listened to the Link Mode yet,' he said. I, the author of this blog, felt as if two dogs were running over to me simultaneously from different directions, two after others, a white and a brown, a big and a small, a cheerful and a noble, all playful.

Then 3776 announced that they would hold a one-night stand of Link Mix on February 29, 2020, with 963, O'CHAWANZ, XOXO EXTREME, Her Service and Receive (彼女のサーブ & レシーブ) and Hirose Aina. A Link Mix of twelve people on stage!

(to be continued)

「恋人たちのクリスマス」をおすすめするよ

マライア・キャリーねえさんの「恋人たちのクリスマス」(1994)の話をするよ。これは,マライアねえさんの転機になった曲なんだ。

マライアねえさんは,シンデレラになぞらえられたもんだ。すっごく歌がうまかった。おまけに美人。小さいころは苦労したけど,歌手になりたくて歌を録音したテープが大手レコード会社の社長の手に渡ると,ただちにデビュー。そのうえ,社長がプロポーズして結婚したのさ。8 オクターヴの声が出るといわれた美人歌手が一気に大金持ちに。ふつうなら,それがゴールだ。でもマライアねえさんにとってはスタートだったのさ。

栄誉も財産も手にしたマライアねえさんには,言わなきゃいけないことがあった。キティーちゃんが好き,とかさ。黒人の血を引いている,とかね。当時は,カネ持ちで美人の女性歌手は,白人向けの歌をうたうように求められたのさ。もちろんマライアねえさんは,どんな歌だって上手に歌えた。でも,黒人の歌をうたいたかったのさ。

そんなとき,レコード会社の社長がクリスマス・アルバムを作ろうと言いだした。「きよしこの夜」とか「サンタが町にやってくる」をマライアねえさんに歌えっていうんだ,社長が。つまり夫だよ。ずっとむかしには,そういう企画モノがよくあった。でも,マライアねえさんの時代にはすでに,クリスマス・アルバムなんて落ち目の歌手が出すもんだと思われていた。その風潮にさからった社長の気持ちはわかるよ。だってマライアねえさんの歌がすばらしかったんだもの。全世界のみんなはマライアの歌う「サンタが町にやってくる」をきいて大喜びするだろうと社長は思ったんだろうな。

アルバムには数曲だけ新曲が入ることになった。そのうちの一曲が「恋人たちのクリスマス」だ。百円ストアで束で売ってるようなコード進行に,陰影のない打ちこみの音。クリスマス・ソングだから鈴がシャンシャン鳴ってる。これなら社長が油断するよ。全世界のみんなが油断するよ。

だから,マライアねえさんは打ってでたんだ。この曲は,マライアねえさんの「うなり」で始まる。伴奏がほとんどなくて,芯になるメロディーをねえさんが提示する。頭サビってやつだ。歌うまいよね。そりゃそうだ,マライアだもの。とか言ってると,おやおやとおかしなことが起こる。聞きまちがいか。いや。「オール・アイ・ワント・フォー・クリスマス」のあと,全世界の人々が聞きまちがえられない事件が起こる。「イイイイイイイイイイイイイズ,ユウウウウウウウウウー,イェエ」。マライアねえさんが「こぶし」を回している。日本の演歌では「こぶし(小節)」というけど,アメリカではメリスマといって,黒人音楽の特徴だ。マライアねえさんは,この頭サビの部分を黒人として歌ったんだ。

白人の音楽とか黒人の音楽とか,はっきり分けられるのかといったら,それはムリだよ。できないよ。でも一定の傾向はあるわけさ。カントリーは白人が好みがち。ロックもそう。一方,ソウルとかリズム・アンド・ブルーズは黒人が好みがち。その垣根は何度も破れたけど,大まかな配置はあいかわらずだ。だから,黒人にも白人にも歌いかけたかったマイケル・ジャクソンは,ロックともソウルとも名乗らずポップと称した。ホイットニー・ヒューストンの映画『ボディガード』(1992)を見たら,ひとつの歌を,白人が歌うのと黒人が歌うのとでどんだけ違うか痛いほどわかるよ。

企画モノのアルバムの,ありふれた,安っぽい曲の冒頭で,マライアねえさんは力いっぱい黒人の魂を明かしたわけさ。だから,その曲のそこからあとは,とっても陽気なんだ。死んでもいいと思ってたんじゃないかな,ねえさん。栄誉と財産くらい失ってもいいと思ってただろう。ふっきれた。だから,めちゃくちゃ楽しそうに歌ってるんだ。歌の最後の「ユー」は,とんでもない高音で歌ってる。メリスマなし。じゃあ白人音楽かっていうと,そうなんだけど,あんな高い声出る歌手めったにいませんからね。メリスマの「ユウウウウウウウウウー」も高音の「ユー」も両方歌えるのがマライアねえさん。最後の高音は出血大サーヴィスさ。

だから「恋人たちのクリスマス」は,命がけの歌で,楽しいんだよ。クリスマスには,この歌を楽しめばいい。いま言った事情なんか知らなくても楽しいけど,知ってるともっと楽しいよ。

だれもまちがえないと思うけど,マライアねえさんは聖人君子じゃない。この曲のあと,ねえさんはガングロになっていった。音楽の国の王子様こと有馬岳彦氏の言葉を借りるなら,「マライア・キャリー西野妙子になりたがっている」時代があった。ねえさんは,社長と離婚して,いっそう黒人寄りのアルバム『バタフライ』を発表。名作ですよ,これ。でも,ねえさん,太りやすいし,歌いすぎで声が出なくなって,口パクしたらバレちゃった。対人恐怖症みたいになって,なに言ってんのかわかんなくなった時期もあって,ねえさんにとってはもう最悪ですよ。『ザ・ニュー・ヨーク・タイムズ』っていう新聞が,毎月ひとりの著名人に 9 個の質問をして,著名人がそれに絵をかいて答えるっていうコーナーがある。ねえさん,その質問にたいして,音楽が好きという意味でピアノの絵をかいたんだけど,白鍵と黒鍵の数がめちゃくちゃだった。でもその隣の質問で,好きなキャラクターをきかれて,キティーちゃんの絵を正確無比にかいたんだ。心の支えだったんだな,キティーちゃんが。『ザ・ニュー・ヨーク・タイムズ』が著名人に好きなキャラクターをきくことなんか,ねえさん以外にないんですよ。気つかわれてたんですよ,ねえさん。

でもそうしてるうちに一周か二周かして,そんなマライアねえさんのことが好きだっていうひとが案外多いとわかったんだ。だから,ねえさんは昨年(2019 年),こんな動画を配信した。おすすめです。

リチャード・ブローティガン『西瓜糖で』(1968)抄訳

第一部 西瓜糖で

西瓜糖で

西瓜糖では,出来事が何度も繰りかえし起こった。いま西瓜糖で暮らしてるぼくの生活も,繰りかえしばかりだ。その話を,きみにしよう。ぼくがここにいて,きみが遠くにいるから。

どこにいても,ひとは最善を尽くさなくちゃいけない。きみのとこへ旅するには(to travel)遠すぎるし,ここには西瓜糖以外に旅する(to travel)手段がない。きっとうまくいくさ。

ぼくは,ワタ死(iDEATH)の近くの小屋で暮らしてる。窓からワタ死(iDEATH)が見える。きれいだ。それは,目を閉じても見えるし,触ることもできる。ちょうどいまは冷たくなって,子供が手のひらで回すようなものになって回ってる。それがいったいなんなのか,ぼくは分からない。

ワタ死(iDEATH)は,微妙なバランスで成りたってる。ぼくらは,それが気に入ってる。

ぼくの小屋は,ぼくの人生と同じように,小さいけれど快適だ。小屋は,松(pine=悲痛な思い)と西瓜糖と石(stones=酩酊)でできてる。このへんのものは,たいていそうだ。

ぼくらは,細心の注意を払いながら,西瓜糖をもとにした暮らしを作りあげてきた。そして,夢の長さだけ旅してきた(have ... traveled)。松と石が並ぶ道に沿って。

ぼくの小屋には,ベッドと椅子,テーブルと,ふだんものを仕舞ってる大きな戸棚がある。夜になると,西瓜鱒油を入れたランタンに火を灯す。

それは関係ない話だ。その話は,後回しにしよう。ぼくは,静かな日々を送ってる。

窓辺に行って,また外を見る。刃物みたいに長い雲のところで,太陽が光ってる。今日は火曜日で,太陽は金色だ。

松の林と,その林から流れでた何本もの川が見える。川は冷たく透きとおってて,川には鱒がいる。

川といっても,幅が 2,3 インチしかないものがある。

幅が半インチしかない川を,ぼくは知ってる。ぼくは,物差しで測って,一日中ほとりにいた。午後には雨が降った。ここでは,なんでも川と呼ぶ。ぼくらは,そういう人間だ。

西瓜畑と,畑を流れる川が見える。松林と西瓜畑には,橋がたくさんかかってる。ぼくの小屋の前にも,橋がある。

橋は,木製のもあるし,銀製のもある。銀の橋は,古くなって錆びてて,雨みたいだ。石の橋もある。石はずっと遠くから持ってきたから,石の橋は遠い順に完成した。ほかに,西瓜糖でできた橋がある。ぼくは,西瓜糖の橋がいちばん好きだ。

ここでは,ほんとうにいろんなものを西瓜糖から作る──そう,これも言っとかなくちゃ──ワタ死(iDEATH)の近くで書いてるこの本も西瓜糖でできてる。

この本のどこに入っても,きみは,西瓜糖のなかで旅をする(travel)ことになる。

 

マーガレット

今朝,だれかがドアをノックした。ぼくは,ノックのしかたでだれだか分かるし,彼女たちが橋を渡ってくるのが聞こえてた。

彼女たちは,一枚しかない音の鳴る板を踏んだ。彼女たちはいつもその板を踏む。ぼくは,それがぜんぜん理解できない。彼女たちがどうしていつも間違えずにその板を踏むのか,ぼくはいろいろ考えてみた。そしたら,彼女たちがドアの前に立って,ノックしてた。

ぼくは,興味なかったから,返事しなかった。彼女たちに会いたくなかった。彼女たちがなんの用事で来たのかぼくは分かってたし,相手にしたくなかった。

彼女たちは,ようやくノックを止めた。彼女たちは,橋を渡って戻っていくとき,もちろん音の鳴る板を踏んだ。それは,釘の列が曲がってる長い板で,何年も前に打ちつけたものだ。いまさら修理しようがない。そして彼女たちは行ってしまい,板は静かになった。

ぼくは何百回通ってもその板を踏まない自信があるのに,マーガレットはいつもそれを踏む。

 

ぼくの名前

たぶんきみは,ぼくがいったいだれなのかちょっと気になってるだろうけど,ぼくは決まった名前のない人間だ。ぼくの名前は,きみしだいだ。なんでもかまわないから,きみがいま思いうかべてることを,ぼくの名前にしてほしい。

たとえば,きみがずっと前の出来事を思いだしてるとしよう。だれかになにかを訊かれたけど,答えが分からなかった,とか。

それが,ぼくの名前だ。

たぶん,大雨が降ってただろう。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,きみはだれかになにかを頼まれた。きみは,言われたとおりのことをした。なのに,それは違ってると言われた──「どうもすみませんでした」──そして,やりなおさなくちゃいけなくなった。

それが,ぼくの名前だ。

それは,子供のころ遊んだゲームだろうか。それとも,きみが年老いて窓辺の椅子に座ってるとき,なんとなく思いだした出来事かもしれない。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,きみはどこかを歩いてた。まわりは花でいっぱいだった。

それが,ぼくの名前だ。

たぶん,きみは川に見入ってた。近くに,きみの愛するひとがいた。そのひとが,きみに手を伸ばした。その手が触れるまえに,きみは気配を感じた。そして,手が触れた。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,ずっと遠くからだれかがきみを呼んだ。その声が,山彦みたいに響いた。

それが,ぼくの名前だ。

きみは,ベッドに入ってあとはもう眠るだけだった。そのとき,きみのことをからかってだれかが言った冗談を,きみは思いだして笑った。いい一日の終わりかただ。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,きみはなにかおいしいものを食べてるところで,一瞬なにを食べてるか分からなくなったんだけど,それでもおいしいと思って食べてた。

それが,ぼくの名前だ。

真夜中に,ストーヴのなかで炎が鐘のように鳴った。

それが,ぼくの名前だ。

あるいは,彼女があんな話をしたとき,きみは嫌な気分になった。そんなの,ほかの奴に言えばいいのに。彼女の問題をもっとよく知ってるほかのだれかに。

それが,ぼくの名前だ。

たぶん池には鱒がいるんだろうけど,川は幅が 8 インチしかなくて,ワタ死(iDEATH)の夜空には月が輝き,西瓜畑が異様に光ってて,暗いからすべての西瓜から月が出てるように見えた。

それが,ぼくの名前だ。

それにしても,マーガレットはぼくのことを放っておけばいいのに。

共産主義を宣伝するよ

 まず,こんなのから始めましょう。


問 1-1. A さんは,自分の土地に,1 本の果物の木を所有しています。その木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-1. A さんのもの。


 次に,こんなのはどうでしょうか。


問 1-2. A さんは,自分の土地に,多くの果物の木を所有しています。A さんは,自分ひとりですべての木の世話をすることができなかったので,近くに住む B さんに手伝ってもらって,果物を育てました。それらの木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-2. A さんのもの。


 この答えに異議のあるかたはいらっしゃいますか。手伝ってくれた B さんに,A さんはお礼を差しあげるべきだと考えるかたがいるかもしれません。A さんは,いったんすべての果物を手に入れて,それらの一部を B さんにあげる,ということでいいでしょうか。


問 1-3. A さんは,自分の果樹園に,多くの果物の木を所有しています。A さんは,自分ひとりですべての木の世話をすることができなかったので,近くに住む B さん,C さん,D さん,…,Z さんに手伝ってもらって,果物を育てました。それらの木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-3. A さんのもの。


 この場合も,問 1-2. の場合と同じように,A さんは,いったんすべての果物を手に入れて,それらの一部を B さん,C さん,D さん,…,Z さんにあげる,ということにしましょう。


問 1-4. A さんは,自分の果樹園に,多くの果物の木を所有しています。A さんは,それらの木の世話を,果樹園の近くに住む B さん,C さん,D さん,…,Z さんに任せきりにしています。A さんは,この数年,自分の果樹園に足を踏みいれたことがなく,遠く離れた町で暮らしています。それらの木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-4. A さんのもの。


 これまでの場合と同じように,この場合も,A さんは,いったんすべての果物を手に入れて,それらの一部を B さん,C さん,D さん,…,Z さんに差しあげる,ということにしましょう。しかし,A さんは,果樹園に近づかないので,B さん,C さん,D さん,…,Z さんに会う機会がおそらくないでしょう。果樹園では,A さんの代理人が,B さん,C さん,D さん,…,Z さんにお礼をあげることでしょう。


問 1-5. A さんは,自分の果樹園に多くの果物の木を所有していますが,そこに立ちよることはありません。果樹園では,A さんの代理人が,それらの木の世話をする人々を募集し,働いてくれた人々に一定の賃金を支払うと約束しました。一方,B さん,C さん,D さん,…,Z さんは,いずれも自分自身の農地を持っておらず,生活を営むために別のだれかから賃金を得なければなりませんでした。彼ら彼女たちにとって,その賃金を支払ってくれる相手はかならずしも A さんの代理人でなくてよかったのですが,いくつかの選択肢から A さんの代理人を選びました。果樹園の木が生みだす果物はだれのものでしょうか。
答 1-5. A さんのもの。


 この場合,A さんは,果樹園とそこにある木々とを所有していること以外の点で,果物の生産に関与していません。けれど,それらの生産に先立つもの(capitals)を,つまり,果樹園と木々とを A さんが所有しているので,すべての生産物はいったん A さんのものになります。一方,B さん,C さん,D さん,…,Z さんは,見かけ上それぞれの自由な意思にもとづいて A さんの代理人と契約を結び,A さんの果樹園で労働を行うのと交換で賃金を得ました。

 以上のすべての場合で,樹木の果実を所有する権利をもっている者は,その樹木の所有者です。そのことを是認する制度は,古今東西に広く見られます。それらに沿った生産様式のうち,とくに次のふたつの条件を満たすものを,資本制的生産様式(a capitalist mode of production)といいます。


(a) 樹木の所有者が,果実の生産に必要な労働をたとえまったく行っていなくても,すべての果実は,樹木の所有者に帰属するのが正当であると見なされている。
(b) 果実の生産に必要な労働を行う者たちは,なんらかの身分制度によって労働を強いられるのでなく,賃金を得るのと交換でその労働を行う。彼ら彼女たちは,だれのために労働を行って賃金を得るかを選ぶことができるが,もしだれのためにも労働を行わず,賃金を得ないならば,衣食住の生活必需品を正当に入手する方法がない。


 それにたいして,それらの条件を次の (c),(d) のように変更することを目指す運動を共産主義(communism)といいます。


(c) 生産に先立つもの(capitals)をだれかが所有しているという理由で生産物がその所有者に帰属する制度を廃止する。
(d) 各人が能力に応じて生産したものを,各人が必要に応じて受けとる。


 共産主義の本質は,これらの (c),(d) にあります。しかし,なんらかの理由で共産主義にあまり馴染みのない人々には,共産主義者はそれらよりほかのことを熱心に主張しているように映っているかもしれません。そして,肝心の (c),(d) を差しおいて,それらと別の主張が共産主義の本質であると誤解している人々さえいるでしょう。そのような誤解は複合的な諸原因によって生じていますが,その責任の一端は共産主義者自身にあるとわたしは思います。というのは,共産主義者は,(c),(d) を目指すことが理にかなっていると確信するまでに,ふつう次のような議論を経ているからです。


1. 現象について
 資本制的生産様式によって生産されるものは,商品(commodities)です。それぞれの商品には,価値(value)があります。資本制的生産様式では,その価値は,労働(labors)によって生みだされています。資本(capitals)が価値を生みだしているわけではありません。しかし,資本の所有者(capitalists)は,生産物のすべての価値を所有して,労働者たち(workers)にその一部を賃金(wages)として与えるにすぎません。そのことを,資本家は労働者を搾取している(exploit)といいます。
 では,共産主義では,労働者が生産物のすべての価値を所有するのか。そうだとも言えるし,ちがうとも言えます。命題 (d) に見られるように,生産に大きく貢献した者ほど多くの価値を受けとるべきであるという考えを,共産主義は否定しています。共産主義が目指しているものは,資本制的生産様式に附随する諸観念を保持したまま,所有権だけを付けかえることではありません。共産主義者は,生産に関係する諸観念の体系が根本的に変革されるべきだと考えています。

2. 歴史について
 上の問 1-5. で,B さん,C さん,D さん,…,Z さんは,いずれも自分自身で生産手段を持っておらず,生活を営むために別のだれかから賃金を得なければなりませんでした。彼らのような人々は,資本制的生産様式が支配的な社会において多数派です。しかし,いつの時代にもそうであったわけではありません。労働することによって賃金を得て,その賃金で生活必需品を購入する人々は,どのようにして社会の多数を占めるに至ったか。それ以前の社会では,どのような人々が多数を占めていたか。古い社会は,どのようにして新しい社会に変わるか。共産主義者は,そういった問いにたいして,唯物史観と階級史観ならびに弁証法にもとづいて,答えを導こうとします。
 しかし,それらの議論は,共産主義者でない人々にとって受けいれがたい。なかでも,弁証法は,共産主義者でない人々に蛇蝎のごとく嫌われています。弁証法は,社会が変化する原因を説明しようとする論法のひとつです。共産主義者でない人々は,社会が変わってほしくないと思っているから弁証法を受けいれないのだ,と共産主義者は主張します。一方,それを拒絶する人々は,弁証法はそもそも論理的でないという。共産主義者は,だったらその論理が誤っていると言いかえす。そのあたり,議論が噛みあいません。その結果,共産主義者は次のように考えます:共産主義者でない人々は,いまの社会が変わる必要はないと主張するのに都合のいい諸観念の体系を真実であると見なしがちである。社会の一部の人々にとって都合がいいという理由で真実と見なされる諸観念の体系を,共産主義者イデオロギー(ideology)と呼んで批判します。

3. 未来について
 共産主義は,上の (c),(d) を目指す運動です。しかし,だれが,どうやってそれらを実現するか。その変革を目指すことに,なんらかの必然性があるか。また,(c),(d) は突然に実現するわけでなく,社会がいくつかの過渡期を経たあとで実現します。過渡期において,共産主義者はなにを目指すか。その目標に正当性はあるか。そういったことを,共産主義者は議論します。上の 1. および 2. について,共産主義者たちのあいだで見解が根本的に異なることはほとんどありませんが,3. についてはさまざまな意見があります。
 たとえば,資本家が生産手段を所有する制度を廃したあと,だれが生産手段を所有するのか。歴史上,共産主義を標榜した国家において,大多数の場合,国家が生産手段を所有する制度が導入されました。しかし,生産手段の国有化が共産主義の最終目標であると考える共産主義者はいません。(c),(d) を目指す途中で,共産主義者は今後も国有化を当面の目標とすべきかどうか,共産主義者のあいだで意見が一致しているわけではありません。また,これまでの共産主義国家では,プロレタリア独裁が導入されました。それは,一種の哲人政治を意図していましたが,実際には多くの場合,指導者への個人崇拝に結びつきました。独裁にたいする嫌悪は,共産主義者にかぎらず多くの人々のあいだで共有されています。しかし,社会を変革するために,旧来容認されていた自由が制限されることがあります。たとえば,今日ほとんどの国々で,商人が奴隷を売買することは禁じられています。同じように,(c),(d) を目指す過渡期に,資本制的生産様式で生産を行おうとする人々の自由は,どの程度まで禁じられるべきか。その点について,共産主義者の見解が一致しているわけではありません。


 単純な (c),(d) と比べて,1.,2.,3. についての議論は濃厚になりがちです。だから共産主義者はそんなことばかり言っているように見られていることがありますが,それは枝葉の部分です。よく茂っていますが。
 そこで,繰りかえし。共産主義とは,次のことを目指す運動です:

・ 資本をだれかが所有しているという理由で生産物がその資本家に帰属する制度を廃止する。
・ 各人が能力に応じて生産したものを,各人が必要に応じて受けとる。